瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

桜橋~神田川の源流を訪ねて~その8

2019年04月17日 00時49分12秒 | 旅の覚書
前回に続いて神田川を遡り、架かる橋を訪ねて行きます。
今回紹介する目白高台には、嘗て大名屋敷が続いてた土地柄、名所が数多く在るのです。

●下流から数えて30番目の橋…駒塚橋 
一休橋同様、親柱が無い駒塚橋。(哀)

 
橋を渡った先に見える急坂は、目白台へと続きます。
その名も恐ろしい「胸突坂」…「椿山」と言う古い地名が示す通り、大滝橋~駒塚橋が架かる周辺は、小高い山を形作っています。
坂の上には神田上水関口水門を護る「水神社」、下から鳥居が小さく見えます。
水神社の左に広がるのは「肥後細川庭園」。
肥後熊本藩54万石の有力守護大名だった細川家の嘗ての所有地で、目白台からの湧水を活かした回遊式泉水庭園が現在まで残されています。
細川元首相の実家のお庭だったって考えると何か凄い、そりゃ「殿」と呼ばれますわ。
現在は文京区が管理してるそうです。

 
↑駒塚橋下流側の眺め。
橋のたもとには前回紹介した関口芭蕉庵が建ってます。
その奥に建つ高い建物は、同じく前回紹介したホテル椿山荘東京。
ホテル椿山荘が建つ対岸へ、駒塚橋を真っ直ぐ進み、新目白通りを横断した先には、リーガロイヤルホテル東京が在る。
このホテルは早稲田大学との土地信託方式により、同大学の敷地内に建設されたとの事。
恐らく早稲田OBの働き掛けで、記念式典等の会場用にホテルを建てたという訳だ。
恐るべし早稲田の権力!駒塚橋~仲之橋間の左岸一帯は、早稲田の陣地と呼んでも過言ではない。
リーガロイヤルホテル東京の庭と、早稲田大学創立者の大隈重信邸跡地である大隈庭園と、早稲田キャンパス大隈記念講堂は地続きになってる。
初めて来た時は知らずに散策し、何時の間にか大学の敷地に入り込んでた事に驚いた思い出…。
リーガロイヤルホテル東京の雰囲気が、何処と無くハウステンボスに在るホテルヨーロッパに似て思え、頻繁に立ち寄ってます。(→2011年GWにレストランへ出掛けた際の記事
もしかしたらホテルヨーロッパと同じく、運営・技術指導をホテルオークラに依頼したのかもしれない。
流石にホテルオークラ並のサービスは受けられませんが、レストランや喫茶で頂く食事はかなりレベル高いですよ。


↑駒塚橋上流側の眺め、右岸は一旦、桜並木が途切れます。(途切れる辺りに在るのが細川庭園)

●下流から数えて31番目の橋…豊橋 
都電荒川線の終点、早稲田駅最寄りの橋です。

 
↑桜が咲くシーズンになると、橋の上は御覧の有り様、通る車は徐行運転せざるを得ない。
中には運転しながらカメラで撮影する車も見ます。


↑豊橋下流側の眺め、再び両岸に桜が続きます。


↑豊橋上流側の眺め、前が見えない程の桜の枝振り…しかし次に架かる仲之橋との間に、大きな壁が立ち塞がる。

※現在、豊橋~仲之橋間は、環状第4号線の整備工事の為、交通が遮断されております。
以前は桜並木が途切れる事無く続いていたんですけどね~。
次の東京五輪までに、首都へ集中する車を分散させる計画の為とはいえ…工事が終わったら元通りに桜の木を植えてくれるんだろうか?

 
↑今年の春に見に行ったら、橋が新たに架けられていました。
未だ完成前なんで数には入れませんが、神田川に架かる最新の橋という事になりますか。
完成したら「令和新橋」なんて名前付けられたりして。

 
↑遊歩道を通れないので一旦迂回し、豊橋~仲之橋間に建つマンションの広場より、再び遊歩道へと戻ります。
マンションの敷地内ながら遊歩道に繋がる造りで開放的、周囲には桜が植えられていて、遊歩道の桜並木と被さり、美しいトンネルを形作っております。

●下流から数えて32番目の橋…仲之橋 
この橋の付近にも庭の美しい名所が在ります。
徳川御三卿の一つである清水家の下屋敷跡地、「甘泉園公園」です。
細川庭園同様、回遊式の庭園になっており、敷地内に湧く水が大変甘露で茶に適しているとの評判から、「甘泉園」と呼ばれるようになったとか。
現在は新宿区の管理地になっているそう。
名の由来となった湧水は枯れてしまったらしいけど、現在でも大名屋敷時代の風雅な庭園は残されています。
…実は未だ一度も訪れた事無いのだけど。(汗)
また、江戸で流行った富士講由来の富士塚や、赤穂浪士の一人「堀部安兵衛」の碑が残る、早稲田水稲荷神社も、その側に在ります。
…こうして数々の名所を挙げてくと、この辺りだけ神田川上空に首都高速道が建設されなかった理由が見えて来るというか…名士の力は偉大也。

 


↑仲之橋下流側の眺め、桜の枝の向こうに未完成の新橋が見えます。


↑仲之橋上流側の眺め、前方が霞んで見える程の桜の枝振り。

●下流から数えて33番目の橋…三島橋 

 
↑三島橋傍の桜の枝に鳩の群れが留まってて和んだ。



 
↑三島橋下流側の眺め。


↑三島橋上流側の眺め。


↑三島橋~面影橋~曙橋の途中までは、桜並木の遊歩道が新目白通りの歩道と合体致します。
去年まで桜の季節になると三島橋付近の柵に、地元の小学生や早稲田の川柳同好会が詠んだ川柳が貼り出されたんですけどね~、寂しい事に今年は読む事叶いませんでした。(この記事を御覧ください)
止めちゃったのか?訪れた時期が早かったからか?

●下流から数えて34番目の橋…面影橋 
荒川都電「面影橋駅」最寄りの橋。
情緒溢れる橋名に惹かれてか、遊歩道に架かる橋の中で最も人を集めてる印象。
特に外国からの観光客が多い、ツアーで来ている様子。
「姿見の橋」なる呼び名も有ります。(北側に架かってた別の橋がそう呼ばれていたとの説も有)
名付け人は、女好きの歌人として知られる在原業平、或いは三代将軍徳川家光、はたまた近在の武士だった和田靭負(ゆきえ)の娘、於戸姫(おとひめ)が数々の悲劇を嘆き、身を投げる時に詠んだ和歌から等、諸説有。
橋のたもとには太田道灌所縁の「山吹の里の碑」が建てられてるそう。(右岸側に在るそうだけど、私は未だ見ていないのだった;汗)

 


↑写真右側、「面影橋駅」に停車する荒川都電。
新目白通りを通行するのは人に車に荒川都電…早稲田駅~高戸橋が架かる付近まで、路面電車の呼び名の通り、都電が道路を走ります。


↑面影橋下流側の眺め。


↑面影橋上流側の眺め。

●下流から数えて35番目の橋…曙橋 
右岸側の遊歩道は、この先行き止まりで上流には行けません。
36番目に架かる高戸橋へは、左岸側の遊歩道より向かいます。




↑曙橋下流側の眺め、前方の水色の管はガス管だそう。




↑曙橋上流側の眺め。


↑曙橋より上流、都電鉄橋手前の川底には、魚道が設けられています。
以前は治水を目的に段差が造られていたのを、魚の遡上を妨げぬよう改修工事を行い、平成9年に右岸側の段差を解消したとの事。
左岸側に比べて段差が滑らかになっているのが解ります。
この魚道が完成した前後に、神田川で鮎が泳ぐ姿を確認するようになったとか。

 
↑曙橋から更に上流、桜並木続く右岸遊歩道終り手前に架かる都電鉄橋。


↑面影橋駅~学習院下駅間の急カーブ地点にて減速する都電荒川線、その瞬間を撮影しようと高戸橋付近には大勢の鉄道ファンが集まります。

コメント
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