修復前の弘法大師像は頭部が剥げ落ち無惨な姿だった
川村さん夫妻らによって見違える姿に修復された
日高川町猪谷の温泉療養館上流に位置する妹尾集落(上初湯川)の林道沿いにある美山地区で最も大きい造像と伝わる弘法大師像を、同地に移住してきた夫妻らが修復して蘇らせた。この坐像は18世紀末に造られたとされるが、歳月が経ち、風雨などで頭部が剥げ落ち朽ち果てた姿だった。それを見た夫妻と知人らが8カ月かけて修復作業を行い、見違える姿になって鎮座している。
温泉療養館前の猪谷川からさらに上流にある山深い場所にある集落。かつては多くの住人がいたが、昨年初めまで無人となっていた。そんな中、4月に川村泰英さん(37)、章乃さん(30)夫妻が香川県から移り住んできた。夫妻は、お遍路参りで最後に高野山を訪れたことがきっかけで和歌山県への移住を決心。妹尾にやってきたあと、古びた祠と坐像があるのに気づき、それが弘法大師像だと知った。高野山を訪れたことが縁で妹尾に移り住んだ夫妻は、坐像を修理することを決意したという。
当初は、解体するような考えはなかったが、仏画を描く友人の助言や高野山大学にいる仏像修理の専門家に説明を受けるうちに自分たちでもやれると判断。彫刻家の知人ら10数人が加わって昨年10月中旬から作業を始め、8カ月間かけて今年6月に完成し、地元の住職による開眼法要とお披露目も行われた。泰英さんは「知人らの協力があって、想像していた以上に修復ができました。住民は私達しかいませんが、妹尾出身の人たちや地域の人たちに立ち寄ってお参りして頂ければうれしい」と話した。
この弘法大師坐像は、江戸時代後期に造像されたと伝わり、頭部が縦約29センチ✕幅20センチ、肩幅は42センチあり、人体と変わらない像高80センチの坐像。僧衣に袈裟を変えた姿で、左手には膝上に念珠を持っている。旧美山村史によると、この地には「鶴の湯」という冷泉があり、大師像を祭った。明治の始め頃まで栄えたが、客も少なくなり、大師像に代わって薬師像を迎えた。大師像は魂をぬいて、約300メートル下の滝の上に捨てたが、薬師像の祝宴を催していた際に僧侶の姿が見えなくなり「わしの行くところがない」と言ってうずくまって居たという。これが大師像の思いだと、背中に背負って妹尾に移され、その後の林道改修で現地に祠を建てて祭られたと伝わる。
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