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明治18年塩谷常吉の伊勢参詣日記 福島・栃木・茨城・千葉編

2024年03月23日 | 伊勢参詣日記
明治18年塩谷常吉の伊勢参詣日記 福島・栃木・茨城・千葉編

塩谷常吉(当時22歳)の伊勢参詣日記。塩谷塩谷和子『明治十八年の旅は道連れ』掲載の「常吉道中日記」を現代語訳し、紹介していきます。
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三月七日 #明治18年伊勢参詣
午前九時に猪苗代町を出立。関脇村まで三里。白岩政吉殿方で昼食 。
同村から三里で熱海駅。会津屋五衛門殿方で泊。泊料は十六銭。
(コメント)
・猪苗代町新町で酒造業を営んでいた塩谷常吉(当時22歳)の道中日記です。塩谷常吉の子孫である塩谷和子の『明治十八年の旅は道連れ』に同日記が翻刻されております。
常吉を含め総勢9名で旅に出ます。
・本日の旅程は猪苗代新町(猪苗代町新町)〜磐梯熱海(郡山市熱海町)。グーグル地図では23 km。全て徒歩です。
・今日の宿は「熱海駅」です。「熱海駅」は現郡山市熱海町熱海のこと。静岡県熱海市と区別するため、現在では磐梯熱海と呼ばれています。なお、当時磐梯熱海に鉄道駅はないので(明治31年開業)、「熱海駅」は宿駅の意味です。この時期には鉄道は、ほぼ通っておりませんので、特に記載のないときは徒歩で移動しています。

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三月八日 #明治18年伊勢参詣
熱海を出立。四里で開成山。大神宮を拝す。三河屋徳蔵殿方で昼飯。一里で郡山。公園地を見物した後、海老屋冶衛門方で泊。泊料十八銭也。
(コメント)
・磐梯熱海を出立し、「開成山」へ(開成山大神宮・現郡山市開成)。同神宮は明治9年、安積開拓民の拠り所として、伊勢神宮から分霊して創建された神社ですので、当時からすれば新しい神社です。新名所で伊勢神宮からの分霊ということで、参詣となったのでしょう。
・今日の旅程。熱海(郡山市熱海町)〜郡山(郡山市)。グーグル地図では約15 km。参拝や公園を見物に時間を割いたのか、さほどの移動距離ではありません。明日からは奥州街道に入ります。

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三月九日 #明治18年伊勢参詣
郡山を出立。須賀川(三里九町)、矢吹(二里十八丁)。この間は(人力)車に乗る。筑前屋で昼食。大雪が降ってきた。小田川(二里)、白河(二里廿二丁)。この間も(人力)車に乗る。白河の勇屋祐吉方で泊。泊料十八銭。
(コメント)
・本日の旅程。郡山(福島県郡山市)〜白河(福島県白河市)。グーグル地図では約38キロ。福島県内のほぼ南端まで来ました。明日からは栃木県に入ります。
・日記では「車に乗る」とあるのは、人力車に乗ることです。人力車は明治初年に考案されたものです。日記の書かれた明治18年には普及していたのですね。この旅は基本徒歩ですが、時々人力車も利用しています。
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三月十日 #明治18年伊勢参詣
白河を出立。境の明神社を参拝。白坂へ二里、そこから芦野へ三里。芦野駅で昼食。ここから脇道、関東筋に入る。芦野から五里程で黒羽駅。中屋義衛門殿方へ泊まる。泊料十六銭。
(コメント)
・本日の旅程。白河(福島県白河市)〜黒羽(栃木県大田原市)。グーグル地図では約34 km。福島県から栃木県に入りました。今日は全行程徒歩で、30キロ以上歩いています。現代人にはなかなか考えられない距離です。現代のモータリゼーション&公共交通機関が、長く歩くという習慣を奪ってしまったのですね。
・「境の明神社」は、白河市と栃木県那須町の県境に二社並立している神社の通称。古来より国境を往来する際には両神社を参拝し、道中の安全を祈願したといわれています。現存する社殿は、火災による焼失のため、弘化元年(1844)に再建されたもの。白河市指定史跡。
・奥州街道は、白河→白坂→芦野と来て、→越堀→鍋掛→大田原と行くのですが、一行はこのルートを取らず、芦野から関東筋といわれる脇道に入り、黒羽で泊まります。

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三月十一日 #明治18年伊勢参詣
黒羽を出立。佐良土村まで一里程。そこから
河井村まで那珂川を船で行く。里程八里。河井村から二里陸行し、茂木町。備前屋小八郎殿方に泊。泊料十八銭。
(コメント)
・本日の旅程。黒羽(栃木県大田原市)〜茂木町(栃木県茂木町)。グーグル地図では約42キロ。栃木県を移動し、南端近くまで来ました。明日からは茨城県に入ります。
・「佐良土村」は、現大田原市佐良土(さらど)。ここから那珂川を下る船便があり、「河井村」(現栃木県茂木町河井)まで8里(約32キロ)を船で下っています。船での移動はこの旅でも相応にあり、舟運が暮らしに根付いていた時代であることがわかります。
・佐良土では門前町並屋号宿という取組みを現在行っています。光丸山法輪寺の門前町の繁栄を今に残す取り組みです。

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三月十二日 #明治18年伊勢参詣
茂木町を出立。五里で仏山峠(仏ノ山峠)。同所で昼飯 。そこから笠間まで三里。午後三時頃到着。笠間の稲荷社を参拝。井筒屋彦兵衛殿方泊。泊料十八銭。
(コメント)
・本日の旅程は、茂木町(栃木県茂木町)〜笠間稲荷神社(茨城県笠間市)。グーグル地図だと約23 km。本日は全行程徒歩。距離としては稼げていませんが、途中県境の仏ノ山峠を越えなければなりませんので、結構キツかったかもしれません。
・徒歩での旅行では峠越えは肉体的にもきつく、峠で休憩は自然な流れだったのでしょう。そのため、峠には茶屋があり、昼食も取ることができたのですね。
・午後は、仏ノ山峠から笠間稲荷神社まで。
仏ノ山峠〜笠間稲荷神社はグーグル地図では6.5 km。午後の旅程は距離が短く下りでしょうから、一行にとっても気楽だったのでは。
・笠間稲荷神社。日本三大稲荷に数えられることもある有名な神社です。「井筒屋彦兵衛殿方」は、笠間稲荷神社近くの宿屋。2011年の東日本大震災による被災で廃業。現在は「かさま歴史交流館井筒屋」として明治期の建物が保存されています。
https://www.kasamaidutsuya.com/

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三月十三日 #明治18年伊勢参詣
笠間を出立。水戸の城市まで馬車に乗る(賃金十五銭)。この間五里。十一時頃着。和泉屋文三郎方で昼食。
昼食後、雷神社及び常磐社を拝す。常磐社の後方は公園地で梅木に充ちている。下方に千波湖が見え、風景佳し。
弘道館を見物。寒水石の大石碑あり(高さ二間余、巾九尺位)。水戸市中を見物。役場は甚だ宏大である。
水戸から船で湊まで行き(水戸市内から二里)、蛭子屋藤吉殿方で泊。泊料十六銭。
(コメント)
・本日の旅程は笠間(茨城県笠間市)〜水戸(茨城県水戸市)〜湊(茨城県ひたちなか市)。グーグル地図上で約35 km。本日は水戸までは馬車、初めての馬車の利用ですが、市部では馬車の利用が可能だったようです。料金は5里で一人15銭ですから、人力車に比べると実は高くはありません(人力車6里で16銭払ってます)。
・「雷神社」は、水戸市元山町にある別雷皇太神(べつらい こうたいじん)。つくば市の金村別雷神社、群馬県板倉の雷電神社とともに関東三雷神と呼ばれている神社。
・「常磐社」は常磐神社(ときわじんじゃ)。水戸市常磐町所在。徳川光圀・徳川斉昭を祀っています。常磐神社に隣接して偕楽園があり、日記では「公園地で梅木に充ちている」と記しています。眼下には千波湖が見え、風光明媚です。
・その後、弘道館や役場も見学しており、現代の観光旅行的な雰囲気も感じられますが、やはり寺社の参詣がメインの旅です。
・本日の宿が所在する「湊」は那珂湊(現ひたちなか市)のこと。町村制施行時には那珂郡湊町。その後、那珂湊町→那珂湊市と名を変更し、平成の大合併時に、ひたちなか市となっています。


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三月十四日 #明治18年伊勢参詣
湊を出立。磯浜(湊から一里)の海辺に沿って大洗山社があり。同社を拝す。(人力)車で鉾田まで。里程六里、賃金二十銭。午後一時頃鉾田に着。
午後九時に、沢屋方から利根川(注:北浦の間違い)を蒸気船に乗り大船津に上陸。里程十里位。午後十二時頃 に若松屋方へ着き、同所泊。泊料十一銭(半泊のため)。
(コメント)
・本日の旅程は湊(茨城県ひたちなか市)〜 大船津(現鹿嶋市大船津)。約51 km。茨城県の県央から南部まで来ました。今日の交通手段は徒歩、人力車。蒸気船とバラエティーに富んでいます。
・「磯浜」は磯浜村、現在の大洗町磯浜町。1954年(昭和29年)以前は「磯浜」が自治体名でした。同年に合併して、大洗町となっています。
・「大洗山社」は、大洗磯前神社のこと。太平洋に面した岬の丘上にあります。
・大洗磯前神社から鉾田(現鉾田市)までは6里あるので、人力車。人力車を多く利用しており、この時代旅行には欠かせなかったようです。
・鉾田から大船津(現鹿嶋市大船津)まで蒸気船。蒸気船はこの日記では初出。鉄道がまだ普及していない明治前半には舟運が力をもっていましたが、蒸気船も登場していたことがわかります。
・大船津には鹿嶋神宮一之鳥居があり、鹿島神宮の玄関口。旅館も参道又はその近くにあったのでしょう。なお、現在ある一之鳥居は2013年6月に建てられたもの。


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三月十五日 #明治18年伊勢参詣
大船津を出立。そこから二十丁程で鹿嶋神社あり。その社を参拝す。
利根川を小舟で横切り、津宮に上陸(川里程三里位)。香取神社を参拝す(津宮から十六丁)。同社から二十丁で佐原町。この町はなかなか盛況である。(人力)車で滑川まで(五里)。賃金は二十銭。梅屋道太郎殿方へ泊。泊料十七銭。
(コメント)
・本日の旅程。大船津(茨城県鹿嶋市大船津;鹿島神宮)〜滑川(千葉県成田市滑川)。グーグル地図上では38 km。茨城県から千葉県に入りました。
・茨城県南部といえば、鹿島神宮への参詣は落とせません。鹿島神宮は言わずとしれた常陸国一宮。大船津に一の鳥居があり、神宮までは参道。参道は約2キロ強あり、常吉たちが泊まった宿も参道沿いにあったのでしょう。
・次いで香取神宮へ向かいます。大船津からは利根川を小舟で横切り、津宮(現香取市津宮)に上陸します。津宮鳥居河岸には香取神宮の一の鳥居が利根川に面して立っています。ここが香取神宮への表参道口でした。鹿島神宮も香取神宮も、一の鳥居が水面に建てられており、そこから参道になっています。
・陸上交通が発達途上である明治10年代には、江戸時代と同様、舟運がまだ力をもっていたことがわかります。
・香取神宮から佐原町(現香取市佐原)まで20丁(2キロ強)。この間は徒歩のようです。佐原から滑川(成田市滑川)までの五里(20キロ)は人力車。運賃は宿泊代よりも高く20銭支払っていますが、長旅で疲れないようにするためには必要な投資ということでしょうか。

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三月十六日 #明治18年伊勢参詣
滑川を出立。成田まで五里。成田には十二時に着く。成田山社(成田山新勝寺)を参拝する。その御社は宏壮。 若松屋貞次殿方で昼食。大雨が降って来たため、(人力)車で佐倉まで。佐倉まで三里、賃金は三十銭。駿河屋又兵衛門方へ泊。泊料二十銭。
(コメント)
・本日の旅程。滑川(千葉県成田市滑川)〜佐倉(千葉県佐倉市)。グーグル地図上では24 km。千葉県内を移動し、佐倉まで来ました。本日のメインは成田山新勝寺。
・滑川(成田市滑川)を出発。同地には坂東三十三箇所の滑河山龍正院(滑河観音)があるのですが、日記には記載がないので、素通りのようです。
・滑川から歩いて、成田山新勝寺へ。
・昼食を「若松屋貞次殿方」でとありますが、若松楼という旅館で経営者は土井貞次が正しいようです。若松楼は現在、「旅館若松本店」という名で新勝寺の門前にあります。
・旅館の経営者土井貞次氏は嘉永六年二月 (1853)生まれ。人事興信録にその名あり。明治21年に『成田山独案内』を著しています。
・成田から佐倉までは大した距離ではなく当初は徒歩行を予定したようですが、大雨の為に人力車に変更。三里で運賃30銭と従前よりもかなり高い(一昨日は5里で20銭でした)。

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三月十七日 #明治18年伊勢参詣
佐倉を出立。(人力)車で大和田まで乗る。里程三里二十九丁。賃金二十銭。大和田から船橋まで二里二十丁。船橋の佐渡屋方で昼食。
船橋から(人力)車で東京両国橋まで乗る。里程六里。賃金三十三銭。馬喰町二丁目の會津屋利兵衛殿方へ着いたのは夜八時頃。同所泊。泊料二十五銭。
(コメント)
・本日の旅程。佐倉(千葉県佐倉市)〜両国橋(東京都墨田区)。グーグル地図上では45km。一気に東京に入りました。
・佐倉(佐倉市)を出発し、大和田(八千代市大和田)まで人力車に乗ります。大和田〜船橋(船橋市)までは徒歩。
・船橋で昼食後、東京両国橋まで人力車。6里(24キロ)と記載されていますが、実際は20キロ位。距離の記載は不正確なものが散見されます。
・宿は馬喰町の會津屋。馬喰町に宿があるのは、江戸時代以来の伝統であり、この時期にもまだその伝統が生きています。

猪苗代を出てから11日目で東京に到着。
次回からは東京見物編となります。


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