ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

長雲ぬ坂よ

2008-01-11 04:17:22 | 奄美の音楽

 シンクロニシティとかって言うの?その種の神秘ネタってなにも信じていないんだけど、なにごとかに興味を持ったとたんに、その関係のものに妙にぶち当たる、なんてことは時に、ありうる。
 今回も。なんとなくつけていたテレビの、真夜中の名も知らない音楽番組で奄美の小特集など今あったばかりなんでちょっと驚いてしまった。

 まあ、番組の内容と言っても、”東京で夢を抱いて頑張る奄美出身のミュージシャンの卵たち”なんて、ありがちな青春群像ものであって、特に見るべき部分もなかったのだけれど。それでも、中村瑞希が地元の民謡酒場のような場所で三線を弾いて歌う姿をほんの数秒だけど見ることが出来たのは見つけものだった。

 で、先日、ここに書いた話の続きになる。これはなあ・・・後々、奄美の音楽についてもっと知識を持てたら「なんてピントはずれなことを書いちゃったんだろう」と反省すること必至の文章になるんだろうが・・・
 まず、オノレの書いた文章を引用するけど。

 >想像していたよりも”南島”の感触はない。むしろ、どこだっけなあ、
 >奄美島歌の歌詞に関していろいろ検索しているうちに出会った”万葉”って
 >言葉がふさわしい、なにやら柳田国男の民俗学本とか引っ張り出したくなってしまう、
 >古代日本に通ずる感触を受け取った。つまり南へ向う横の移動感覚よりも過去に
 >向うタイムマシン感覚。

 >歌詞について、もっと知りたいと思った。能なんかに通ずる幼形成熟的美学で
 >出来上がっているようで、こいつは突っ込めばかなり面白い世界が見えてくる
 >のではないか。
 >なんとなく以前より曲名だけ知っていた” 上がれ世ぬはる加那”をはじめ、
 >歌詞の意味が今では良く分からなくなってしまっている歌も多い、などと知ると
 >ますますムズムズするものを覚え。

 手探り状態で、届いた若干のCDを聴き進んでいるのだが、上に述べたような想いがますます膨れ上がっている状態だ。

 まず気になったのが歌詞のありようだった。急峻な坂道は彼岸へと至る渡し舟であり、船の艫に留る白鷺は神の化身である。そんな世界が、アルカイックというのか、シンと澄んだ余情を持って歌われる。

 例の”梁塵秘抄”などを想起させる、中世歌謡などまでも遡っていってしまうようなモノクロームの幻想を孕んで、時の流れにはむしろ竿差し、森羅万象に宿りたもう神々の隣に歌は存在している。
 歌を歌うという行為が、それらの神々とともに暮らしていた上代の人々との魂の交流を目的としているかのようだ。

 どうしても比べたくなってしまうが、沖縄の音楽などに見受けられる現在進行形の現実との関わりよう、あのようなものとは別の方向に歌が存在している。

 ひょっとしてそれは、あの”新民謡”なるものの存在が大きく作用しているかも、などと恥のかきついでに書いてみる。
 本土の普通の歌謡曲のようなフォームを持ち、標準語で歌われる、ある意味、外向きの奄美の歌。古くからの民謡ではなく、奄美における、より”今日的”な歌謡の創造として(それは、もはやアナクロの影が差しつつありはするのだが)世に送り込まれた大衆音楽。

 奄美における”世につれる歌”の役割は、あの”新民謡”が負い、何か別の祭祀を、純正民謡(?)は受け持っているのかもなあ、などと右も左も分からないうちにとりあえず想像してみる。あとで「なんてピント外れを言ってしまったんだ」と頭を抱えるかもしれないが、その時はその時である。

 とりあえず、本土においても沖縄においても事実上失われた音楽たるド歌謡曲たる”新民謡”が、そのハザマの奄美で不思議な形で息ついている、そのことだけでも十分面白い。あの音楽、当初想像したような”民謡のサイド・メニュー”以上の存在であるのは確かなようだ。
 なんて事を書いても、ほとんどの人には何の話やら分からないだろうなあ。意味不明の思い付きを書いてみただけです、お許しを。


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