千の天使がバスケットボールする

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『遠い路』イ・ビョンホン

2006-05-29 23:37:22 | Movie
萌える韓国俳優多数。(やっぱり私はミーハーか。オドレイ・トトゥはそんなに可愛いか?)けれども演技力においては、イ・ビョンホンが最高の役者だという確信はゆるぎない。ドラマでは駄作もあるが、少なくとも映画出演に関しては作品に恵まれているとも思う。そこで2001年旧正月に放映されたというアットホームな韓流ドラマ『遠い路』で、梅雨のうるおいを我がこころにも・・・。

田舎を出て独り暮らしをしながらソウルの郵便局に勤めるソンジュ(パク・チミ)の目下の楽しみは、旧正月に恋人ギヒョンを連れて故郷の海辺に帰省すること。毎晩のように、婿の顔を見ることを楽しみにしている父からの電話が入る。ところが帰省を目前にして、ギヒョンから他に恋人ができたことを告白される。ショックを受けながらも列車の切符を渡して、当日いつまでも彼を待ち肩を落とすソンジュの姿はいかにも寒そうだ。
そこへ日頃は配達の仕事をしているウシクが、白タクの仕事でひと稼ぎしようとソンジュに声をかける。誰もが家族と過すことに思いをはせる旧正月だが、孤児院育ちの彼にとっては無縁だ。ソンジュは婿の来訪を楽しみにしている父のために、ウシクに報酬を支払うかわりに期間限定の恋人役を依頼する。道中、ギヒョンのバックグランドを教えられながら、彼女のためになんとか身代わり役を務める決心をするウシク。
ところが彼女の実家でそうとは知らず婿を大歓迎する父や近所のおばさんの存在によって、家族の暖かみを感じるウシクは、少しずつソンジュと彼女の家族と離れがたくなって行く。そこへ近所まで来ているギヒョンからソンジュに突然電話がかかり、偽装恋人の契約は中途で解約することになってしまうのだが。

旧正月にあわせて二日間に渡って放映されたと思われるこのホームドラマは、ふたりが出会って契約を交わし、ソンジュの実家の前に車が到着するまでが前編。偽りの婿になる恋人として初めて父に会うところから後編がはじまる。
ニット帽をかぶりジャンバーを着込み、楽しげな人々の間をぬって違法な白タク営業をもちかけるウシク(イ・ビョンホン)は、いかにも孤児院(この表現は不適切だと思うが、韓国ドラマではこのように訳している)育ちの家庭的な幸福から遠い存在に見える。ラジオから流れる帰省ラッシュの報道を聞きながら、簡素な食事や家具に囲まれた室内でひとり所在なげだ。それでも、お金持で優柔不断なギヒョンより人として上等に見えるのは、ソンジュが窓口を務める郵便局から、孤児院のこどもたちひとりひとりにプレゼントを贈るエピソードでわかる。
イ・ビョンホンは、孤児の役がよく似合う。
しかし、しかしである。前編の最後、車から降りドアを開けてソンジュに手を差し出し笑顔のイ・ビョンホンは、どこから見ても裕福な育ちの良い好青年になりきっているではないかっ。このような乖離した役を演じわける彼の演技には毎回驚かせられるのだが、もはや得意技なのであろう。
ドラマは旧正月にふさわしく、父を思いやる優しい娘、妻を10年前に亡くし娘に愛情のすべてをふりそそぐ父、やもめ暮らしの父をなにかと面倒みる近所のおせっかいなおばさん、そして主人公である偽装婿を中心に進行していく。ここで注目すべきは、娘の選んだ婿を精一杯歓待する父に、一生懸命親孝行をする偽装恋人だ。通常だったら、少々重く感じる義理の父の愛情を彼はすべて受け止める。彼には、幼い頃の父の思い出しかないからだ。家族をもたない彼にとって、婿がやってくることを村中が知っているこの風光明媚だが辺鄙な村は、ひとつの大家族ともいえるコミュニティーだ。そのコミュニタリアニズム(共同体主義)の懐に包まれた彼は、ソンジュの父と離れがたくなっていくのが、このドラマの最大の泣き所だ。

28日の「日経新聞」と「読売新聞」の書評欄に、偶然同じ一冊の本がとりあげられていた。41年生まれハーバード大学教授であるロバート・D・パットナム氏の『孤独なボーリング』である。
(クリントン大統領の一般教書演説にも影響を与えた全米ベストセラーの本書は、読みたいと思っている。)
豊かさが庶民の及んでいなかった時代、日本でもこの韓国の「遠い路」のように近隣同士相互に助け合った。婿の噂話を楽しむ村人のような濃密な人間関係の息苦しさを代償にして、困難や悲しみを乗り越えるインフォーマルな互助制度が作動していた。
本書は、米国をベースにこのような人々の互酬性(贈与の交換)の量と質の変換、そして帰結を分析している。つまり、社交が「公」から「私」への急激な偏りが進んだ結果、人づきあいが共同体を支える「糧」ではなくなり、社会全体を枯渇させているとしている。(著者は、この「糧」を「社会的資本関係」(ソーシャルキャピタル)と呼んでいる。)かって人々が返礼をくりかえすことによって構築された社会的ネットワーク、人脈関係の市民的インフラ(資本)の衰退、地域社会の絆の消失は、すなわちセイフティネットが働くなることでもある。

孤児として育ち、よるべのない日々を暮らしていた主人公は、「冬のソナタ」でもロケ撮影に使われたという海辺村で、はじめて父と息子、妻と夫、という家族関係だけでなく、地域社会との絆をももつようになる。こののどかな村では、米国や日本のような近隣共同体の衰退とは無縁だと信じたい。