患者さんのお子さんがもうすぐ高校受験なのだそうでございます。私立は何と年明け早々1月4日から受験が始まるそうで、今年は年末年始どころの騒ぎじゃないと、そんな事を申しておりましたよ。
それでね、お正月に気分転換の意味もこめて合格祈願に行きたいというお話しをしておりましたので、早速ネットで近所の神社を調べてみましたら、芳賀町に天満宮があるそうで。へぇ~、知らなかったなぁ。
皆様ご存知の通り、天満宮には菅原道真が祭られております。道真が優れた学者だったという事で『天満宮=学問の神様』という図式が出来上がったのだそうでございます。
道真といえば・・・数日前に観た歌舞伎『菅原伝授手習鑑・寺子屋』にもお名前が登場しておりました。何だかここ数日、私はこの人と何かの縁があるようでございます(^^;)
でね、気になってちょっとこの人の事を調べてみましたら、非常に興味深い文献を目に致しました。
道真は『菅家後集』に流刑先の南館(榎社)の様子を「わび住まいで身の置き所もない」と記しているそうでございます。住環境としては最悪の場所であったという事なのでしょうけれど、流刑先の地ですし、元々貴族育ちの道真ですからねぇ・・・まぁ彼にとってはお世辞にも住み良い環境ではなかったんでしょうなぁ。長きに渡って無人の地だったので草木も生い茂り、建物は朽ち果てて雨漏りし放題。垣根は壊れ、井戸も枯れていたそうでございます。
そんな環境に置かれた道真は早速胃を壊し、脚気を発症致します。さらに皮膚病にまで罹患し、心身ともに限界まで追い詰められた状態だった様子がうかがえます。道真は意外と精神的に弱かったようでございますねぇ。
道真はこれら体調不良の治療の様子を「石を焼いて胃管をあたたむ、この治遂に験なし」と記しているそうでございます。つまり焼いた石でお腹を温めていたというのですが、実はお灸の原始的な形がこのようなものでございました。
日本に中国医学が伝来したのは562年と言われております。道真が生きていた平安時代(794~1185年)になると朝廷の図書館には中国医学書が蓄えられており、鍼灸も盛んに行われておりました。焼き石でお腹を温めるという治療をしていたという事から、道真には少なからず中国医学の知識があったのかも知れませんし、庶民の間でもこのような治療法が盛んに行われていたのだと思います。
道真は何とか胃の具合を回復させようと試みたようですが、「この治遂に験なし」というのですから治らなかったのでしょう。
では、なぜ治らなかったのか?
これは私の勝手な想像なんですけどね。
道真の症状は腎虚による胃熱が原因の胃痛だったんじゃなかろうかと、そんな風に考えております。
脚気もそうですが、足が弱るっていうのは腎虚がある証拠です。慣れない暮らしによるストレスも加わって胃潰瘍や十二指腸潰瘍を発症していると考えれば、腎虚による胃熱があったとも推測できます。
腎虚による潰瘍は非常に治りにくい(こじれている)場合が多いため、お腹を温めて胃熱を発散しようとしても発散し切れなかったのではないでしょうか。
ま、どーでもいいや(^^;)
はい、ここまで読んでくれた受験生はみんな合格(笑)。
何といっても今の私には道真との深い縁がございますからねぇ。
合格間違いなしですよ。
それでね、お正月に気分転換の意味もこめて合格祈願に行きたいというお話しをしておりましたので、早速ネットで近所の神社を調べてみましたら、芳賀町に天満宮があるそうで。へぇ~、知らなかったなぁ。
皆様ご存知の通り、天満宮には菅原道真が祭られております。道真が優れた学者だったという事で『天満宮=学問の神様』という図式が出来上がったのだそうでございます。
道真といえば・・・数日前に観た歌舞伎『菅原伝授手習鑑・寺子屋』にもお名前が登場しておりました。何だかここ数日、私はこの人と何かの縁があるようでございます(^^;)
でね、気になってちょっとこの人の事を調べてみましたら、非常に興味深い文献を目に致しました。
道真は『菅家後集』に流刑先の南館(榎社)の様子を「わび住まいで身の置き所もない」と記しているそうでございます。住環境としては最悪の場所であったという事なのでしょうけれど、流刑先の地ですし、元々貴族育ちの道真ですからねぇ・・・まぁ彼にとってはお世辞にも住み良い環境ではなかったんでしょうなぁ。長きに渡って無人の地だったので草木も生い茂り、建物は朽ち果てて雨漏りし放題。垣根は壊れ、井戸も枯れていたそうでございます。
そんな環境に置かれた道真は早速胃を壊し、脚気を発症致します。さらに皮膚病にまで罹患し、心身ともに限界まで追い詰められた状態だった様子がうかがえます。道真は意外と精神的に弱かったようでございますねぇ。
道真はこれら体調不良の治療の様子を「石を焼いて胃管をあたたむ、この治遂に験なし」と記しているそうでございます。つまり焼いた石でお腹を温めていたというのですが、実はお灸の原始的な形がこのようなものでございました。
日本に中国医学が伝来したのは562年と言われております。道真が生きていた平安時代(794~1185年)になると朝廷の図書館には中国医学書が蓄えられており、鍼灸も盛んに行われておりました。焼き石でお腹を温めるという治療をしていたという事から、道真には少なからず中国医学の知識があったのかも知れませんし、庶民の間でもこのような治療法が盛んに行われていたのだと思います。
道真は何とか胃の具合を回復させようと試みたようですが、「この治遂に験なし」というのですから治らなかったのでしょう。
では、なぜ治らなかったのか?
これは私の勝手な想像なんですけどね。
道真の症状は腎虚による胃熱が原因の胃痛だったんじゃなかろうかと、そんな風に考えております。
脚気もそうですが、足が弱るっていうのは腎虚がある証拠です。慣れない暮らしによるストレスも加わって胃潰瘍や十二指腸潰瘍を発症していると考えれば、腎虚による胃熱があったとも推測できます。
腎虚による潰瘍は非常に治りにくい(こじれている)場合が多いため、お腹を温めて胃熱を発散しようとしても発散し切れなかったのではないでしょうか。
ま、どーでもいいや(^^;)
はい、ここまで読んでくれた受験生はみんな合格(笑)。
何といっても今の私には道真との深い縁がございますからねぇ。
合格間違いなしですよ。