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橋本胖三郎『治罪法講義録 』を読む・第一回 総論

2024年03月28日 | 治罪法・裁判所構成法

橋本胖三郎『治罪法講義録 』を読む・第一回 総論

【コメント】
第一回講義のうち「総論」を紹介します。原文には小見出しがありませんが、文が長いと意味を取りにくくなりますので、小見出しを括弧書きで入れました。以下、要約です。
①治罪法の法典は明治以前には存在せず
治罪法は刑事手続きに関する法律です。実体法である刑法には、刑法典が存在したものの、刑事手続きに関する法典は日本では存在しまさんでした。
②明治以降の沿革
刑事手続きに関する法律につき、明治になってから治罪法制定までの沿革を紹介しています。治罪法の公布は、明治13年7月ですが、短期間に刑事手続きにつき改良進歩を遂げたことは、古今の万国の歴史に比しても稀有なことであると著者は述べています。
③治罪法とはいかなる法律か
著者は、治罪法を学理上からの観点において考察し、フランスの法学者の「治罪法は、刑事裁判を組成する法式の集合である」との定義を紹介しています。また、治罪法には、凶悪な犯罪を鎮圧する機能だけでなく、人民を保護する機能があり、両者の機能を考慮することが法の制定、解釈に必要であることを強調しています。
④治罪法と国の政体との関係
自由な政体の国と専制政体の国を比較しています。前者では治罪法の内容が充実しており、人民の自由が尊重されることに特徴があります。
⑤治罪法と国家経済との関係
治罪法は国家の経済にも関係し、例として監獄に関する費用をあげています。



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総論
(治罪法の法典は明治以前には存在せず)
古来我が国の律令においては、刑法典はありましたが、治罪法(刑事訴訟手続き)の法典は存在しませんでした。我が国の制度は、中国を模倣しており、中国が治罪法なるものを制定していなかったからです。
しかし、古来から断獄(刑罰)は存在しており、これに伴う刑事手続きの理は存在しておりました。ただ今日のような法典というものが存在していなかったのです。
特に、覇政(江戸時代)の頃には、哀訴・誤判・再審等が存在していたのであり、治罪の條規に基づいたことは言うまでもありません。治罪法の歴史を研究することは非常に難しい作業であり、多くの時間がかかります。しかし、現行の治罪法を学ぶにはそれほどの必要はありません。よって、維新以後の沿革のみお話ししましょう。
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(明治以降の沿革)
わが国においては、王政維新(明治維新)以降、様々な制度や文物が進歩しました。刑法は明治3年に新律綱領六巻が頒布され、同6年5月には改定律例三巻が頒布されました。同7年には司法警察仮規則が制定され、同8年5月には断罪依証法が発布されました。この断罪依証法は、拷問により自白を取るという野蛮な旧弊を除去する端緒となりました。これは人権を重んじる精神から生まれたものです。法律を学ぶ者は、この法令の発布の日を記憶すべきです。
その後、明治9年に司法警察假規則が改正され、糾問判事仮規則が発布されました。同13年3月に拷問を行ってはならないことが天下に公布されました。
同13年7月には刑法及び治罪法が発布され、同15年1月1日から両法ともに施行されました。
以上が維新後の我が国治罪法の沿革です。
治罪法の改良と進歩は最も著しいものと言わざるをえません。刑法は、往古には大宝律令のようなものもありましたし、覇政(江戸時代)の頃には禁令百箇条(公事方御定書)が設けられておりました。しかし、治罪法は前にも述べましたように、古来法典が存在しなかったのです。僅か数年の間にこのような改良進歩を遂げたことは、古今の万国の歴史に比しても稀有なことです。
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(治罪法とはいかなる法律か)
治罪法とはいかなる法律でしょうか。
形式的には、「公訴私訴の手続き及びこれを裁判する際の規則の集成」といえるでしょう。しかし、学理上からの観察するときは、このような単純なものではありません。
治罪法は刑法による制裁の効力を顕わし、その運用を成すべきものと言えます。刑法だけが制定されていても、治罪法の運用がなければ、刑法の実際の効力は発揮できないのです。刑法と治罪法はお互いに補完し合って、初めてその効果が実際に顕れるものなのです。
有名なフランスの法学者フヲースタンエリー氏の「治罪法は、刑事裁判を組成する法式の集合である」との言葉は、その真意を尽くしているといえるでしょう。
一方、同国の法学者オルトラン氏は次のように説かれています。
「物事を生み出すには、必ずそれを生み出すのに必要な力が存在しなければならない。草木が地上に繁茂するのは、地中の温熱と気候との二つの力に由来するものである。また、湯が沸騰するのは火力に由来している。これらの力を運用するには、順序・方法を整えなければならない。刑法と治罪法の関係においてもこれらと同様である。裁判所及びこれに属する官吏は〈力〉である。予審・公判の手続きは〈順序・方法〉である。その〈結果〉が刑の適用である。」
この説はいい得て妙ですが、一方に偏しているといわざるをえません。治罪法は単に犯罪者を刑罰に処するのみではないからです。治罪法は、凶悪な犯罪を鎮圧するだけでなく、同時に人民を保護するのです。オルトラン氏の説では、治罪法は犯罪者を刑罰に処するためだけに設けられたように見えます。これが、一方に偏すると私が述べる理由です。これに対して、フヲースタンエリー氏の説は、そのような非難を受けることがなく、当を得たものです。
このように理解することで、「治罪法」は名実相適するものとなります。「治罪」という文言は、行刑の意味であり、罪悪を鎮圧するの意味だからです。
フランス語では、治罪法を「コード・ダンストリックション・クリュミネール」といいます。犯罪を治めるところの法という意味です。箕作氏がフランス六法を翻訳するにあたり、「治罪法」という文言を用いたのは、このためです。
治罪法のフランス語案では、「コード・ド・プロセジュール・ペナル」と記載されておりました。これは「刑事訴訟手続法」という意味であり、このような文言が最も適しているといえるでしょう。もっとも、「治罪法」の文言は慣用的に長く使われており、今急にこれを改めると
却って不便を生む可能性があります。私は、「治罪法」を「刑事訴訟手続法」に変えるべきだとの説を唱えるものではありませんが、「治罪法」という文言が甚だ不穏当であると考えております。
聞く所によれば、近年のフランスにおいても、「コード・ダンストリクション・クリミュミネール」という文言は穏当ではないとの議論が起こり、「コード・ド・プロセジュール・ペナル」にすべきだとの主張をする学者が少なくないとのことです。このことも「治罪法」という文字が穏当ではないということの証左となるでしょう。
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(治罪法と国の政体との関係)
治罪法は刑法を実際に運用するものですから、刑法と共に公法に属することは当然です。それゆえ、治罪法はその国の政体と密接な関係を持ちます。人身保護律、家宅不侵入、書信の秘密、一事不再理などの原則は、最も重要なものであり、これらはしばしば各国の憲法で明記されています。そして、これらの原則が実際にどのように適用されるかどうかは、治罪法の制定内容如何に関わっているのです。どのように制定されるかは、政体の良否によって差異が生じます。自由な政体の国では、治罪法の制定が最も充実しており、人民の自由が尊重されます。その例としては、裁判官以外にも民から選ばれた陪審官を置き、事実を認定します。また、また、弁護人に弁論を許し、法廷を公開し、公平を得ようとします。
これに対して専制政体の国では、治罪法の制定は不備であり、陪審官の置かれないことが多く、甚だしいときには弁護人の弁論は禁じられ、法廷の傍聴は許されないことも少なくありません。
このように、治罪法はその国の政体によって寛厳精疎の差が最も顕著なものとなのです。これは治罪法が国家全体の安寧と人民の個々の自由の両方を保持する必要があり、片方に偏することなく、常に中道を得て、双方の保護をしなければならないからです。
国家全体の安寧と人民の個々の自由の両立は容易ではなく、国家の安寧を重んじるときは人民の自由を害することがあり、人民の自由を尊重すれば、国家の安寧を損なうことがあります。
例として、未決拘留者をあげましょう。未決者は、未だ有罪無罪が明らかとなっておらず、彼らの中には無罪で順良の人もいるかもしれません。彼らを捕らえて獄舎に繋ぐのは、その人の自由を奪うものです。しかし、未決拘留を廃止すれば、証拠は隠滅され、犯人は逃走します。良民が安心することはできませんし、国家の安寧を全うすることもできません。
一方で、国家の安寧を保護する点にのみ偏するときは、順良で無罪の人を獄舎に繋ぎ、自由を束縛することとなってしまいます。人民の自由を束縛することが甚しきに至ると、民間百般の事業を妨げるために、一国の衰頹を招きます。こうなりますと、国家安寧を保ち、国民の繁栄を増進するためにある刑罰が、却って国家を害すすることとなります。
これに対して、人民個々の自由をのみ尊重することになれば、その害もまた前者と異なることはないでしょう。
されば、治罪法は人民の自由と国家の安寧とに注目し、決して一方に偏することなく、必ず二者の中道を得るをことを目的とすべきなのです。治罪法を制定する立法者は、この点に注目すべきです。既に制定されている法典を解釈する場合にもこの点に注目しなければなりません。
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(治罪法と国家経済との関係)
治罪法はその制定の如何により国家の経済に大いに関係します。その例として監獄をあげておきましょう。監獄は未決・既決を留置することにより公費が必要となります。その費用の多寡は治罪法の制定如何に関連します。
今回軽罪について控訴が許されたことにより、控訴する者が次第に増え、特に東京控訴裁判所では控訴者がかなり多くなったそうです。その結果、これらの者が東京の監獄署に集まることになり、それに伴い当該監獄署の費用が増加することになります。この費用の増加は東京府民の負担となります。また、新潟において罪を犯した場合、その者を新潟県の監獄署に収容し、その費用は新潟の住民が負担することは理にかなったことです。しかし、控訴がされ、その費用を東京府民が負担することは理にかなったことでしょうか。現にこのことにつき世の中で議論が生じています。
このように、治罪法は一国の経済と関連を有しており、影響は少なくないのです。世の中には刑法や民法のような制裁関係の法を貴び、治罪法・訴訟法等の手続法をを軽視する傾向がありますが、そのような理解は間違いであります。
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