ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

いかすじゃないか、西銀座駅前~♪

2007-03-23 01:09:35 | その他の日本の音楽


 何となく気になっていた今村昌平の昔の映画を見る。ケーブルテレビで行われた今村作品特集において。

 フランク永井のヒット曲絡みの「西銀座駅前」である。よくタモリが「ABC,XYZ、それがオイラの口癖さ~♪とかいうけど、そんな口癖の奴ぁいない」と、その妙な歌詞をからかっている唄である、”西銀座駅前”とは。
 そもそもが昭和30年代、東京は西銀座方面で開店したデパートのキャンペーンソングだそうで、それが思いがけずヒットしてしまったので便乗して作られた歌謡映画(なるジャンルがあった、当時は)なのだから、これはもう、いい加減な代物にならざるをえないだろう。実際、上映時間も1時間ほどで、作りも軽い軽い。

 戦争中、兵士として赴いた”南洋の島”と、そこにおける”原住民の娘”との恋愛のごときものの思い出が、白日夢として頻繁によみがえり、本業である薬局の仕事も上の空の男が主人公。一方、その妻は、まだ幼い子供の”お受験”に熱中し、ダンナを健康のためにと、新発売の薬漬けにしている、高慢ちきな女、という構図。
 妻がご執心の”戦後日本の新生活”を象徴する新薬と、ダンナが憧れる未開の島、この対比によって文明批評でも繰り広げるかと思いきや、そこまで深いものはなし、とりあえず話の運びの都合上、そんな設定にしておこうか、程度のものである。

 ダンナはある日、キャバレーのホステスを酔った勢いで連れ出し、モーターボートで海に乗り出し、そして(そうなるだろうと万人が思うとおりに)海路に迷い、潮に流されるまま、怪しげな島に漂着する。そこはどこか、彼がいつも見る”南洋の島”を彷彿とさせないでもない場所である。仕方なくホステスと彼は、その島で一夜を明かす羽目と成り、そしてこれもお定まり、ホステスは彼に性的アピールを送るのであるが、不器用な彼は、その気はあるものの要領を得ない対応しか出来ず、ブザマな失敗を繰り広げるのみ。
 そしてもどかしい一夜は明け、二人が島を探検してみると、そこは何のことはない、・・・であった、なる、腰砕けオチの作品。

 でも、なぜか私は、その、まあいわばたわいない映画を見るうち、切なくなってきてしまったのですなあ。
 ドラマのバックに描かれる昭和30年代の日本の風俗が、私の幼年時代の記憶を喚起する部分が多々あるってのも大きいのだが。こんな風に、ようやく戦後の荒廃から立ち直った日本人は、たわいない笑劇に興ずる余裕さえ手に入れかけていた。でも、まだまだ現実は映画のレベルに追いついてはいず、日本人の大方は貧しくて、でも、豊かであろうとする夢は疑う事もなく持っていて、そんな夢を象徴するものが、たとえば”西銀座駅前のデパート”だった。
 そんな時代に日を送る人々に見守られながら、私は、頑是無いガキとして育って来たのだった。そうだったのだよ。切ないなあ。そんなものを客観視する能力など、もちろん、当時の自分は持っていなかったのだ。当たり前だが。

 ”元ネタ”であるフランク永井は語り手として、ある時は駅員、ある時はパン屋の主人と姿を変えては登場し、たびたび画面に向き直り、展開されるストーリーをまぜっかえすように皮肉な解説を加える。そんな彼がラストシーンにおいて、当たり前の顔をしつつ、にこやかに笑いながら、吸いさしのタバコを路上に投げ捨てるシーンがあるのだが、もちろん、今日ではタバコの投げ捨てはご法度です。無駄に使い捨てることの可能な世界など無いと皆が知ってしまった今日においては。

 あの頃のあの人々は、どんな楽園にたどり着いたのか。何を手に入れるための、我々の日々だったのか。映画が無邪気に明日を信じる能天気な代物である分、なにやら物悲しい気分は五割り増しとなってしまうのである、気まぐれに時代を振り返ってみた者の胸中では。