千の天使がバスケットボールする

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『愛を読むひと』

2009-07-05 16:02:20 | Movie
第二次世界大戦後の1958年のドイツ。15歳の僕、マイケル(デヴィッド・クロス)は、偶然出逢った21歳年上のハンナ(ケイト・ウィンスレット)と激しい恋におちる。授業もそこそこにかけつけるのは、ハンナのベットと情事のための浴槽、そして彼女の体。ハンナは市電の車掌として切符を売っているが、それ以外は家族も含めて謎のミステリアスな女性。やがて、ハンナは愛撫の前にマイケルに本の朗読をせがむようになる。

「オデュッセイア」「ドクトル・ジバコ」「ハックル・ベリーの冒険」「犬を連れた奥さん」「レ・ミゼラブル」「タンタンの冒険旅行」
一冊、一冊読み終えるたびに、マイケルのハンナへの愛情が深まっていく。
ところが或る日、いつものようにハンナの部屋を訪問すると彼女の姿は忽然と消えていた。清潔に掃除をされた室内で呆然と放心するマイケル。心の傷が癒えぬまま、彼はハイデルベルク大学に進学する。そして、思わぬ場所で彼女の姿を見つけることになったのだが。。。
(以下、内容に少しふれておりまする。)

1944年生まれ、フンボルト大学の法律学教授のドイツ人作家ベルンハルト・シュリンクの世界的ベストセラー「朗読者」の映画化である。映画を観る前に、原作を読まれている方も多いだろう。かくいう私も読んでいた”記憶”があるのだが、あらためて映画を鑑賞して原作の「朗読者」のもつ深いテーマーに感動を覚えた。戦争の傷跡という感傷をひとりの少年の人生を支配した恋愛で表現した誰にも受け入れやすい小説という私の読み方は、全くの誤り。マイケルが高校時代に受ける授業の教師のいうように、「行間を読むこと」ができていなかったのだ。なんと、私はハンナ失踪の理由を、自分の素性があきらかになってしまうこと、つまり戦犯の罪から逃れるためだったとおおいなる勘違いをしていたのだから。

初体験の直後の家族との食卓でのマイケルの夢心地のにやけた顔に、思わず笑ってしてしまったのだが、性を初めて知って浮かれた気分と、違う世界に足をいれたようなとまどいのドイツ少年事情「ヰタ・セクスアリス」の描写が微笑ましい。撮影当時の実年齢が18歳だったというデヴィッド・クロスに、少年らしさをそえる気の利いた演出である。この映画では、浴室での場面やベットシーンが重要であり、それぞれにエロスとは趣が異なる意味がある。ここで少年といったが、未成年の少年を21歳も年増の女が誘って繰り返される性交の場面が米国では問題になっているようだが、いみじくもD・H・ロレンスの「チャタレー夫人の恋人」を読むと、ハンナは「猥褻だわ」と怒って拒絶する場面でも映画館では失笑が聞こえた。自分自身が未成年の少年を自分のベットにひき入れているハンナが、そんな感想を述べることは矛盾していないかと。実はこのハンナの可愛らしい反応のエピソードの場面は、後半の物語の展開の伏線になっていると私は思う。「チャタレー夫人の恋人」を拒絶するハンナは、裁判の公判を重なるうちに生真面目な性格を現していく。それは、元ナチスの親衛隊中佐だったカール・アドルフ・アイヒマンにも通じる生真面目さが自分への職務への忠実さに通じる。61年、エルサレムでアイヒマンの裁判を傍聴した政治学者のハンナ・アーレントの「アイヒマンは浅はかな人物で、自分の属する陳腐な社会への適応者であり、独立した責任感をもたない」という感想は、そっくり彼女にもあてはまる。さらに、ハンナが重い罰を背負ってでも隠したある秘密ゆえに、彼女の場合は本来もっている知が自分の頭で判断する力の欠如が想像される。
しかし、ハンナは問う。
「裁判長、あなたならどうしましたか」

たじろぐ裁判長だけでなく、誰もが答えるのに躊躇する。この素朴で率直な問いは、マイケル自身への問いであり、ドイツ国民、日本人、戦勝国も敗戦国もなく人類全体への重い問いでもある。
ここでのハンナ役のケイト・ウィンスレットの演技は、オスカー賞にふさわしく秀逸である。裁判を傍聴するマイケルのそばには、同じゼミの仲間であり、彼の相手にふさわしい頭脳明晰で若い肉体、機知にとんだチャーミングな人柄と顔立ちの女子学生が座っている。このガールフレンドの存在が、映画の中ではハンナの一途だが思慮の浅さとくたびれた肉体をうかびあがらせ、ケイト・ウィンスレットは、ハンナの哀れさとそれでもマイケルの心をしばる強さと悲しみのもつ美しさを表現している。そして秘密を抱える人間は、仔細なことで激昂して攻撃的になる。映画化してみれば、今の彼女以外に難しいハンナの役を演じきれる女優は思いつかない。マイケル役のデヴィッド・クロスとおなじみのレイフ・ファインズが、愛する喜びや事実を知った衝撃、さまざまな葛藤を名演している。唯一惜しいのが、映画での最初の会話が”Hey you”ではじまる英語だということだけだが、本作のテーマーは「私は貝になりたい」という戦犯を扱った名作をもつ日本人だけでなく、人種をこえた普遍性があるので中盤からそれも気にならなくなった。それにケイトの肉体は、重いドイツパンを連想するし。

監督:スティーブン・ダルドリー
2008年アメリカ・ドイツ合作

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「われらはみな、アイヒマンの息子」ギュンター・アンダース