[報道自由度、北朝鮮が昨年に続きワースト1位 ]
ジャーナリストの人権保護を目指す国際組織「国境なき記者団」(本部パリ)は24日、2006年の世界の報道自由度に関する順位を発表、北朝鮮が昨年に続き最下位で168位だった。(06/10/25産経新聞)
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秋田文庫から出版されている文庫版「BLACK JACK」17巻に、「パク船長」という物語がある。
ある嵐の日、びしょぬれになったふたりの男が、丘の上のブラック・ジャックの家を訪ねてくる。
請われるままに彼らの後をついていくと、海岸からボートで座礁している船に乗船させられる。そこには複雑骨折をして瀕死状態の船長が、ブラック・ジャックを待っていたのだった。密航船であることを即座にみぬいた医師ブラック・ジャックに、患者の船長は苦しみながら訴える。
「おれの国はいま 自由が禁じられている
なにしろ学校では 政府のつごうのいいことしか教えないし 検閲をうけた本しか出せないし読めない
集会やパーティをやると特殊警察につかまるのだ ちょっとでも政府のことを悪くいうと死刑だ」
そんな船長の手術をおえたブラック・ジャックは、船が沈む前に海上保安庁に救助を求めるように言い渡すのだが、本国に帰された密航者をまっているのは、脱走罪による死刑だからと、断固として船長は救助を拒絶する。しかしたとえボートが陸についても崖を登るのは無理と判断したブラック・ジャックは、船長の隙をついて、SOS信号を送る。船長は、乗船者に収容所に保護されて本国への帰還と、命がけでボートで逃げることを選択させるが、彼らはみな次々と嵐の中を危険をおかしてボートに乗組んでいく。いったい何人の人が、無事に上陸できるのだろうか。
嵐の去った翌日の日の出が、海岸に並んだたくさんの死体を照らしている。それを見て、ひとりの猟師が「死んでまで日本に来たいですかね」と肩をすくめる。
発足わずか2週間で、安倍丸は北朝鮮の核実験という嵐に遭遇した。なんという試練なのだろう。しかし考えてみれば、父方と母方のふたりの祖父、そして父の存在が、”プリンス”としての話題をふりまくだけだった一議員が、わずか13年という国会議員履歴にも関わらず、亡父の念願を果たして首相に就任できたのも、小泉前首相の重用だけでなく、皮肉にも北朝鮮の金正日総書記が安倍氏の駆け足の登用をうながしたという見方もできるだろう。安倍氏はこの高波にもうまく耐え、韓国や中国の首脳会談を実りの大きいものにかえた。しかも国内では、一気に安倍政権の擬集力を強めたことは、先日の選挙結果をみればあきらかだろう。冷ややかな反応を示したのは、民主党代表の小沢一郎氏だったが、私は新しい船長の今後の北朝鮮問題に関する舵取りに期待したい。
この漫画が初めて掲載されたのは、「週刊少年チャンピオン」1974年6月10日号だったのだ。それから32年たった。32年という歳月は、歴史がつぎめのない織物にたとえられたとしても、人の一生の長さを考えると、とても長くて重い。けれども、この国の状況はなにひとつ変わっていない。むしろ悪化するばかりだ。
それにしても、やはり手塚治虫は偉大なる漫画家だったとつくづく思うのだ。
船長としてまだまだやることがあると、座礁して沈む船にたったひとり残ったパク船長。彼の訴えは、今日の日本人にも響いてくる。
「逃げ出さないほうがおかしいだろう?え?」
ジャーナリストの人権保護を目指す国際組織「国境なき記者団」(本部パリ)は24日、2006年の世界の報道自由度に関する順位を発表、北朝鮮が昨年に続き最下位で168位だった。(06/10/25産経新聞)
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秋田文庫から出版されている文庫版「BLACK JACK」17巻に、「パク船長」という物語がある。
ある嵐の日、びしょぬれになったふたりの男が、丘の上のブラック・ジャックの家を訪ねてくる。
請われるままに彼らの後をついていくと、海岸からボートで座礁している船に乗船させられる。そこには複雑骨折をして瀕死状態の船長が、ブラック・ジャックを待っていたのだった。密航船であることを即座にみぬいた医師ブラック・ジャックに、患者の船長は苦しみながら訴える。
「おれの国はいま 自由が禁じられている
なにしろ学校では 政府のつごうのいいことしか教えないし 検閲をうけた本しか出せないし読めない
集会やパーティをやると特殊警察につかまるのだ ちょっとでも政府のことを悪くいうと死刑だ」
そんな船長の手術をおえたブラック・ジャックは、船が沈む前に海上保安庁に救助を求めるように言い渡すのだが、本国に帰された密航者をまっているのは、脱走罪による死刑だからと、断固として船長は救助を拒絶する。しかしたとえボートが陸についても崖を登るのは無理と判断したブラック・ジャックは、船長の隙をついて、SOS信号を送る。船長は、乗船者に収容所に保護されて本国への帰還と、命がけでボートで逃げることを選択させるが、彼らはみな次々と嵐の中を危険をおかしてボートに乗組んでいく。いったい何人の人が、無事に上陸できるのだろうか。
嵐の去った翌日の日の出が、海岸に並んだたくさんの死体を照らしている。それを見て、ひとりの猟師が「死んでまで日本に来たいですかね」と肩をすくめる。
発足わずか2週間で、安倍丸は北朝鮮の核実験という嵐に遭遇した。なんという試練なのだろう。しかし考えてみれば、父方と母方のふたりの祖父、そして父の存在が、”プリンス”としての話題をふりまくだけだった一議員が、わずか13年という国会議員履歴にも関わらず、亡父の念願を果たして首相に就任できたのも、小泉前首相の重用だけでなく、皮肉にも北朝鮮の金正日総書記が安倍氏の駆け足の登用をうながしたという見方もできるだろう。安倍氏はこの高波にもうまく耐え、韓国や中国の首脳会談を実りの大きいものにかえた。しかも国内では、一気に安倍政権の擬集力を強めたことは、先日の選挙結果をみればあきらかだろう。冷ややかな反応を示したのは、民主党代表の小沢一郎氏だったが、私は新しい船長の今後の北朝鮮問題に関する舵取りに期待したい。
この漫画が初めて掲載されたのは、「週刊少年チャンピオン」1974年6月10日号だったのだ。それから32年たった。32年という歳月は、歴史がつぎめのない織物にたとえられたとしても、人の一生の長さを考えると、とても長くて重い。けれども、この国の状況はなにひとつ変わっていない。むしろ悪化するばかりだ。
それにしても、やはり手塚治虫は偉大なる漫画家だったとつくづく思うのだ。
船長としてまだまだやることがあると、座礁して沈む船にたったひとり残ったパク船長。彼の訴えは、今日の日本人にも響いてくる。
「逃げ出さないほうがおかしいだろう?え?」
これだけ多作で、尚且つ短いページで深みがある漫画を最後まで描いた手塚さんの偉業は、亡くなっても功績は大きいですね。
「リボンの騎士」も、実はけっこう好きなのですよ。
そいえば、貴殿のブログ一瞬テンプレートが緑の林になっていました。。。
それにしても、手塚治虫はすばらしい。エンターテイメントとそれ以上のものとのバランスが見事。偉大な人です。