A Day In The Life

日常のあれこれなどを・・・

Un techo para mi Paisの公式HPの記事より

2008年02月13日 17時04分13秒 | インタビュー(Entrevista)
アイマールの練習情報がないのでイライラ。先週「ボールをもうすぐ蹴るよ」と言っていたじゃないですか。早すぎ!とは思ったけれど、そういう情報もないと、(願っていたようには進んでないのかなあ?)と逆に心配になってしまいます。あっ、Marcaには「レバンテ戦で復帰かも」なんて記事が出ていましたね。でも、どこからそんな情報が?! ボールに触ってもいないのにそんなの絶対に無理です。ちなみに、月曜日はチームの練習はお休みでした。でもパブロはきっと練習をしたはずとアラゴンの新聞をチェックしたのに、どこにも書いてなかったんです。それがMarcaにはちゃんと「チーム練習が休みの月曜日に練習場に行ったただ一人の選手はアイマール。カイはチームを助けようと、ハードに働いている。」と書かれています。この地元紙とのギャップが妙に気になるんですよね。

そういえば、Heraldoにイルレタのインタビューが載っていて、「マトゥザレムが復帰したらどこでプレーさせますか?」と聞かれています。答えは「トップ下か、左サイド。中盤(mediocentro)の選手には見えないし、そちらのほうが活躍できると思う。」ですって。超憂鬱になりました。もっと嫌なのが、Heraldoは、アイマールについては何も聞いていないのです・・・。そりゃマトゥザレムはすごい選手なのでしょうけれど、昨シーズンこのチームでがんばってくれたのはアイマールなのに完全無視って・・・。そういうわけなので、パブロ、焦らないで! 選手生命がかかっているのですから、自分のことだけを考えてゆっくり治してください。焦って取り返しのつかないことになったら、本当に馬鹿馬鹿しいですから。

今日ディエゴ・ミリートの記者会見を読みましたが、シーズン終了後に出て行くんだなと確信しました。言っていることが去年のガビーとほとんど同じです。しかもバルサだという噂ですね。(はっ!! まったくやっていられません。)

あんまりにも憂鬱なニュースばかりなので、ずっと前に訳しておいたパブロのインタビュー記事を載せておきます。:UNA NUEVA CAMISETA PARA AIMAR 去年の末に発見した記事と写真なのですが、1月は手術、VF解任、イルレタ就任と次々にショックなことが多くて、なかなか載せる機会がありませんでした。
例のチャリティー団体「Un techo para mi Pais」のホーム・ページに去年の7月に載ったものです。服装が今の季節にぴったりですが、アルゼンチンでの写真だから7月にセーターを着ているんですね。一番上の写真、とても素敵なのでもっと大きくしてほしかったな、なんて。(パブロは、わりとタートル・ネックが好きですよね。首元がよほど寒いのかな。ときどきちくちくしないのかな?と見ているだけでこちらがちくちく。)

記事のほうはこんな感じです:


アイマールの新しいユニフォーム

スペインのレアル・サラゴサの選手で、アルゼンチン代表の司令塔でもあるパブロ・アイマールがプロジェクトUn techo para mi Pais(母国のための天井)に加わった。ベネズエラで行われたコパ・アメリカに参加後家族と共にリオ・クアルトで休暇を過ごしている選手は、ラジオとテレビのためのコマーシャルの録音に協力した。パブロはtechoのロゴ入りのシャツを着て、カメラを真剣に見つめ、真剣な声で「サッカーで僕たちがそうしているように、貧困のために団結しよう。」と訴えた。彼の参加は有難いもので、貧困と戦うこの団体にすでに協力しているサッカー選手にもう1人が加わったことになる。

外国でプレーをして6年になる28歳のリオクアルテンセ(リオクアルト出身の人)は、アルゼンチン、そして彼の故郷の町が、彼がここを去って以来ずっと良くなっていると言う。
「たぶん毎日ここに住んでいる人は、向上に気が付かないのだろうけれど、外からたまに帰ってくる僕らにはわかるんだ。」
とはいえ、彼はまだ生活の質の向上のために助けと意思を必要としている人々が多くいることを知っている。未だに持っている「少年のような」率直さで、彼は協力をする理由は「個人レベルの満足」のためではないと言うが、一般の人と同じようにその行為からは満足感を覚えている。
「こういう誰かのためにに何かをするということには報いがあるんだ。人生の何かを変えてくれて、満足することが出来る、しばらくしてからのことだけれどね。他の人にできることがあるのだから、それをしなければならない。」

彼は2006年の12月にリオ・クアルトのUn techo para mi Paisと契約した。すぐに彼はプロジェクトを支持し、人々が必要としていた形で協力をした。つまり他の人々と同じように、ボランティアという形で。
「そのアイデアはとても高貴なものに思えた。それだけのために僕はYesと言ったんだよ。その高貴さと、人々が助けを必要としていることによってね。」

このプロジェクトであなたが一番好きなことはなんですか?
「それを必要としている人を助けながらも、援助を受ける人々自身の努力も必要なところ。人々は助けられながらも、自分自身で協力が出来る。願っているだけでなく、行動もしている家族のために協力ができるところが一番気に入っている。それから、若い人々によって行われていることも。完璧なことだと思う。もっと多くのことが若い人々によって行われなければならない、それは基本だと思うよ、良い基本だね。」

パブロは、ハビエル・サネッティ、フアン・パブロ・ソリン、ルーカス・カストロマンと並んで社会活動に最も関わっていると見なされているアルゼンチン人サッカー選手だ。彼は、これをサッカー選手が競技生活で得る名声のせいだと思っている。
「僕らは、幸運ならば35歳で引退をする、もうプレーをすることがなく、人々は僕らのことを知らず、もう召集されることもない。そしてサッカーをしている間には妙なことが起こるんだ。人々は僕らのことを知っている。僕はサインをする。人々は僕らにスパイクをくれて、そのうえそのスパイクを使うとお金を払ってくれるんだ、子供たちは僕らがスパイクを履いているのを見ると、それを買うからといって。すごくおかしなことだよね。でも本当にあることなんだ。サッカー選手はプレーをしている間、そんな風な召集を受ける。だから、そうだね、それをこんな風に利用できればすごくいいことだ。もっと僕らはこういうこと(社会活動)をしていかなければいけないと思う。」

パジャッソはサラゴサでの新しいシーズンのために8月5日にスペインに戻る。12月に帰国して、27日には彼の愛するリオ・クアルトのピッチに赴くだろう。世界レベルで知られているサッカー選手はUn techo para mi Paisがリオ・クアルトのNuevo Hospital財団と共同で企画するチャリティー試合に出場するのだ。他の選手たちは、Matías Oyola, Constanzo Franc, Guillermo Pereyra, Héctor Bracamonte 、そして弟のアンドレス・アイマール。また、アイマールは、リオ・クアルトのテニス選手Agustín Calleriもラケットを持ってピッチにいるかもしれないと言った。
「たぶん試合を見に来た人は入場料に10ペソも寄付しないかもしれない。でも、こういう風にして、そう僕らはやるんだということを示せる。機会を利用しなければ。全ての人が参加することを願っているよ。」

彼はリーベルの、それからスペインのバレンシアのユニフォームを着た。今はサラゴサのユニフォームを着ている。またセレステ イ ブランコの16番をつけてもいる。彼は今日のユニフォームにそれらのどれよりも強い気持ちを抱くかもしれない、連帯のユニフォームに。



美しい記事ですよねえ。パブロが一番愛しているのはもちろんceleste y blancoのユニでしょうけれど・・・。
スパイクのくだりを読んで、アイマールって本当に謙虚というか、善良な心の持ち主だなあと思いました。
この記事の中に何度も出てくる「貧困」という言葉を読んで、やはりスペイン人の選手には理解できないものが南米の選手たちにはあるのだろうという気がします。貧困って、日本でも(たぶんスペインでも)目に見える形ではあまりないじゃないですか。目に見えない形ではもちろんあるけれど。でも、「誰かのために何かできるなら、それをしなければ」という気持ちがあるから、パブロは以前新潟県に義援金を送ってくれたんですね。そのときは少し意外な気がしたものですが、今から考えればパブロらしい・・・。



Una nueva camiseta para Aimar

2008年02月13日 17時03分34秒 | インタビュー(Entrevista)
UNA NUEVA CAMISETA PARA AIMAR

This is an article from summer 2007.

Una nueva camiseta para Aimar




Pablo Aimar, jugador del Real Zaragoza de España y conductor de la Selección Nacional, se sumó al proyecto Un Techo para mi País.


De vacaciones en Río Cuarto junto a su familia, luego de su paso por La Copa América, disputada en Venezuela, el futbolista prestó su colaboración y grabó en nombre de la organización spots publicitarios para radio y televisión.


Así, Pablo con el logo de Un Techo sobre su remera, mirando a la cámara seriamente y en tono grave, expresó la necesidad de "unirnos por la pobreza al igual que lo hacemos por fútbol". Su participación, por supuesto, fue gratuita y se sumó de esta manera a los distintos futbolistas que ya se asociaron a la institución en la ardua tarea de luchar contra la pobreza.


El riocuartense de 28 años, que hace seis años juega en el exterior, manifestó encontrar al país, y su ciudad natal, mucho mejor desde que se fue: "quizás quienes viven acá día a día no notan esas mejorías, pero nosotros desde fuera, y viniendo de vez en cuando, las vamos notando". Sin embargo, no dejó de reconocer que hay aún mucha gente que necesita de nuestra ayuda y compromiso para mejorar su calidad de vida.


Con la simpleza del "chico de barrio" que todavía conserva, expresó que la razón de colaborar no es por una "satisfacción a nivel personal", si bien le resulta gratificante como le sucede al común de la gente. "Estas haciendo algo para alguien al cual le va a beneficiar, cambiar en algo la vida, lo va a hacer estar contento aunque sea por un rato. Hay que hacerlo por lo que le podes brindar al otro", dijo.


Fue contactado en diciembre de 2006 por el equipo de Un Techo para mi País de Río Cuatro. Inmediatamente adhirió al proyecto institucional y se puso a total disposición de la forma en que lo necesitaran. En palabras de él, colaborando de la misma forma en que lo hacen todos, como un voluntario más. "Me pareció muy noble la idea, y dije que sí simplemente por eso, por la nobleza y la necesidad de que haya gente así, que desinteresadamente ayude".


-¿Qué fue lo que más te gustó del proyecto de Un Techo?


- El objetivo de ayudar a quien lo necesita, pero sin perder de vista el esfuerzo propio de la gente que la recibe; van a recibir esa ayuda y también van a cooperar ellos mismos. Esa es la parte que más me gusta, que podes colaborar con familias que no sólo esperan sino que hacen, algo o mucho, para que esa ayuda cumpla el propósito de tener una casa mejor que la que tienen.


Además, la motivación y la idea desinteresada que tienen ustedes de ayudar; que se ve reforzada por ser jóvenes, algo que considero está perfecto. Debería haber más cosas conducidas por gente joven, aunque creo que esto es un principio, un buen principio.


Pablo, al igual que Javier Zanetti, Juan Pablo Sorín o Lucas Castromán por citar algunos ejemplos, se convierte de este modo en otro de los futbolistas argentinos más reconocidos, que se compromete con la acción social. Atribuye este fenómeno a la notoriedad que adquiere el jugador de fútbol durante su vida útil en las canchas. "Nosotros tenemos fecha de caducidad, con 35 años, con suerte, no jugamos más, no nos conoce más la gente, no tenemos más "convocatoria" por llamarlo de algún modo. Y te pasa que durante el tiempo que jugás al fútbol, te suceden cosas extrañas. La gente te conoce. Lo hago gráfico: a nosotros nos dan unos botines y además nos pagan por usar esos botines porque los chicos ven que los usamos y los compran. Es algo muy raro. Pero pasa. El futbolista tiene esa convocatoria durante el tiempo que juega. Y bueno, si la podemos aprovechar de esta manera es muy bueno, creo que deberíamos hacerlo más seguido".


El "payaso" regresará el 5 de agosto a España por una nueva temporada en el Zaragoza, club al que permanecerá unido hasta 2010. En diciembre regresará al país, y más precisamente el 27 saldrá nuevamente a las canchas de su querido Río Cuarto. El reconocido futbolista a nivel mundial, jugará un partido a beneficio que organiza Un Techo para mi País conjuntamente con la "Fundación Nuevo Hospital" de Río Cuarto. Se sumarán a la iniciativa otros jugadores como Matías Oyola, Franco Constanzo, Guillermo Pereyra, Héctor Bracamonte Andrés Aimar - hermano menor del futbolista-, y Martín Cabrera. Aimar, no descarta la posibilidad que también participen compañeros que juegan en clubes nacionales o que estén en el exterior; y se anima a decir que hasta el propio Agustín Calleri, tenista riocuartense, entre a la cancha con su raqueta. "Quizás la gente que vaya a la cancha ese día no donaría los diez pesos de la entrada, pero de este modo podemos hacer que sí lo haga. Hay que aprovecharlo. Espero que todos participen".




Vistió la camiseta de River, la del Valencia de España. Viste actualmente la del Zaragoza. En varias oportunidades, y también hoy, llevó el número 16 en su espalda con los colores celeste y blanco. Hoy se pone una camiseta que le sienta, quizás, aún mejor que todas esas: la camiseta de la solidaridad.