ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

すずらん

2007-02-09 03:37:29 | ヨーロッパ

 ”あなたがくれたのは、豪華なバラやチューリップや百合の花束ではなく、つつましく愛らしいすずらんの一束。さわやかな5月の白い約束”

 1959年度、ソ連において大ヒットした「すずらん」という曲がある。当時、モスクワを訪れて公演を行なったダークダックスの人々が「現地でやたら流行っていた歌」として持ち帰り、我が国でもそれなりのヒットをしたと、私も子供の頃の記憶にぼんやりとある。サビの部分のメロディは、普通に脳裏に”昔よくテレビやラジオの歌番組で聴いた歌”として残っていた。「ランディシー、ランディシー、君こそ♪」と。

 もっとも当時のこの曲の邦題が何であったのか、などという資料面で意味のある記憶ではない。やっぱり「すずらん」だったのだろうか?まあ、こちらも音楽ファンになる以前の話ではあるし、特に夢中になって聴いていた訳でもなし、思い出と言ってもこのような頼りないものなのだが。

 そして、今ごろになって知った、この歌の消息なのだが。「すずらん」がそのように日本でも普通に街角に流れていた頃、逆に本家ソ連ではこの曲は一切聴くことの出来ない歌になっていたというのだ。

 当時といえば、東西冷戦の”雪解け”を演出したソ連の書記長、フルシチョフが亡くなり、保守的な書記長、ブレジネフの時代となっていた。
 時代はまたも”反目しあうソ連とアメリカ”の軍事競争へ逆戻り。そんな暗い時代の変わり目だったのだが、そのようにして思想統制強まるソ連社会において「すずらん」は、「あまりに流行ったがゆえに”ブルジョワ的・反革命的”との烙印を押される」という、なんとも不条理としか言いようのない扱いを受けていた。

 公の場でその曲を流すのは禁止され、「すずらん」のオリジナルを歌った歌手、ゲリーナ・ヴェリカーノワは事実上、歌手としての仕事を追われた。
 ひどい話だなあと思う。権力にとって民衆ってのはなんなんだ?などと考えずにはいられない。国民の連中に”自由”なんて勝手な事は思い浮かべるのさえ許したくないから、適時、こずき倒しておいて奴隷根性を叩き込んでおかなければ。そんな支配者側の思惑が見事にあからさまになった挿話といえよう。

 これに国の違いや思想上の差異なんか関係はない。支配する者とされる者とがいるならばところ嫌わずに存在する悪夢である。

 その後。ソビエト連邦は崩壊し、新しくロシア共和国となった1990年代の後半、モスクワの街を歩いていたある人が驚いたところには、あの「すずらん」が、街中から流れていたというのだ。それも、その曲自体とともに”ブルジョワ的”の烙印を押されて姿を消したヴェリカーノワのレコードに残されていた歌声が。

 どうやら連邦崩壊後、ソビエト時代に禁止されていた事物の復活を喜ぶ気風が人々を覆い、そんな”開放”の一つの象徴が「すずらん」の時代を超えた「再びの大ヒット」だったようだ。新しい時代の到来を、かって人々にあまりに愛されたがゆえに禁忌とされた流行り歌の復活によって祝う、そのような”イベント”をモスクワの人々は行なっていたのだ。

 そこでちょっと気になったのが歌手ヴェリカーノワの”享年”である。彼女は1998年に73歳で亡くなっているのだが、この”復活”の様子を、どのように見ていたのだろう?彼女自身はその際、どのような処遇を受けたのだろう?
 かって、”「すずらん」という大ヒット曲を出した”咎で追放処分を受けた際、「党が正しいか私が正しいかは、後世の人々が審判を下してくれるでしょう」とだけ言い残して表舞台を去っていった彼女は?

 毎度申し訳ないが、ここはいつもと同じ「資料がないので分からない」で締めるしかないのだが。
 
 (冒頭に掲げたのは、オリガ・ファジェーエワによる「すずらん」の原歌詞。訳・山之内重美)