主郭部の調査区域(下部の写真は西側堀切)
調査で出土、表採した遺物
御坊市教育委員会は24日、これまで明確な遺構がないことから幻の山城とされていた戦国時代の高城山(たかじさん)城が、今月上旬から行っていた発掘調査で実在していたことを確認したと発表。城跡は御坊市と印南町の境界にあり、室町幕府奉公衆の亀山城主湯川氏重臣で湯川四天王の一人、湊氏の居城だった記録が残っている。調査で堀切や帯曲輪、柱穴などを確認し、15世紀代の遺物も見つかり、郷土城郭史に新たなページを刻み込んだ。
高城山城跡は御坊市名田町楠井と印南町津井、印南原にまたがる標高約240メートルの高城山頂上付近に築かれた山城。江戸時代の「紀伊続風土記」や「日高鑑」では湯川四天王の一人、湊氏の居城であったとの記録が残り、地元でも山城があったとの言い伝えが受け継がれているが、これまで明確な遺構が確認できていなかったことや、高城山を「たかじさん」と読むことから専門家の間で「寺が存在したのではないか」との説があるなど城跡を疑問視する意見もあったという。
県の埋蔵文化財包蔵地所在地図にも、その存在は記載されておらず、まさに「幻の山城」。地元では髙城山保存会が長年、草刈り作業や看板設置など顕彰活動を続け、発掘調査の要望があったことから御坊市、印南町両教育委員会が城跡の確証を得るため、今月4日から市教委埋蔵文化財専門職員の川崎雅史さんを中心に発掘調査を行っていた。
頂上部に設けた幅1・5メートルの溝状の調査区(約135平方メートル)で行い、東西約30メートル、南北約20メートルの主郭を置き、そこから西側に延びる尾根部に堀切、主郭下の北斜面から東斜面に帯曲輪を確認。主郭部には掘立柱建物の柱穴(直径20~30センチ、深さ20~50センチ)が20基以上見つかった。岩盤を掘削した堀切は幅約5メートル、深さ約1・9メートル。帯曲輪は幅3メートル、総延長約60メートル。
斜面を駆け上がってくる敵に対して準備した投石と考えられる10~20センチ大の礫(れき)が集中して出土した箇所があるほか、調査で出土、表採した遺物は土師器や備前焼、常滑焼などの水がめ、中国製の青磁・白磁など高級品もあった。いずれも15世紀代のもので、見張りの兵が城に詰めるだけでなく、城主クラスも生活や儀式などを執り行っていたと考えられる。
防御の観点から現在、地蔵堂が建つ平坦部も城の一部で、その下に堀切があった場合、城域は南に広がり、規模は東西約70メートル、南北約230メートルとなる。文献記述にある湊氏の城であった可能性は高いが、熊野古道を把握して湯川氏領域を見渡せる立地場所、湯川氏同族以外の家臣が山城を築く例が少ないことから湯川惣領家の城だった可能性も考えられるという。
29日に現地説明会
市教委は「今回の調査で山城だったことが明確になった」とし、29日午後に現地説明会を行う。市教委、印南町教委、髙城山保存会の共催。午後1時30分に下楠井集出荷場駐車場に集合。山頂中腹まで送迎後、現地まで山道を20分程度歩く。申込不要。小雨決行。足元が悪いため、動きやすい服装で参加するよう呼びかけている。
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