瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

桜橋~神田川の源流を訪ねて~その6

2019年04月14日 00時19分41秒 | 旅の覚書
前回に続いて神田川を遡り、架かる橋を訪ねて行きます。
小石川橋が架かる地点より暗雲の如く天を覆った首都高速5号池袋線は、下流から数えて27番目の江戸川橋までピッタリ付いて剥がれる事は有りません。
景観の悪さを嘆きつつ川沿いに歩いて行くと、飯田橋駅前で更なる苦難に襲われる。


↑飯田橋名物「ペデストリアンデッキ」、巨大歩道橋。(この写真は隆慶橋方面から撮った物)

 
ペデストリアンデッキとは、広場と横断歩道橋の両機能を併せ持ち、建物と接続して建設された、歩行者の通行専用の高架建築物である。(ウィキより引用)
これが出来たお陰で駅から信号待たずに各道へ渡れるのは良いけど、その代わり下の道はほぼ車優先で歩行者はちんたら歩いて居られなくなった。
外堀通りと目白通りと大久保通り、3本の大通りが交わる飯田橋交差点は、上に下に車が走る3層構造になっており、外から来る人間を戸惑わせます。
つうかエスカレーター設置しないと、お年寄りや体の弱い人には辛いよね…。


↑満開の桜が歩道橋上まで枝を伸ばしており綺麗でした。

●下流から数えて15番目の橋…船河原橋 
写真後方に写っているのはJR飯田橋駅のホーム。
昔は水道橋から船河原橋の在る辺りまで河岸だったそう。
岩瀬市兵衛の屋敷が建ってた事から、「市兵衛河岸」との地名が付けられたとの由来書き看板が、小石川橋~船河原橋間に立ってました。
船便の荷物を揚げる船着場が在ったりしたそうで、「船河原橋」と言う名前は恐らくそこから由来している。

 
神田川と外濠が分岐・合流する地点に架かる橋。
外濠に架かる方が、駅名にもなってる「飯田橋」…非常に紛らわしい。
どっちが飯田橋で、どっちが船河原橋なのか、地図で確認しないと判らないよ…。


↑船河原橋下流側の眺め、上流側には巨大歩道橋を渡らないと行けません。

⭐船河原橋付近の立ち寄りスポット…ベッカーズ飯田橋東口店

脳が酸素不足になりそうで、ちと休憩を取る事に致しました。
飯田橋東口に在るハンバーガーショップ、営業するのはJR東日本グループです。
ベッカーズバーガーが結構美味しい…オーロラソースを使用してた以前は、もっと美味しかったけど。
トイレとか大分痛んでるんで、リニューアルして欲しい。


↑船河原橋上流側の眺め。
橋名看板かかる目白通りへ向かう橋のみ「船河原橋」と認識してたのですが、ネットで調べたたところ、飯田橋を挟みⅤ字に分かれた橋とセットで「船河原橋」だそうです。(→http://www.mport.info/kandagawa/bridges/k/funagawarabashi.html)
1セットの橋が在るなんて…魔女っ娘チックルのエンディングが脳内に流れる中年アニオタであった。(チックル知らない人はネットで検索してください)
神田川は船河原橋が架かる地点で殆ど直角に流れを変えます。
上を走る首都高速道も、神田川に影の如く張り付いて方向を変えます。

●下流から数えて16番目の橋…隆慶橋 
橋名は徳川秀忠&家光の秘書役だった、大橋隆慶に由来するそう。
彼の「大橋」と言う名字は、橋に名前が付けられた事で、以後そう呼ばれる様になったのだろうか?
それとも元より「大橋」姓だったのか?

 
嘗ての偉い人から名前を貰った橋なのに、見ての通り痛みが激しく綺麗じゃない。
首都高速道に覆われ、晴れていても薄暗い…神田川に架かる橋中、最も悲惨な境遇に在る気が致します。
天国の隆慶殿もお嘆きであろう。


↑隆慶橋下流側の眺め、以前は船河原橋~隆慶橋との間に、橋が架かってた様なのですが…。


↑隆慶橋上流側の眺め。
…どっちを向いても景色が悪い。(汗)
ぶっちゃけ下流から数えて27番目の江戸川橋までは、首都高速のせいで景色が悪いので、覆いが取れるとこまでサクサク参ります。(でなきゃ夏になっちゃうし…)

●下流から数えて17番目の橋…新隆慶橋 

 
6車線も有る大きな橋、都道に繋がる為、車の往来が非常に激しい。




↑新隆慶橋下流側の眺め、側には可哀想な隆慶橋。


↑新隆慶橋上流側の眺め。

●下流から数えて18番目の橋…白鳥橋 
昔はここらに池が在ったそうで、橋名はそこから付けられたもよう。


神田川がこの地点で大きく曲がる事から、「大曲」との地名が付いたそうな。
上を覆う首都高速も向きを変えて、ストーカーの様に追って来る。
前の東京五輪開催を契機に、首都高速道の建設が促進され、都心部は余ってる土地が少ない事を理由に、河川上空に建造してったそうな。
前回東京五輪の負の遺産と呼ばれるのも解る。


↑白鳥橋下流側の眺め。


↑白鳥橋上流側の眺め。

●下流から数えて19番目の橋…新白鳥橋 

 
写真では解りませんが、グルッとUターンする様に渡る。
歩道は下流側のみ、車の交通優先な為、橋を渡った後は急いで歩道に上がらないと危ない。
現在、新白鳥橋~26番目の華水橋まで、周辺の工事のせいで川沿いに歩けない。
去年までは川沿いの遊歩道を辛うじて歩けたんですが…今回の写真は主に去年撮影した物です。


↑チラッと写ってるのは、後ろに架かる白鳥橋下の「水道橋分水路」呑口。


↑新白鳥橋下流側の眺め、川の流れに従い大きく曲がる高速道が見て解るかと。


↑新白鳥橋上流側の眺め、色違いで同じデザインの橋が、並列して架かって見えます。

●下流から数えて20番目の橋…中之橋 
江戸時代に隆慶橋と石切橋の間に架かる橋と言う意味で付けられた橋名との事。(側に立ってた由来書きより)
…という事は、白鳥橋はそれより後に架けられたのでしょうか?

 
橋のカラーはグリーンです。


↑中之橋下流側の眺め、首都高速の天井を避けての撮影。


↑中之橋上流側の眺め。


↑中之橋~小桜橋間の柵の一部が、泳ぐ魚の図柄にデザインされてました。
鮎…でしょうか?以前は汚れていた神田川も、近年は鮎が泳げるまで、水質が改善したそうです。

●下流から数えて21番目の橋…小桜橋 

 
橋は名前に合わせて桜色。
現代でも橋名の通り、川岸に桜が数本立っています。


↑小桜橋下流側の眺め。


↑小桜橋上流側の眺め。

●下流から数えて22番目の橋…西江戸川橋 
側に立ってた看板によると、「西江戸川町と牛込五軒町との間に架かっていた事が橋名の由来」だそう。
今は無き昔の町名を伝える橋なのですね。

 
↑橋の色は赤紫です。


↑西江戸川橋下流側の眺め。


↑西江戸川橋上流側の眺め。

●下流から数えて23番目の橋…石切橋 
江戸時代この橋の周辺には石工が住んでいた事から付いた橋名との事。
当時は付近で最も幅が広く大きい橋だった為、「江戸川大橋」と呼ばれていたそうです。(昭和40年位まで神田川の中流域は「江戸川」と呼ばれていた)

 
現在この橋の付近には、石工ではなく、印刷・出版関係の会社が多いです。
橋が白いのは紙の色を表現しての物?


↑石切橋下流側の眺め。


↑石切橋上流側の眺め。
首都高速道はまだまだ続く…。

コメント
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