千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『愛の神、エロス』

2005-04-25 23:41:01 | Movie
「エロスの純愛」「エロスの悪戯」「エロスの誘惑」・・・ある女性曰く、エロ巣、エロ酢、はたまたエロ素か。エロス3連発★

そんな冗談でこの映画は斬れない。なにしろ、世界的な3人の巨匠がエロスをテーマーに描いた「至高の愛のトリコロジー」格調高い映画なのである。(”至高”というよりも”嗜好”の愛といった方がわかりやすいが。)けっしてポン(=Gackt語で全裸のこと)の姿に目をギラギラさせたり、喘ぎ声に耳を全開してはならないのである。エロでなくエロスとは、”猥褻”でなく芸術だから。
以下は私の独断と偏見による感想。

■「若き仕立て屋の恋」
1950年代の香港、高級娼婦のホァイ(コン・リー)のアパートに、新米のチャン(チャン・チェン)が豪華なチャイナ服を仕立てるために訪問する。この映画はその日から、落ちぶれて病に冒された彼女を陰気な雨の降る日に訪ねていく最後の日までの、チャンの哀しい恋の物語である。ホァイは、チャンの自分への狂おしいまでの気持ちを知っていながら、けっして彼を恋の対象には考えない。どんなに彼が仕事でりっぱで優秀な仕立て屋に成長しても、彼が水のしたたるようないいオトナの男になっても、プライドの高いホァイにとっては彼は最初からただの召使のようにつかえる仕立て屋なのだ。だから、彼が服の仮縫いをしている最中に、パトロンに必死にお金をせびったり、男に罵声を浴びせられ捨てられる姿をもさらせる。そんな屈辱的な扱いもチャンはすべてを受け入れて耐える。その主従・支配関係を徹底的に教えたのは、最初の出会いのホァイの原題でもある”THE HAND”。
高級娼婦にとって、女を知らない青年のこころを支配するのは簡単だ。最初が肝心。よく躾られた忠犬のような仕立て屋チャンは、その肉体のすべてを採寸し、仮縫いしてふれた手が覚えている。ホァンとの性的な交わりは鏡の奥、チャンの手のひらに残る感触の記憶のかけらが何回も何回もエクスタシーの頂点に導いていく。
当時のため息のでるくらい美しいチャイナ服が、映画監督であるウォン・カーウェイの描く美に、もうひとつのエロスを見事に華開かせている。ドレスの光沢と布の重い質感が体のラインを描くのを感じるだけでそこにエロスがある。そしてホァンは明るい太陽でなく、日のささない湿った室内で咲く花だ。まるで吉行淳之介の小説のヒロインのように。

■「ベンローズの悩み」
ニック・ベンローズ(ロバート・ダウニーJr)は1950年代のアメリカの広告マン。明るく自信に満ちていた当時のアメリカで、資本主義のアダ花ともいえる”広告”業界で活躍してきたニックだったが、近頃スランプに落ちて朝の目覚めが大変悪い。なにしろ毎日同じ女性がお風呂に入り、青いよそいきの服に着替えるのだから。そんなことから夫婦の関係もひんやり。精神科医のパール博士(アラン・アーキン)を訪ねて治療にあたるのだが。
ジャズのような音楽にあわせて、女性が入浴し、青いドレスを着て帽子をかぶり、手袋をはめる場面は象徴的だ。そこには、毎日時計のように同じ時間帯に勤務し、仕事に追われ、家族や職場のものから管理されている抑圧されている男の滑稽さがある。同僚のハゲ隠しのかつらのように、意味のないことなのに、真剣に悩むニック。老いて益々お盛んそうなパール博士に比較して、そこにあるのは「エロス」のお仕事からレッドカードをだされてしめだされた哀れな男なのだ。
ハゲを隠すために鬘をかぶるのはやめよ、たとえ親しい仲間であろうと、はっきり忠告することが最も大事なことである。

原題”Equilibrium”均衡が破られたときに、エロスがたつ。
監督はスティーブン・ソダバーグ。

そして最後は
■「危険な道筋」
倦怠期を迎える中年夫婦、クリストファー(クリストファー・ブッフホルツ)と妻クロエ(レジーナ・ネムニ)にとっては、別荘のあるトスカーナの夏の光もただうとましいだけ。口を開けば、口論になり、海辺のレストランでも隣席の大テーブルでにぎやかない談笑しながら昼食をとるグループを横目に、けだるい空気がただようばかり。
そこへ、岬の塔にひとりで住む野性的で若い女性リンダ(ルイザ・ラニエリ)がとおりがかって挨拶する。クリストファーは塔を訪問し、リンダとベッドをともにする。帰りぎわに、彼女の足の指を挨拶がわりに舐めるクリストファーの、階段を降りる足取りは軽い。まるで、軽くスポーツを楽しんだかのように。
晩秋が訪れ、リンダは「私の愛はかわっていない。あなた次第よ」と告げるが、電話の向こうの彼は遠い存在だ。
波が打ち寄せる浜辺で服を脱ぎ捨て、のびのびと踊るリンダ。やがてそこに、妻クロエの軽やかに踊る姿が重なる。
映画のもうひとりの主人公は、夫が運転するブルーの高級スポーツカーである。田舎の自然な風景に、車の鮮やかなブルーがいかにも排気量の多そうなエンジンの音とともに疾走する。このモダンな車は、91歳の映画監督、ミケランジェロ・アントニオーニの視線である。精神の若さを誇るかのような、シンプルでおおらかなエロス。

エロスの道は、ひとつの美しい肉体を愛することから、身体のうつなる美、魂の美の尊重へ、そして美しい人間の営みから学問の愛好、最後には神的な美そのものを見ることにある。