「ロシア民謡的なもの」に惹かれてしまう感性、と言うものが私にはある。それこそ「モスクワ郊外の夜はふけて」とか「灯」とか、もうベタなロシアの歌と言うことになっているもの。「バイカル湖のほとり」なんてのは良いねえ。
昔々の”歌声喫茶”の面影など、ほのかに漂います。いや、時代さえ合えば通っていたんじゃないかね、私は。あ、ロシアの国歌なんてのもたまりませんね。あの重々しい哀感。
「ロシア民謡的なもの」という表現は、それらの曲が実は高名な作曲家の手になるメロディだったりして、「民謡」という呼び方はふさわしくないようなので。まあ、「ロシアの国民歌謡」とか、そんな呼び方が適当なのだろう。
で、そんなものに妙に惹かれてしまうのだ、と。ああ、面倒くさい。
ロシアのメロディは良いよなあ。壮大な空間の広がりを想起させつつ、深い感傷を秘めて。
映画の”007シリーズ”でおなじみのジョン・バリーの音楽なんてのも、ロシアもの好きの血を騒がせる独特の哀愁が、いたるところで脈打っていた。
映画音楽作家ジョン・バリーは東欧方面の血を引く者とかで、そういえば”007シリーズ”の主題歌には、どれも”漠然たる東欧っぽさ”が漂う。”ダイアモンドは永遠に”とか”ゴールドフィンガー”とか。そのものずばりの”ロシアより愛を込めて”の深さ、重さといったらない。いいよなあ。
なにしろ冷戦下に作られたスパイ映画なのだから、ロシアっぽさはいくら漂おうとかまわない、むしろうってつけなのであって、うまい話もあったものだ。ムード音楽のマントバーニが自らのルーツを壮大に歌い上げた”イタリア・ミーア”なんてアルバムがあって愛聴盤なのだが、あんなものを全盛期に作っていてくれたらと思うんだが。
今年は暖冬とかであまり雰囲気が出ないが、いつも寒い盛りになると、ジャズのサックス吹きスタン・ゲッツが、これは北欧ツアーにでも出かけた際のご祝儀なんだろうか、作曲した”懐かしのストックホルム”なんて曲を、楽器を手にするとふと爪弾いていたりする。
この曲はスエーデンの首都の名を冠しているけれど、私などには濃厚なロシアっぽさを感じさせるメロディラインとなっていて、なかなかよろしいのだ。果てしもないシベリアの大地の向こう、夜の果てに、ほんのりとロシア正教の尖塔がそびえ立つ。そんなロシアの古都を遠く望むイメージが喚起させられる。
木枯らしの吹き抜ける深夜に一人、ストーブに向かい、凍えた指で”懐かしのストックホルム”のメロディを探り弾きしつつ、薄明の中、自分とモスクワの街路の間に横たわる凍りついた広大な大地を思う。やあ、良い気分だ。
うん、いや、それだけの冬の楽しみ話、何の展開もなくて恐縮であります。