「母校」に応援を見る
母校
私はひとつの学校に長く勤務する主義で、そのため35年間の教員生活で経験した学校は全部で5つである。ひとつの学校に平均7~8年勤務ということになる。初めのふたつが小学校で残ったみっつが中学校だ。
昨日、前々任校(最後から二つ目の学校)の柏市立豊四季中学校の体育祭を、もちろん午後一番目のプログラム「応援合戦」を見るためにに出掛けた。この応援合戦、大体が午後一の種目としてとりあげるところが多い。始まりの引き締め効果大ということでそうなるのだろう。私は中学校に勤務していた殆どの期間、応援団の担当をした。自分で言ってしまって恥ずかしいが「琴寄先生が○○中学校の応援を作ったんです」と、色々な先生が言ってくださった。使命感とか、仕事好きとかではない。応援が好きで好きでしょうがないだけだ。体育祭が終わると「冬眠します」と私はよく周りに言いふらした。
今年、この学校に着任した校長は、私が現役の時ずいぶん理解をいただいた校長で、是非顔をみたいということもあった(大丈夫かな、こんなこと書いて)。まだ知っている先生も何人かいたはずだ、ということもある。
さて、この豊四季中学校の校歌、なかなかいい。感動ものである。四部からなる合唱型式で、ちゃんとバスはバスという役割を持った歌詞とメロディだ。校歌というジャンルにありがちな「生徒というものに必要な義務や任務」とかいったありきたりで押しつけがましい言葉が極めて控えめだ。たとえて言えば多くの校歌(全部ではない)には「努力」「助け合い」やら「永久の友情」とか、むき出しの「学校的性善説」が闊歩しているのだ。これが小学校だと「分かり難い」そしりを免れるために、という理由なのだろうが、もう赤面しないと歌えない歌詞まであって困ったこともある。もちろん私は歌いましたよ。大きな声で。当たり前でしょ。また、それはそれで、しかるべき場所で使われれば、思い出が蘇り感動するという必要不可欠な小道具なのだし。
じゃ、一番だけを
ひと筋の道をひたすら/御祖先らが 拓きし野なり/みよ 里の栄えを そのままに/胸張りて夢豊か 豊四季中学/君と立つ われと立つ ここに立つ
このように私が勤務していた頃はまだ田畑があって、正門前の70メートルくらいの直線路の両脇は見事に畑だった。だから私は毎朝心置きなく「今日こそは正門前100キロを出すぞ!」とバイクのエンジンを全開にした。しかし今、それらの田畑は見事に消え、近隣はモラージュ街のような賑わいである。店と住宅がひしめく道はいつも渋滞となった。それでも、今も校歌を合唱する生徒は、この歌詞にある懐かしさを見いだすはずだ。三番の「渡る風」の部分をバスが担当する間、女声部は「輝きてさわやかに」を歌いきってしまう。まるで、女子は風に乗っているかのような感覚に陥る(もちろん、生徒の状態がひどい時はこうならない)。
とまあ、こんな具合だ。校庭をめぐる木は桜でなく柳という珍しい敷地のすぐ外側を東武線の電車が走り抜けていく。それを見上げての体育祭だ。
応援
興味のないひとにはどうでもいい話なのだが、応援のポイントを言いたい。でもこれはこれで仕事や生活上の「技」を示していて面白いとは思うけど。
応援合戦の応援には「物語」が必要とされる。「風林火山」でも「となりのトトロ」でもいい、主役、主になる流れが必要だ。しかし、もっと大事なものは「リズム」「めりはり」である。物語(仕事と言っても差し支えない)全体を捉え伝えようとする余り、私たちは「先」を考え、早くそこに到達しようと思う、または早く伝えたいと思う。そうして「現在(いま)」を台無しにしてしまう。下手な役者が長い台詞を言うと妙に居心地が悪く、何を言っているのかよく分からない時があるが、それはそういう欠陥を持っているからだ。
空手の型になぞらえると、近代空手にありがちな型の解釈は多くが「ひと通り」である。空手の型はそれが古ければ古いほど、その意味することが実に多義に渡っていて、実は型を分解した時にも、その分解した一片一片がそれぞれが独立した技の世界を作っている。しかし、近代空手の型は物語としても技としても「ひとつ」しか持っていないという欠陥を持っている。「受け」た後に「攻(反)撃」という単純なものでなく、かつてよく言われた「受けが同時に攻撃である」といったものを含んでいる。それが古流の型である。技のひとつひとつの成否に生死がかかっていた。技のひとつひとつという「現在」の向こう側に「生死」の決着が待っていたと言ってもいい。それを「リズム」という言い方でくくるのは許されないが、応援の場合、それが分かりやすいかと思う。
具体的にエールで考えてみよう。「フレーフレー、赤組」と団長が音頭をとる。そのあと団全体が追う。その全体が追うまでに到る一瞬の「間」は、発声までの最後の「詰め(溜め)」であり、全体のまとまりの「見極め」としてある。しかし、その「詰め」であるはずの「間」が(中)学校の応援の場合、当初は「ためらい」となる。そうしてだから仕方なく、団長の「ソレー」の「付け足し」合図が出てきた。それでも「ためらい」が続いて仕方なく、さらにそこに「オーリャ」を付け加えたりする団長もいた。しかし、本当は両方いらない。「ためらい」を「溜め」にしていくこと、それが本当は「応援団としての集団性」を作る醍醐味なのだ。「ためらい」が「詰め(溜め)」に変化する時、生徒(子ども)たちの中に変化が起こる。その時「大きな声」は「轟き」に変化している。子どもたちの顔は今までと違ってくる。グラウンドも顔つきを変える。
練習前、集中しないと怪我をする、という注意を学校的に言う。しかし、逆なのだ。怪我を警戒することで集中出来るわけではない。「場所」を把握しよう、把握したいという気持ちが集中には不可欠なのであって、怪我に注意を向けることはひっくり返っている。
ついでに応援に関係ないが、「付け足しのオーリャ」で思い出したので、ずっと中学校にいて気になっていたことをひとつ。授業でのあいさつが今は全教科で「お願いします」「ありがとうございました」となっているのは一般的に知られているのだろうか。ありゃなんだろうか。無言で、座ったままでもやってもいいと思うけど、または「こんちわ」でもいいと思うけど、ありゃなんだろか。「真剣勝負なのだ」とでも言うのだろうか。小学校の教員をやっていた時、体育の授業だけは私も「お願いします」「ありがとうございました」を言ってた。「やったね、ついに体育だ!」「頑張ろうぜ!」のノリだったが、そんなノリで中学校の先生たちは全教科やっていたのだろうか。いや、絶対そんな風には見えなかった。子どもたちに授業をしっかりと受け止めさせること、生徒に社会がどういうものであるかを教える手だてのひとつとしてet、どうでこうでと来そうだ。だったら英語の先生は「good morning!」だの、「good afternoon!」だのと、えらい軟弱だとでも言うのか? 大体今風に子どもたちは起立しないだの、あいさつは教師の声ばかりが響いているだのが趨勢であるというのが皮肉だ。この起立を徹底させ、着席の不揃いを嫌うことから出てきた(と言っても一部かと思う)のが、礼のあとに「1!2!3!」と「付け加え」を言わせて座らせている学校(教師)の存在だ。面白いでしょ?
終わって校長先生は私のところまで来て、「いやあ、先生やっていた頃の応援から比べると…」と言ってくれた。しかし、炎天下での華やかな応援団の学ラン。この日ばかりは女子の応援団も男子の、それも拝借したい男子の学ランを着用し、輝いている。校庭にこだました声。「気」をたくさんいただいて、私は校庭から門に向かっている階段を上った。そうだ、懐かしい二人の先生にも会えたんだっけ。
母校
私はひとつの学校に長く勤務する主義で、そのため35年間の教員生活で経験した学校は全部で5つである。ひとつの学校に平均7~8年勤務ということになる。初めのふたつが小学校で残ったみっつが中学校だ。
昨日、前々任校(最後から二つ目の学校)の柏市立豊四季中学校の体育祭を、もちろん午後一番目のプログラム「応援合戦」を見るためにに出掛けた。この応援合戦、大体が午後一の種目としてとりあげるところが多い。始まりの引き締め効果大ということでそうなるのだろう。私は中学校に勤務していた殆どの期間、応援団の担当をした。自分で言ってしまって恥ずかしいが「琴寄先生が○○中学校の応援を作ったんです」と、色々な先生が言ってくださった。使命感とか、仕事好きとかではない。応援が好きで好きでしょうがないだけだ。体育祭が終わると「冬眠します」と私はよく周りに言いふらした。
今年、この学校に着任した校長は、私が現役の時ずいぶん理解をいただいた校長で、是非顔をみたいということもあった(大丈夫かな、こんなこと書いて)。まだ知っている先生も何人かいたはずだ、ということもある。
さて、この豊四季中学校の校歌、なかなかいい。感動ものである。四部からなる合唱型式で、ちゃんとバスはバスという役割を持った歌詞とメロディだ。校歌というジャンルにありがちな「生徒というものに必要な義務や任務」とかいったありきたりで押しつけがましい言葉が極めて控えめだ。たとえて言えば多くの校歌(全部ではない)には「努力」「助け合い」やら「永久の友情」とか、むき出しの「学校的性善説」が闊歩しているのだ。これが小学校だと「分かり難い」そしりを免れるために、という理由なのだろうが、もう赤面しないと歌えない歌詞まであって困ったこともある。もちろん私は歌いましたよ。大きな声で。当たり前でしょ。また、それはそれで、しかるべき場所で使われれば、思い出が蘇り感動するという必要不可欠な小道具なのだし。
じゃ、一番だけを
ひと筋の道をひたすら/御祖先らが 拓きし野なり/みよ 里の栄えを そのままに/胸張りて夢豊か 豊四季中学/君と立つ われと立つ ここに立つ
このように私が勤務していた頃はまだ田畑があって、正門前の70メートルくらいの直線路の両脇は見事に畑だった。だから私は毎朝心置きなく「今日こそは正門前100キロを出すぞ!」とバイクのエンジンを全開にした。しかし今、それらの田畑は見事に消え、近隣はモラージュ街のような賑わいである。店と住宅がひしめく道はいつも渋滞となった。それでも、今も校歌を合唱する生徒は、この歌詞にある懐かしさを見いだすはずだ。三番の「渡る風」の部分をバスが担当する間、女声部は「輝きてさわやかに」を歌いきってしまう。まるで、女子は風に乗っているかのような感覚に陥る(もちろん、生徒の状態がひどい時はこうならない)。
とまあ、こんな具合だ。校庭をめぐる木は桜でなく柳という珍しい敷地のすぐ外側を東武線の電車が走り抜けていく。それを見上げての体育祭だ。
応援
興味のないひとにはどうでもいい話なのだが、応援のポイントを言いたい。でもこれはこれで仕事や生活上の「技」を示していて面白いとは思うけど。
応援合戦の応援には「物語」が必要とされる。「風林火山」でも「となりのトトロ」でもいい、主役、主になる流れが必要だ。しかし、もっと大事なものは「リズム」「めりはり」である。物語(仕事と言っても差し支えない)全体を捉え伝えようとする余り、私たちは「先」を考え、早くそこに到達しようと思う、または早く伝えたいと思う。そうして「現在(いま)」を台無しにしてしまう。下手な役者が長い台詞を言うと妙に居心地が悪く、何を言っているのかよく分からない時があるが、それはそういう欠陥を持っているからだ。
空手の型になぞらえると、近代空手にありがちな型の解釈は多くが「ひと通り」である。空手の型はそれが古ければ古いほど、その意味することが実に多義に渡っていて、実は型を分解した時にも、その分解した一片一片がそれぞれが独立した技の世界を作っている。しかし、近代空手の型は物語としても技としても「ひとつ」しか持っていないという欠陥を持っている。「受け」た後に「攻(反)撃」という単純なものでなく、かつてよく言われた「受けが同時に攻撃である」といったものを含んでいる。それが古流の型である。技のひとつひとつの成否に生死がかかっていた。技のひとつひとつという「現在」の向こう側に「生死」の決着が待っていたと言ってもいい。それを「リズム」という言い方でくくるのは許されないが、応援の場合、それが分かりやすいかと思う。
具体的にエールで考えてみよう。「フレーフレー、赤組」と団長が音頭をとる。そのあと団全体が追う。その全体が追うまでに到る一瞬の「間」は、発声までの最後の「詰め(溜め)」であり、全体のまとまりの「見極め」としてある。しかし、その「詰め」であるはずの「間」が(中)学校の応援の場合、当初は「ためらい」となる。そうしてだから仕方なく、団長の「ソレー」の「付け足し」合図が出てきた。それでも「ためらい」が続いて仕方なく、さらにそこに「オーリャ」を付け加えたりする団長もいた。しかし、本当は両方いらない。「ためらい」を「溜め」にしていくこと、それが本当は「応援団としての集団性」を作る醍醐味なのだ。「ためらい」が「詰め(溜め)」に変化する時、生徒(子ども)たちの中に変化が起こる。その時「大きな声」は「轟き」に変化している。子どもたちの顔は今までと違ってくる。グラウンドも顔つきを変える。
練習前、集中しないと怪我をする、という注意を学校的に言う。しかし、逆なのだ。怪我を警戒することで集中出来るわけではない。「場所」を把握しよう、把握したいという気持ちが集中には不可欠なのであって、怪我に注意を向けることはひっくり返っている。
ついでに応援に関係ないが、「付け足しのオーリャ」で思い出したので、ずっと中学校にいて気になっていたことをひとつ。授業でのあいさつが今は全教科で「お願いします」「ありがとうございました」となっているのは一般的に知られているのだろうか。ありゃなんだろうか。無言で、座ったままでもやってもいいと思うけど、または「こんちわ」でもいいと思うけど、ありゃなんだろか。「真剣勝負なのだ」とでも言うのだろうか。小学校の教員をやっていた時、体育の授業だけは私も「お願いします」「ありがとうございました」を言ってた。「やったね、ついに体育だ!」「頑張ろうぜ!」のノリだったが、そんなノリで中学校の先生たちは全教科やっていたのだろうか。いや、絶対そんな風には見えなかった。子どもたちに授業をしっかりと受け止めさせること、生徒に社会がどういうものであるかを教える手だてのひとつとしてet、どうでこうでと来そうだ。だったら英語の先生は「good morning!」だの、「good afternoon!」だのと、えらい軟弱だとでも言うのか? 大体今風に子どもたちは起立しないだの、あいさつは教師の声ばかりが響いているだのが趨勢であるというのが皮肉だ。この起立を徹底させ、着席の不揃いを嫌うことから出てきた(と言っても一部かと思う)のが、礼のあとに「1!2!3!」と「付け加え」を言わせて座らせている学校(教師)の存在だ。面白いでしょ?
終わって校長先生は私のところまで来て、「いやあ、先生やっていた頃の応援から比べると…」と言ってくれた。しかし、炎天下での華やかな応援団の学ラン。この日ばかりは女子の応援団も男子の、それも拝借したい男子の学ランを着用し、輝いている。校庭にこだました声。「気」をたくさんいただいて、私は校庭から門に向かっている階段を上った。そうだ、懐かしい二人の先生にも会えたんだっけ。