”We'll Never Turn Back”by Mavis Staples
ゴスペル・ファミリーコーラスのステイプル・シンガースといえば、かなり激渋の物件であり、私も熱心なファンであったとは言いがたいが、年に何度か父親の奏でる味わい深いギターの爪弾きに導かれて響き渡る娘たちのソウルフルな歌声を、ある種の渇望といった勢いで聴きたくなる夜などはあった。
その一家の長姉、メイヴィスが昨年の春にソロアルバムを出していて、これはなかなかに感動ものなのだった。
歌われているのは、彼女も音楽家として活動する上で深く関わっていた1960年代の黒人たちの公民権運動の中から生まれてきた歌ばかり。どれも彼女の自家薬籠中の、というべきか強力にゴスペル臭ただようものである。当時、黒人たちがそのような社会運動に関わるにあたり、黒人教会が果して来た役割を偲ばせるものがある。
もう70歳に手の届こうかと言うメイヴィスの歌声は、若い頃のパワーは失われたものの、より懐の深い滋味に満ちたものとなっており、その時代の黒人たちの思いを包み込み、ダイレクトに今に伝えるが如くである。
実に味わい深い歌声なのだが、しかしなぜ彼女は今、40年も前の歌を引っ張り出さねばならなかったのか?老境に至って抱いたノスタルジーから?いやいや・・・
「私たちは二度と引き返さない」とあえて歌われねばならないのは、時のうねりの底で彼女らを昔と同じ状況に押し返そうとする力が台頭しているのを、彼女の芸術家としての感性が無意識に嗅ぎ取っているからだ。
それは、ロック・ミュージシャンが何かというと「ロックンロールは決して死なない」と叫び歌う理由が、ロックンロールが死ぬ恐れがある、あるいはすでに死んでしまっているからであるのと同じこと。
メイヴィスの音楽家としての感性は、やって来ている昔と変わらぬ辛い時と、それに飲み込まれぬために再び戦わねばならぬ戦い、そんな時代の到来の予感を魂の深いところで受け止めた。
だから彼女は、これらの歌を歌わずに入られなかった。「我々はそんな暗い流れに決して敗れはしない。恐れることは無い」と人々に伝えるために。
私にはこのアルバムがそう聴こえる。
おりしも、増税に喘ぐ我が日本国民の上にこれから、諸物価値上げの大嵐が吹き荒れると、ラジオで経済評論家が語っていた。耐えられるのか、私たちの背骨は?
さて。ゆるんだ靴紐を結び直して、冷戦下、ベルリンであの男が言った言葉でも真似て呟やき、立ち上がろうか。「自分もまた一人の、ミシシッピィで綿摘む農夫である」と。
でも私はこの文章を読んで、心打たれてしまいました。
私の知らないところで確かな生活があって、そこからは私の知らない歌が生まれて、そして生きのびるようとしている……。
「耐えられるのか、私たちの背骨は?」にグッときました。「ゆるんだ靴紐を結び直して」というところにも。
耐えきれなくなったとき、私はどんな歌を歌うんだろう……。想像がつかない。
このアルバム、だらけた我が心を「しっかりせい!」と一発締めてくれるような一作でした。