レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

右利き・左利き・中間の人

2014-08-13 | 左利き
今日は<国際左利きの日>INTERNATIONAL LEFT-HANDER(')S DAYということで、左利きの話題を。


8月13日<国際左利きの日>については、きのうのこちらの記事を↓
2014.8.128月13日は39回目の国際的な<左利きの日>&LEFTEOUS2014年


右も左もある程度使えるという「両使い」の人とお話していますと、色々と「目からうろこ」的な思いをすることがあります。

たとえば、↓の記事など読めばわかるのではないでしょうか。

1日早いですが国際左利きの日を意識して思うこと

私自身は強度の左利きゆえ、発想がどうしても「左利き視点」になってしまいます。
これは明らかに偏った見方なわけです。

でも、それを言えばもちろん「右利き視点」極端な偏った見方であるはずなのです。
ところが世間的には、これが主流派として「平均的な見方」とされています。
誰もその事実を疑わないのですね、一部の<ひねくれた人>(自嘲気味に!)以外は。


私としてはその辺をなんとかしたいという気持ちがあるわけです。
そこで、「左利きは少数派に留まらない」という意味で、味方を増やす意味合いもあり、より正確な見方をすれば「左利きの要素を持った人はもっと多いはず」という理論で、「中間的な人」の存在をアピールするようになったのです。

学者さんの中にも、「大きく分ければ右か左のどちらかに分類できる」と主張される人がいます。
どちらかといえば、そういう人の方が多いかもしれません。
特に海外の学者さんでは。

そうではない、必ずしも大別では漏れる人がいる。
限りなく判断が難しい人もいるのではないか。

そこで最近では「三分法を取りましょう」という提案をして来たのですね、私は。


一つ指摘しておきたいことは、
私個人としては「右利き・左利き・両利き(両使い)」の三つに分けるのではなく、「右・左・(その)中間」に分けるべきだ、という主張です。

あくまで「両利き(両使い)」ではなく、「(右利きと左利きの)中間」という位置づけです。

自分自身で大きく分けた場合であっても、なお「左」とも「右」とも言いづらいと感じている人に、この「中間」を選んで欲しいと思うのですね。


実際に、過去に聞いた悩みにそういうものがありました。
自分で「左」とも「右」とも決めづらい、かといって「両(利き/使い)」とも言い難い。
 両利きとか両使いといえば、何かしらどちらでもできる印象を持たれる。
 でも、実際は「あれは左でこれは右」といった状態で、左右の利きが混在している。
 すべてにおいてバラバラなのだ。
 自分は何者なのだろう?
―というものです。

ここまで来ると、やはり「中間」です、としか言えないのではないか、と思うのです。
そして、それで悩みが解消できるのなら、これでいいのではないか、と。

たとえ大別にしろ、どっちかに分ける必要はないのではないか。
真ん中は真ん中でいいじゃないか、という提案です。

先に紹介しました記事の方は、実際に左にあれば左手で右にあれば右手で作業するといった、まさに両使いの方だそうです。
もちろん、どちらかでしかできないこともあるのですけれど。
こういう方は、三分類でも、大別しての二分類でも問題はないでしょう。
特に悩むことなく、自分の位置を確認できるでしょう。

でも実際には、もっと複雑な人もいるようで、そういう人のことを考えれば、「中間」というあいまいな分類を追加しておいた方がいいと思うのですね。

万民の幸福の為に、ムダな争いの種は減らすほうがいい!?


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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「8月13日は39回目の国際的な<左利きの日>&LEFTEOUS2014年」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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コメント
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