ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

小笠原古謡集

2007-02-16 03:34:25 | 太平洋地域

 ”小笠原古謡集”by Ring Links

 ”南の空のはて 波のはなさく島に 
  浮世を遠く見て 恋を語る二人よ
  こころは丸木舟に”

 2~3日前からクシャミと鼻水攻撃に悩まされていて、これが今年はひかずにすみそうだと思っていた風邪の先駆症状なのか、それとも早くもやってきた花粉症の症状なのかと。まあ、どちらにしても迷惑な話であります。

 こんな風に季節の変わり目の天候などに翻弄される日を送っていると、ただこの場所にとどまっているだけでも、一年、また一年と旅を続けているのだなあ、なんて妙な実感が生まれてくる。空を行く雲も季節ごとにさまざまに様相を変えて。我々は太陽の周りを一年かけて公転する、そんな地球の搭乗客である。そんな実感。

 まあ、いくら暖冬のなんのと言っても冬には違いないのであって、鼻水クシュクシュやりながら夢想するのは陽光溢れる南の島だったりするのでありました。

 ここに取り出しましたるは、”小笠原古謡集”といいまして、日本のはるか南、ミクロネシアの辺り、かって戦前の日本が”信託統治領”として”統治”していた南の島に生まれた不思議な歌たちの、日本のバンド、リングリンクスによる再演が収められています。

 歌の佇まいを簡単に表現すれば、ちょっと妙な、でも愛らしい響きの日本語の歌詞を持つ、素朴なハワイアンというか、ポリネシア歌謡とでも言いましょうか。

 かっての”統治者”であった日本人たちが残していった日本語で、日々の喜怒哀楽を歌った南太平洋の人々がいる、いや、今でもそれらの歌は南の島の日々の中で歌い継がれている、そのような現実を思うと、なんだかむずがゆい、申し訳ないみたいな気持ちになってきますな。(だって私ら日本人、そんなポリネシアの人々の”想い”に応えるなにかを心の中に持っているだろうか?)

 もともとは無人島であった小笠原の島々に最初に移り住んできたのはハワイ経由のハワイアンや白人系の人々。その後、明治の代になってから日本人も移り住み、とくに人種的、政治的な衝突もなく、島の人々はボヨヨ~ンとのどかに文化的混交を行ないつつ、日々の暮らしを送っているというのですが。

 そんな暮らしの中から生み出され歌い継がれてきた、実に愛らしい歌たちにも、”平和になったら二人はカボボして 新婚旅行は父島に行きましょう”なんて、厳しい歴史の影が差す瞬間があり、襟を正す気分になったりしてしまうのですが、南の島の歌は我々を指差して糾弾したりせずに、ただ心優しい微笑を浮かべながら南国の花の香の間を流れて行くばかり。

 人種や文化を超えて人々が交わりつつ生きて行く、そんな夢が可能となったひとときの存在証明としてのこれらの歌が、こうしてCDの上に残されたこと、なんだか嬉しくなります。そしてこの歌の魂がこの地球のどこまでも広がって行きますように。

 アルバムを製作した”リングリンクス”も、もう存在しないバンドとなってしまっているのが残念なのだけれど、リーダーの駒沢さんには「このような音楽を世に出しただけでも素晴らしいと思いますよ。良い仕事をしましたね」と、影ながらお祝いを申し上げたい。

 この、かってははちみつぱい~ムーンライダースでペダルスティール奏者として名をはせた人物、実は学生時代に私が所属していた音楽サークルの1年先輩でしてね。まあ、私はそのサークルを途中でやめてしまったし、駒沢さんがプロのミュージシャンになってからは付き合いも途切れ、さすがに駒沢さんも私のことなどおぼえてはいないだろうけど、それはともかく(笑)

 駒沢さん、まだまだこれからも素敵な音楽を作って行ってください。と、もう一言付け加えて終わりましょう。