南斗屋のブログ

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十月亥の日。亥の子のおはぎ 文政11年10月上旬・色川三中「家事志」

2023年10月12日 | 色川三中
文政11年10月上旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。

文政11年10月1日(朔)(1828年)雨
今年の吉事三つ。
①中高津に新田を開き、収穫が増えた
②商売が思いのほか繁盛
③8月27日に子が生まれた(女の子で名前は有美)
一方、いろいろと支払いもある(詳細は訳さず)。
#色川三中 #家事志
(コメント)
商売がうまくいっており、子どもも生まれたので、三中も機嫌が良く、「今年の吉事」を記載しています。一番に新田開発、収穫増をあげており、やはり年貢が最も気になるのでしょう。吉事を書きながら、支払いのことも気になり、あれこれと日記には書いております。

文政11年10月2日(1828年)
・霧が降り、天気朦朧。
・与兵衛と佐助が鹿島への営業に出立す。
・夜、上方の宗伯様を名乗る高額の漢方薬の注文があったが、使いの者がどうも怪しい。確かめたら、文書は偽造であり、危うく詐欺にあうところであった。
#色川三中 #家事志
(コメント)
従業員を鹿島(現鹿嶋市)に営業に行かせており、商売は順調。そういうのを狙うけしからん輩も現れています。危うく高額な漢方薬を詐取されるところでしたが、慎重な三中は文書偽造に気がついて危機を回避しています。

文政11年10月3日(1828年)
本日、色川三中先生休筆につき、三中の日記 (家事志 )は1お休みです。
#色川三中 #家事志

文政11年10月4日(1828年)晴
新宅のお七さまの十七回忌。
白餅一重いただく。
200文分の小椎茸をお贈りした。
#色川三中 #家事志
(コメント)
十七回忌。遺族が白餅を作って配り、それに対して返礼をしています。こういうことができるのは、近くに住んでいるからですね。血縁関係と地域のコミュニティが密接であった時代ならではです。

文政11年10月5日(1828年)
色川三中先生休筆につき、三中の日記 (家事志 )は10月8日までお休みです。
#色川三中 #家事志

文政11年10月6日(1828年)
色川三中先生休筆につき、三中の日記 (家事志 )は10月8日までお休みです。
#色川三中 #家事志

文政11年10月7日(1828年)
色川三中先生休筆につき、三中の日記 (家事志 )は10月8日までお休みです。
#色川三中 #家事志

文政11年10月8日(1828年)
色川三中先生休筆につき、三中の日記 (家事志 )は本日お休みです。明日から再開します。
#色川三中 #家事志

文政11年10月9日(1828年)晴
・亥の日。亥の子のおはぎを木原様と塚本からいただく。
・与兵衛と佐助が鹿島への営業に出立す。
#色川三中 #家事志
(コメント)
「亥の日」は旧暦10月の最初の亥の日のこと。この日に亥の子餅を食べる風習がありますが、200年前の土浦では餅ではなく、おはぎ。色川家では作らなかったようですが、木原様(土浦藩士)からいただいています。



文政11年10月10日(1828年)
竹中七兵衛殿が挨拶に来られた。
先日、ひものやの件の解決に骨を折ってもらったゆえ、300文でブリ一本を贈っておいたので、そのお礼の挨拶。
#色川三中 #家事志
(コメント)
間に入ってトラブルを解決してくれた竹中殿へのお礼の品が興味深い。現代では金銭でのお礼が一般的ですが、江戸時代は殆どが物。三中は魚を贈るのが、こういうときの礼儀と心得ているようです。わざわざ「300文で」と書いているのは、今後の参考とするためでしょう。

ひものやの件の解決(9月13日条)


名主へのお礼
大鯛一枚(400文)(文政10年4月10日条)




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