南斗屋のブログ

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茂原市で歴史講座を聴講

2016年12月11日 | 未分類
茂原市東部台文化会館で開催された
「郷土の歴史文化講座~古文書調査からの発見~」
を聴講。

3回シリーズの第二回目で、演題は「明治維新と房総移封の駿遠諸藩-鶴舞藩から松尾藩まで-」でした。
講師は、
   加藤 時男 氏。

同氏は千葉県文書館古文書調査員をされておられ、最近出版された「藤田嗣治 妻とみへの手紙 1913-1916」の校訂を手がけています。
加藤陽子東大教授から、「崩し字の解読において右に並ぶ者のない歴史家」と評されている(毎日新聞2016年11月13日書評欄)。
また、茂原市立美術館・郷土資料館にて、平成28年度の古文書講座を担当されています。

本日の講義の内容は、「房総移封の駿遠諸藩」。これだけでは、何のことやらわかりませんが、明治維新になってから、駿河や遠江(今の静岡県)にあった藩が房総に移ってきたということ。

その理由は、徳川宗家は明治維新によって将軍職は降りますが、その存続を許され、駿遠地方(今の静岡県)に70万石の領地の所持を許されます。そこで、玉突きでそれらの領地の藩主が房総地方に移封されました。

明治維新後も藩があったんだというところにまず軽く驚きますが、よく考えてみると、廃藩置県というのは明治に入ってからのことですから、それまでは藩が存続していたのは当たり前といえば当たり前です。
明治維新は1867年で、廃藩置県は1871年ですから、明治に入ってからも4年間は藩が存在していたのですね。

本講座では主に鶴舞藩と松尾藩が取り上げられていました。
浜松藩(藩主井上氏)→鶴舞藩
掛川藩(藩主太田氏)→松尾藩
掛川藩の藩主である太田氏は太田道灌の子孫だそうです。

松尾藩は、松尾というのは現在の山武市ですが(旧松尾町)、松尾藩の資料館というものがあり、そこでも松尾藩について知ることができます。


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