ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

谷山版の”テルー”

2007-03-26 22:51:33 | その他の日本の音楽


 ”テルーと猫とベートーヴェン”by 谷山浩子

 日曜の朝早くのニッポン放送でフォーク歌手のイルカが司会の”イルカのフォーク堂”って番組をやっている。夜昼とっちがえていて明け方寝る私にとっては寝しなに聞く”超深夜番組”となっている。

 かかるのは、ようするに”年老いたフォーク世代”とかを対象にした番組なんでしょうな、70年代とかの懐メロ・フォークの数々で、まるで私の柄じゃない。ない筈なんだが、さすが私も寄る年波か、それともそのような形で何度も聴いているうち聴き慣れてしまったのか、”風と落ち葉と旅人”なんて女の子二人が歌う爽やかフォークかなんかを聴いて、「こんなのも今となっては逆に新鮮だよな」なんて頷いているんだから弱った話ではある。まあ、そんなものを聴きつつ本の2~3ページも読めば寝付いてしまうのだから、許して欲しい。

 そんな具合で、昨日の朝もベッドに入るなりラジオをつけたのだが、その朝はなぜか谷山浩子が司会をしてた。
 谷山のファンの私としては「しめた、司会が谷山に代わったのか」とか喜んだんだけど、それどころではなかった。イルカのダンナがなくなり、急遽、谷山が代理登板なのだそうだ。そりゃ大変だね。
 イルカのダンナと言っても当方、その顔も浮かんでこないのだが、確かもともとは同じグループのメンバーとしてイルカと一緒にステージに立っていたんじゃなかったっけ。とすれば私も”現役の歌手だった時代”に会った事があるのかも知れず。
 そんな同世代の人間たちが親になり、孫が出来て、やがてある日、死んでいってしまう。
 いやあ、時というのは大変な代物だ。

 番組の中で谷山が、「アニメ映画の主題歌にと提供した歌」といって自分のCDをかけた。あの「ゲド戦記」の主題歌の「テルーの歌」だった。ありゃりゃ、あれは谷山の作曲だったのか。
 どうりで、なんか私のアンテナが反応するはずだ。いや、実はあの歌は気になっていて、でもアニメの主題歌に興味を示すのも気恥ずかしくて、聞かないふりをしていたのだ。谷山の歌であるのなら、大手を振って聞けるわけだよな。いや、谷山のファンという事自体がヤバイのか。

 映画に使われた、新人の女の子が歌うヴァージョンは、青春時代にありがちな自閉気味の心象が表に出ていたが、谷山本人の歌はもっとふくよかな人生への賛歌となっていて、オトナとコドモでは、同じ歌でもずいぶん違うものだな。

 とはいえ、デビュー当時の谷山といえば、そんな具合の自閉気味の少女が心の中で育てた幻想世界で見たものを歌っていて、当時、”お兄さん”から”おじさん”の領域に踏み入れかけていた当方としては、認めざるを得ない自分の現実へのはかない抵抗の意味も込めつつ、その現実拒否具合に声援を送る、みたいな気分で彼女の歌世界を贔屓にしていたものだったのだ。

 やがて時は流れ、谷山は・・・確かもう大分前に結婚もしているよな。そして今、盟友(なんだろう、きっと)の不幸に、ピンチヒッターとして引き受けたラジオ番組の司会を如才なくこなして、自分の歌のプロモーションもしっかり紛れ込ませる。
 そして私は、気がつけば谷山の歌を聞かなくなってずいぶんになるのだった。ずっとファンのつもりでいたのだが、そういえば彼女のアルバムを最後に買ったのはいつだったか。別に、ファンをやめたくなるような、何か気に入らないことがあったわけじゃない、時の経過の中で擦り切れていってしまうものもあるということだ。

 いつのまにか。何もかにもが曖昧になって過ぎて行ってしまう。何がいいとか悪いとかではなく。ただもう時の流れの前で、否応もなく。

 「ゲド戦記」の、まだ英語への吹き替え作業も終わっていないフィルムによる試写会がアメリカで行なわれた際、招かれていた原作者のアーシュラ・K・ル・グィンは日本語のままの「テルーの歌」を聴き、「この歌は気に入ったので、英語版にもそのまま残して欲しい」と言ったとか。その願いは聞き入れられたんだろうか。ル・グィンは、あの歌にどのような幻想を見たんだろうか、などと、ふと思った。