ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

リンガラを売り払う日

2012-02-13 05:16:21 | いわゆる日記

 ブログ仲間のころんさんのところを覗いたら復古調リンガラの名作との評価も高い盤、”ケレレ”について書いておられて、なかなかに愛情溢れたその内容に私は、それまで自分がやっていたことを思い、苦笑するしかなかったのだった。いやなに、私は自分のレコード棚からリンガラの盤を抜き出しては、中古レコード屋に売却予定のダンボール箱に放り込んでいたのだけれどね。
 久しぶりにリンガラを聴いたけど、なんかさっぱり乗れないな、などと首をかしげてからどれほどになるだろう。ついに結論を出したのだ、「自分はリンガラ・ミュージックが嫌いである」と。あ、いや、熱く歪んだ響きのルンバ・ロックなんかは今でも好きなんだけれど。

 昔、「アフリカに先祖返りしたアフロ=キューバン系音楽がアフリカ的洗練を受けて生まれた、汎アフリカン・ポップス」「リンガラこそはアフリカの深い森からの囁きの声」なんて物語に熱くなれた頃は夢中で聴けたリンガラだったのだが、その熱狂も冷めてしまうと、音楽自体にも冷めてしまい「これって、俺好みの音楽なんだろうか?」なんて疑問さえ出てきてしまうのだった。
 まあ、そういうこともありますわな、いろんな音楽を聴いていると。ちょい理屈先行で「自分はこの音楽が好きなはずである」なんて勘違い暴走を始めてしまうなんてことが。頭で、タテマエで音楽を聴いている証拠であって、そんな思い込みから自由になるなんてことだけでも、音楽ファン修行の結構でかい課題だったと、この年になって感ずるのだが。

 で、ころんさんの文章を読んでわかってきたのは、私は安定した音楽、完成した音楽が、あまり好きではないのだ、と。逆に未完成な、不安な要素で根本のぐらついているような音楽がどうやら好みらしい、と。
 同じリンガラでも、完結することなくただ揺れ動き、ついに夭折して行ったルンバロックなどならいまでも熱くなって聴けるのだから、つまりそういうことなんだろう。
 まあ、どちらが正しいもなにもない。人が音楽に何を求めるかの違いがそこにはあるばかり、なのだが。