ひょんなことから今日、思い出すハメになったのだけれど・・・絵本作家、S・H氏と手紙で行った「論争」、あれはもう何年前になるのかな・・・
そもそもの発端は、彼が発行しているミニコミで述べていた「植民地主義肯定論」に私が反発を感じ、抗議の手紙を出したのが発端だった。そこで述べられていたS・H氏の「論」とは、このようなものだ。
「ヨ-ロッパがアジアやアフリカ諸地域を植民地化したのは良くない事と言われているが、そうだろうか。良い面もあったのではないだろうか。すぐれたヨ-ロッパの文化が各地に広がり、新しい文化を生んだのだから。悪口を言うより、まず学び、誉めよ。これです」
ちなみに、彼の主張には「ヨ-ロッパ文化の世界各地への伝播」に関する肯定はあるが、「他地域の文化のヨ-ロッパへの伝播」は無視されている。はじめから考えにも入っていない。ヨ-ロッパの文化を学び誉めよと言っているのであって、それ以外の地域に存在する文化を価値あるものと認めている形跡は、その主張の中には全く認められない。
たとえば彼、フィリピン人がどこかで語っていたと言う、「スペインは宗教を、アメリカは教育をもたらしてくれた。日本人は、何ももたらさなかった」なる文言を掲げ、欧米によるアジア支配を擁護せんとするのだけれど、では、スペイン人が侵略してくるまで、フィリピン人たちには宗教がなかった、とでも言うのか?そうじゃないでしょ?土着の宗教を圧殺し、むりやりキリスト教を押し付けたんじゃないのか?
この辺り、ヨーロッパ以外の地域文化の価値を認めず、その存在そのものから無視する、彼独特の論理構造があからさまとなっている。また、アメリカが教育をもたらした、とは何事か?それは、”アメリカに都合のいいフィリピン人”作成のための一行程だったのではないのか?その証拠に、アメリカのもたらしたと言う”教育”は、今のフィリピン人の幸せのために、いかなる貢献をしていると言うのか?
そもそも、植民地にされる、という事がどんな事であるのか。オランダがインドネシアを領有していた時期、オランダ人の平均身長は数センチ増えた、という。逆に言えば、その分の苦渋を植民地の人々は被ったという訳だ。
植民地にする、される、というのはそういった事だ。
それを「ヨ-ロッパの文化が学べて良かったね、無知な土人の皆さん」と言うのか。そしてそもそも、植民地化された人々にはヨ-ロッパの文化に「影響されずにいる自由」はあったのか。それを好ましくない文化と判断し、拒絶する選択肢は、どうなのだ。奪われていたのではないのか。
まあ、そんな事を書き送ったのですが・・・いや、本当はもっといろいろあったのだけれど、なんか、書いていて脱力してしまいました。全く何の話も通じない論争相手だったのでね。とにかく「ヨ-ロッパ文化は素晴らしい。学び誉めよ」の一辺倒で、他人の意見など聞く意思は全く無し。思い出すのも力が抜けてしまう不毛の一幕だった。
彼の返事の末尾に書いてありましたよ、「あなたもこちらに来て、カトリックの宣教師たちと話し合ってみたらどうかなあ。皆、いい人ですよ。キリスト教への疑いも晴れるでしょう」と。
呆れましたね。現場にいるセ-ルスマンの愛想がいいのは当たり前でしょう。
まあとにかく、この論争を契機にキリスト教を信じる人々に対して私は、大いなる疑惑やら嫌悪やらを感ずるようになったのでした。あの絵本作家のような身勝手で独善的な考え方に、人をさせてしまう宗教であるならば論外であると。