3月1日より、米国ブッシュ大統領がインドを訪問した。経済成長が著しいインドと米国は「野心的な目標」を共有し、世界への「繁栄の拡大」と「自由の推進」という目標で協調していくと説明。”かつてない緊密な関係”にある両国が”成し遂げられることに限界はない”と主張した。しかも、インドを多民族・多宗教国家の見本として「世界はインドのリーダーシップを求めている」 と最大級の賛辞をおくった。確かに現在のインドでは、異常なカースト制度は廃止されたが、見えない形で社会の表層に残っている状態を考えると、ブッシュ大統領のような笑顔も曇るというものだが、近年インド経済の成長に限っていえば晴れマークである。
91年の自由経済化以来、国内総生産(GDP)は、年率8%の高い成長を維持している。アジアという地方の大国から、今や全国区へ躍進中。中でもインドのIT革命がもたらした結果、インドは米国企業にとって海外最大のアウトソーシング国という両国の親密なる関係は、もはや軽視できない水域に達している。今さら説明するまでもなく衆知のことではあるが、ヘルプデスクに電話するとインドからインド人が流暢な英語で回答をしてくれる。顧客には、インド人とは全くわからない。米国にとってインドへアウトソーシングすることは、莫大な利益をもたらしているのだある。
優秀なインド人を安価な賃金でアウトソーシングしているのは、米国だけではない。英国では、出産すらもインドへアウトソーシングしている。
31歳のあるインド人女性の月収は、日本円で約5200円。この月収は、高くはないが極端に低賃金ともいえるレベルではない。代理母として子宮を貸して、出産すれば40万円の報酬を手にすることができる。インド人にとってかなり高額な報酬でも、依頼している英国人夫婦にとってはたいした負担ではない。この夫婦は、すでに不妊治療として6年間に、1億2千万もつぎこんでいたからだ。それでも子宝に恵まれなかった夫婦は、費用が安いこと、法的な規制が緩いことでインドに代理出産を委託した。インドでは過去3年で、このような代理出産の件数が急増している。格安の不妊治療にひかれて、海外からもコウノトリを求めてやってくる。年間治療費総額は、約520億円と一大産業にもなっている。
まさにカラダをはったアウトソーシングとも言える。本質的に、平等意識の強い国はこのようなアウトソーシングは、倫理的になじめない。しかし、長年カースト制度という厳密な身分制度に慣れているインド人にとっては、受け入れやすいビジネス産業なのだろう。この英国とインドの麗しい関係に、かっての統治する国と植民地という構図を連想する。やがては、不妊女性からの代理出産というケースだけでなく、出産そのものをアウトソーシングする時代がやってくるのかもしれない。
91年の自由経済化以来、国内総生産(GDP)は、年率8%の高い成長を維持している。アジアという地方の大国から、今や全国区へ躍進中。中でもインドのIT革命がもたらした結果、インドは米国企業にとって海外最大のアウトソーシング国という両国の親密なる関係は、もはや軽視できない水域に達している。今さら説明するまでもなく衆知のことではあるが、ヘルプデスクに電話するとインドからインド人が流暢な英語で回答をしてくれる。顧客には、インド人とは全くわからない。米国にとってインドへアウトソーシングすることは、莫大な利益をもたらしているのだある。
優秀なインド人を安価な賃金でアウトソーシングしているのは、米国だけではない。英国では、出産すらもインドへアウトソーシングしている。
31歳のあるインド人女性の月収は、日本円で約5200円。この月収は、高くはないが極端に低賃金ともいえるレベルではない。代理母として子宮を貸して、出産すれば40万円の報酬を手にすることができる。インド人にとってかなり高額な報酬でも、依頼している英国人夫婦にとってはたいした負担ではない。この夫婦は、すでに不妊治療として6年間に、1億2千万もつぎこんでいたからだ。それでも子宝に恵まれなかった夫婦は、費用が安いこと、法的な規制が緩いことでインドに代理出産を委託した。インドでは過去3年で、このような代理出産の件数が急増している。格安の不妊治療にひかれて、海外からもコウノトリを求めてやってくる。年間治療費総額は、約520億円と一大産業にもなっている。
まさにカラダをはったアウトソーシングとも言える。本質的に、平等意識の強い国はこのようなアウトソーシングは、倫理的になじめない。しかし、長年カースト制度という厳密な身分制度に慣れているインド人にとっては、受け入れやすいビジネス産業なのだろう。この英国とインドの麗しい関係に、かっての統治する国と植民地という構図を連想する。やがては、不妊女性からの代理出産というケースだけでなく、出産そのものをアウトソーシングする時代がやってくるのかもしれない。
それに話はそれますが、10年前タイトルは失念したのですが生物学者の遺伝子工学の本で、デザイナーズ・ベビーに関する文章を読みました。およそ200年後には映画「ガタカ」にあるようなデザイナーズ・ベビーとナチュラルにわかれ、この両者間ではこどもができなくなるという説でした。私も科学は、実現できることはすべて実現するので、いつか遠い未来に。しかし、この発想はまさに悪魔のような優生学ですね。
まぁこの手の話は、倫理的な問題もあるので、難しいでしょうが。基本的に、そうですねーあと30~50年単位(だから僕らは生きていると思う)で実現すると思いますよ。でもそうすると、ナチュラルを信奉する宗教セクトとかのテロとかも激しくなりそうですし、なかなかすごいことですねぇ。
記事を拝見していてハックスレーの『すばらしい新世界』を思い出しました(ペトロニウスさんのコメントに誘発されてw)きっとそういう未来も遠くはないんでしょうね。うーん、感情的には受け入れがたいですが、受け入れられる(ざるを得ない?)日がくる・・・んだろうなぁ。
そんな社会になったらなったで、慣れてしまうのかもしれませんね。それも怖いけど。
一応前テンプレートと同じ「スィート」という清純派女の子向けカテゴリーのデザインなのですが、悪質なコメントへの逆襲の気持ちをこめて期間限定で変更しました。
>ナチュラルを信奉する宗教セクトとかのテロとかも激しくなりそうですし
中絶を禁止する宗教右派には、悪夢としか思えないありえない未来です。でも映画では階級差しかありませんでしたが、確かにナチュラル派とデザイナーズ・ベビー派が戦争する可能性もありますね。
もし実現できたら、新しい人間をつくるのも、有能で美しいロボットを生産するのと同じ感覚です。「精神と物質」を読んだ感想ですが、利根川進さんのような生物研究者は、優生学に傾きがちです。こういう話題になると、口が重くなります。
調べましたら、http://moura.jp/clickjapan/genome/cap4_3/4_3a.html 1932年発刊で、すでに人工孵化器という発想でこのようなSF小説を書いていたのですね。驚きました。私にとっては、大変興味をひかれる情報です。ありがとうごございます。
>感情的には受け入れがたいですが、受け入れられる(ざるを得ない?)日がくる・・・んだろうなぁ
林象君のような正直な感想が、おそらく一番多いのだと思います。遺伝子工学の発展によって、難病の可能性のある遺伝子をスクリーニングして排除できたらまさに素晴らしいですよね。生まれるこどもにとっても。どうせなら目も鼻も、頭脳や音楽的センスもカップルの良い部分のみチョイスして望ましいこども・・・。そんな微笑ましい願望の底に、もしかしたら自分の中に醜いものや劣っているものへの嫌悪があるのかもしれない、そんなことを考えると慄然としてしまうのです。
ちょっと、踏み込み過ぎたので話題を変えますね。
近頃の私の座右の銘である生化学者、早石修氏の次の言葉を林象君へおくります。
”Today is the first day of the rest of your life”
たしか民主党の菅直人さんも、これをよんで政治家になることを決めた、とかいうほど、古今東西の政治家などへ与えた影響も計り知れない名著です。
いってみれば、ナチスやソビエトなどの全体主義の管理社会への抵抗の啓蒙書だったんですよ。『ガタカ』なんかもそのモチーフに連なる作品ですね。
何故、自分がこの傑作を知らなかったのか恥かしいくらいです。
>ナチスやソビエトなどの全体主義の管理社会への抵抗の啓蒙書
共産主義の最後のユートピアは、やはり完全なる管理社会なのでしょうね。それに気づかなければ、もしかしたら私もプチ・コミュニストになっていたかもしれません。
>「私には、そういうもの(この場合は、本書が暗喩しているといわれる、日本の左翼の不毛性なり、マルクス主義的人間の滑稽さを指してます)を風刺したり批判したりするために小説を書かなければならない義理などまったくありません」
貴殿のブログでのつなさんのコメントから↑倉橋由美子の引用です。(つなさん、了解してください。)
この倉橋の言葉は、「パルタイ」の評価に対する冷ややかな反論だと思います。
でもこんなに自由な市場経済にも、見えないところで少しずつ管理社会になっています。