千の天使がバスケットボールする

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『隠された記憶』

2006-05-20 12:58:31 | Movie
映画を監督で選ぶとしたら、私にとってはなんといってもMichael Haneke。年下の美青年との恋愛映画につかのまの現実逃避を求めたパリのマダム達だけではない、18禁映画にある種の期待をもって観た私も前作『ピアニスト』には、心底のけぞるような衝撃を与えられた。人間の深層心理の悪をここまでショッキングな手法で暴く監督を決して好きにはなれないだろうが、目をそらすこともできない。

それは、1本のビデオテープが届いたことから始まった。(以下、内容にかなりふみこんでいます。)
作家を招いての書評番組が好評の人気キャスターであるジョルジュ(ダニエル・オートゥイユ)が、出版社に勤務する妻アン(ジュリエット・ビノシュ)と12歳の息子ピエロが平和に暮らす家庭に、そのビデオが届いた。延々と自宅が映された意味不明のビデオに、夫婦は最初は不快に感じるだけだった。それよりも、思春期にさしかかり無口になったピエロのことが気がかりだ。やがて、何度も届くビデオはプライベートな部分を徐々に侵蝕する内容にエスカレートし、幼稚で不気味な絵も届くようになった。それらは、ジョルジュの勤務先やピエロの学校にまで送られるようになる。
じわじわと恐怖感に追いつめられて、ヒステリックになっていく夫婦。そして生家が映されたビデオを観るうちに、ジュルジュにはひとつの封印していた幼い記憶がよみがえる。
「マジッド」
思い出すのも忌まわしい名前と顔。
ジョルジュが6歳の頃、マジッドの両親は彼の家で働いていたが、ある日警察に呼ばれてそのまま消息を絶った。1961年、フランスのアルジェリア人虐殺事件に巻き込まれたのだった。ひとり残されたマジッドをジュルジュの両親は不憫に思い、養子に迎えようとする。ひとつの部屋で生活するようになるジョルジュとマジッド。
記憶をたどるかのように、ジュルジュは生家を久しぶりに訪れて、老いた母が寝たきりになっていることをはじめて知る。
そして何本目かに届いたテープに示された部屋をとうとうつきとめて、ジュルジュはマジッドと再会する。

壁一面の本棚に整然と並ぶ膨大な本、ユーモアとウィットに富んだ友人たちとのホームパーティでの会話、スイミングスクールに通う美しいひとり息子。彼らの生活は、フランスの典型的なインテリジェンスなプチブル階級。次々と映る彼らの家、部屋、ジョルジュの勤務先、すべてが近代的で機能的なあかるい美しさに満たされている。そして生まれ育った家も、田舎にあるとはいえさまざまな絵画を趣向凝らして飾り、なんと知的で美しいことか。私は、何度もため息がでた。そして後半今のマジッドが暮らすアパートの暗くて狭い陰気な廊下と、胸がふさぐような貧しい小さな部屋。このあまりにも隔たった室内の様子は、この映画で重要な役割を果たしている。幼い頃の彼の犯した罪を告発している。そして現代の階級社会の”差”をもハネケは告発しているのである。しかし、その疚しい気持ちと決して向き合おうとしないジョルジュ。そしてジョルジュが呼ばれて3度目に訪ねた時、その部屋は奇妙にかたずいていたのだ。この室内で、映画史上に残る衝撃的な場面がはじまる。

再会を複雑な気持ちながら穏やかに微笑むマジッドに比べ、ビデオのテープを送り付けた犯人を彼だと決め付け、怒り脅迫までするジョルジュには、自己保身しか頭になく、相手の気持ちを考えるという様子は微塵もない。教養あるはずのジョルジュの方が、人としての品格に欠けている。この姿は、6歳の自己中心的なジョルジュそのものだ。ここで誰もが、犯人がマージョではないと気がつくだろう。そして夫には苦しみをわかちあいたいと叫び、息子には愛しているとうつろな言葉をかける妻の、中年の脂肪と同じくらいのうっとうしさと醜さ。そんな妻が最近出版して好評な作品が、グローバリズムに関する本だったという皮肉。ここにミヒャエル・ハネケらしくインテリの欺瞞が暴かれる。そして誰もがうらやむような一見平穏に見える家庭の脆さと危うさと、メディアを通して与えられる私たちが真実と思い込んでいる現実のあやふやさ。

幼いジョルジュが犯した小さな罪を、マジッドの息子がまっすぐな瞳で訴える。
「父は、一生懸命私を育ててくれた。あなたは、そんな父の教育の機会を奪った。」
現代も社会の抑圧された人々の声は、彼に、そして彼らには届かない。

それではいったいビデオを送った真犯人は誰なのか。マジッドの衝撃的な行動の意味。ピエロが反抗する理由。妻は、本当に友人と浮気をしていたのか。そしてラストシーンの謎。
しかしハイネケンは、ここでも”親切な”謎解きはしない。難解さということで、作品の価値を高めようという意図はないのだが。そのおかげで、今日は観終わった後、ずっとこの映画のことを考え込んでいる。考えること、感じることを監督は、観客に課題としてつきつけているのだ。まさにハネケ監督の術中の見事な罠にはまる。だから観終わった後、「恐かったね」と笑いながら食事を楽しむ映画ではない。
ちなみに、「サスペンス」や「スリラー」というジャンルわけされているこの映画には、効果音としての音楽を、”効果的に”いっさい排除している。
孤独な女性を主人公にした「ピアニスト」では、徹底的に”個”の闇を描いた。誰もが犯しやすい無邪気な罪、やましさと向き合うことで人の品性を問い、さらに移民問題という社会性までとりこんだ本作品も、予想に違わず不快指数100%。それでも貴重な時間をさいて対峙するのは、ハネケの嫌悪する残酷さが、社会や人の深層心理の闇を見事に衝いているからだろうか。

「フランスの政治家は現代の“階級社会”が生み出す矛盾に対処できていない。これから貧富の格差がますます深刻化していくはずですが、あの“暴動”をめぐるメディア報道がそのことを正確に伝えていたとは思えない」
このハネケの言葉には、真摯に耳を傾けるべきだろう。

マジッドを犯人と決め、彼の死とともにすべてがかたずいたとようやく安心して眠りにつくジョルジュ。カーテンをかけ、室内を暗くしベッドに横たわる。