ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

モンゴル高原彷徨

2007-03-05 22:50:56 | アジア


 モンゴル人のシンガー・ソングライターなのだが、”騰格爾”をなんと読むのかが分からなかった。
 長いこと、中国人の名のように”騰”が苗字で”格爾”が名前との認識で分けて呼んでいたのだが、どうやらこれ、”TENGGER:テンゲル”と発音し”天”の意味、これ全部でファーストネームらしい。

 そういえば司馬遼太郎の本で「モンゴル人は基本的にファーストネームしか持たず、ファミリーネームが必要になったときは父親の名をもって代用とする」なんて話を読んだ記憶がある。

 モンゴル人と言っても中国領の内蒙古の人であり、中国内で活動している歌手である。1960年生まれ、28歳の時に発表した”我的興安嶺”が評判となり、プロ歌手の道に入る。音楽的には中国のポップス歌手によくあるフォークロック調に分類されるが、ともかくその濁声の迫力が凄い。モンゴル人がホーミーを唸る際のようなガラガラ声でシャウトされると、それだけでもう唯一無二の世界が出来上がってしまう。

 出世作の”我的興安嶺”とはもちろん、中国東北部とモンゴルとの間に屹立する大山脈地帯・興安嶺のことなのだが、彼の歌はこのように広大な大自然や、そのうちに放浪する人間の感傷などが大きなテーマとなっているようだ。

 彼のアルバムは中国語の歌詞の曲の中に何曲かモンゴル語の歌が混じるという、アメリカで言えばテックスメックスのような状態であるのだが、彼の歌の聞き手にどの程度モンゴル民族がいるのか。彼の歌の”受け方”を見ると、彼の持つモンゴル的要素はむしろ、中国人の聴衆相手にエキゾチシズムでアピールする、そのような作用をなしているように思える。

 そんな彼が1991年に出した、唯一全曲モンゴル語のアルバム、”蒙古”は忘れられない作品である。

 冒頭の、ジンギスカンに捧げた頌歌のワイルドさ、喉も破れよと言わんばかりのシャウトに、いきなり魅了されてしまう。
 あとはもう、北京のミュージシャンたちによるロックの音に、むせび泣くモンゴル名物”馬頭琴”の響きが入り混じった独特の騰格爾サウンド(?)が運んでくる、広大な草原地帯に吹きすさぶ風や厳しい大自然のありよう、その只中で営まれる人々の暮らしなどの手触りに触れ、すっかりモンゴル気分に酔うのみ。

 その無骨な感傷の世界に、一時、ずいぶん入れ込んだものだが、実は騰格爾、音楽的にはあまり幅の広い人ではなく、何枚かアルバムを手に入れたら「大体先は見えた」と思え、その後は聞いていないのだから、ファンというのも当てにはならない。自分のことだが。

 いや、その後も新譜を出したという情報やどこそこでコンサートを行なったなどという話題に接するたびに、その後の音を聴いてみようかなどと思うこともあるのだが、世界のあちこちから届く目新しい音の情報にまぎれ、なんとなくそのままになってしまっている。この文章を書いた記念に、今の騰格爾がどんな音楽をやっているのか、ちょっと確認してみるのも悪くないかも知れない。

 我が国で騰格爾が一番”メジャーらしきもの”に近付いたのは、90年代半ばに出したアルバム、”黄就是黄”がミュージックマガジン誌の”輸入盤新譜レヴュー”に取り上げられた時だったろうか。まあ結局、それでも特に話題にもならず終わってしまったのだが。

 そのアルバムの冒頭に収められていた”東方的駱駝”が、印象的ナンバーだった。
 1970年代アメリカのシンガー・ソングライターたちがこぞって歌っていた放浪に関する歌と、大昔、駱駝の背に荷物を積んで砂漠の彼方を目指した絹商人たちの物語がサウンドの上で二重写しになった、不思議な出来上がりのナンバーだったのである。

 ちょうどそのあたりから彼のアルバムを聞かなくなっている私なのであって、なんだか騰格爾が、その隊商に加わってタクラマカン砂漠の向こうに行ってしまってそのまま帰ってこない、みたいな錯覚が心中にあるのだが、このイメージは悪くないので、いや、このまま彼の音楽は思い出のうちに眠らせてしまうのが正解でもあろう。(いやまったく、ファンなんて連中は信用が出来ない)