工藤鍼灸院・院長のひとりごと2

真岡市(ハローワーク向かい)
電話 0285(83)3182
あなたの街のはり屋さん
お灸もやってます

偶然でしょ?

2007年02月23日 22時01分01秒 | その他
どうもこんばんは。院長でございます。
本日はですね、あるお話をしたいと思います。おじいちゃんの昔話だと思って、期待しないでお読みくださいませ。先に言っときますが、鍼灸とは一切全然関係ないですよ(^^;)
・・・実はですねぇ、昨日の夜からなのですが、ある昔の体験が脳裏から離れないんです。何でだかわかりませんが、とにかくずーっと気になってしょうがない。
今まであんまり人に話した事ないのですが、これからお話する出来事は全て実話です。
とにかく今日は、誰かに聞いて欲しい。
いや、何となくね。深い意味はないのだけれど。



昔々の話でございます。
あれは僕が幼稚園に入るかはいらないか、という頃。
当時僕は父親の仕事の都合で、北海道の根室という小さな田舎町に住んでおりました。毎日のように近所の公園へ遊びに行き、日が暮れてクタクタになるまで走り回って家路につく、そんな毎日を過ごしておりました。
年端も満たない幼子が真っ暗になるまで外で遊ぶなど、物騒な昨今の世の中では考えられない現実でございます。でも当時はそれが当たり前の光景で、今とは比べようもないほど平和な世の中でございましたよ。

特別野球が好きだったわけではないのですが、当時僕はプラスチック製の青いバットを持っており、これが大のお気に入りでした。母親が黒マッキーを使ってひらがなで大きく『くどうまさひと』と名前を書いてくれまして、その名前入り青バットをどこへ行くにもズルズルと引きずりながら走り回っていたのであります。

そんなある日。

いつもの公園で真っ暗になるまでひとしきり遊び倒しまして、いざ帰ろうかと引きずって来てその辺に放り出していた青バットを探したのですが、これがどこにも見当たらないのでございます。
探そうにも既にあたりは暗闇に包まれておりました。真っ暗闇の中、幼子の僕にはバットがどこへ行ったのか皆目見当もつかず、結局その日は捜索を諦めて家路についたのであります。
翌日、翌々日と、友人達も巻き込んだ大捜索を敢行致しましたが、結局青バットの行方は不明。大事にしていたバットを無くしたショックは大きく、帰り際に犬の糞を踏んづけてダブルショックに見舞われた事を今でも強烈に覚えております。

・・・月日は流れ、8年後。

小学6年生となった僕は根室から100kmほど離れた釧路という街に住み、相変わらず暗くなるまで公園を走り回る少年に成長しておりました。

ある日、いつものように学校から帰るとすぐに家から少し離れた公園で遊び、日が暮れて暗くなると今度は家の横にある広場(今は立派な公園とグランドゴルフ場になってます)でひとり、親戚のおじさんにもらった9番アイアンなど持ち出しまして、暗闇に向かって黙々とアプローチごっこなどしておりました。
真っ暗闇の中、ゴルフボールをバコ~ンと打つのですが、だだっ広いただの空き地ですからそれを回収するために打っては走り、拾い、また打っては走りの繰り返し。何が楽しかったのかよくわかりませんが、当時の僕はかなり元気が有り余っていたのでしょう。毎日のようにそんな事をして遊んでいたのでございます。

その時、あの出来事が起こりました。

ボールを拾おうと駆け出した僕の足元に、何やら棒状の物体が転がっていたのであります。蹴っ飛ばすと、「コンッ」だか「ポンッ」だが、気の抜けた音が。
好奇心旺盛だった僕は早速その棒を拾いまして、近くの外灯から漏れる光を頼りにしげしげとその棒を眺めたのです。

その棒状の物体は、幼い頃に100kmも離れた街でなくした、あの懐かしい青バットだったのでございます。

・・・似たようなバットだったんじゃないのかって?
いいえ。絶対に僕のバットでしたね。
そのバットには大きく「くどうまさひと」と書かれておりましたよ。かすれた文字でしたが、確かに書かれていたんです。はっきりと覚えております。

まだ子どもだったとはいえ、既に小学6年生の僕。その奇妙な出来事には背筋が寒くなりましてね。
少しの間思考回路が混乱し、次第に真っ暗闇の中その状況に恐怖感を覚えて参りましてね。刹那、その青バットをその場へ放り出し、一目散に家路についたのであります。

翌日、やはり昨日のバットの件が気になって仕方がない。気味悪かったのですが暗くなる前にもう一度見に行ってみようと考え、学校から帰るとすぐに家の横にある広場へ走って行きました。
しかし、いくら探してもそこに青バットはなく、昨日放り出して帰った9番アイアンとボールだけが残されていたのでございます。
その後、青バットがどうなったのか全くわからないままです。



世の中にはね、不思議な事があるものです。でもね、それを「バットが会いに来てくれたんだよ」とか、「バットの生霊が・・・」とか、そんな不可思議な非現実的な話に置き換えるつもりは全くありません。
例えば、僕がなくしたバットを拾って大事に持っていた子どもが偶然、僕と同じような経緯で近くに引越ししていたとか。きっと世の中の不思議な事って、全てそんなものだと思うのです。
多くの偶然がたまたま重なった結果、僕は幼少期になくしたバットに8年の時を経て再び触れる事ができた。そう考える方がよっぽど現実的だと思うんです。
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