千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

オペラ座の怪人

2005-02-11 23:57:33 | Movie
ジャ~~~~ン!♪ジャジャジャジャジャ~~ンッ♪

映画は文化か娯楽か、そんなカテゴリーの迷いなどあっさりとすっ飛ばすゴーージャスな音楽の高鳴りである。
元々ミュージカルは嫌い、この音楽も耳ざわり、物語も知っている、だから観にいくつもりはなかったのに、あまりにも評判がよいので開演20分前に映画館にたどりつくという私にしては快挙。早朝だというのにかろうじて良い席を見つけたくらいの盛況ぶりである。

1919年今は廃墟となったオペラ座。そこから物語が始まるのだが、オークション会場から一気に半世紀前に戻る演出に圧倒された。本当に鳥肌がたってしまったのである。わかる人にはわかる、わからない人にはわからないというさりげないインテリジェンスな演出ではない。わかりやすいのである。気がつけばめくりめくような豪華絢爛な映像の世界にどっぷりとつかっているではないか。エリザベス女王よりお金持と冗談で評されるアンドリュー・ロイド=ウェバーの圧倒されるマジックは、映画が極上のエンターティメントだと証明している。

”歌の天使”と信じる怪人・ファントム(ジェラルド・バトラー)に調教された歌姫クリスティーヌ(エミー・ロッサム)は、主役としてデビューし喝采を浴びた日、幼なじみのラウル(パトリック・ウィルソン)と再会する。ふたりの様子に気がつき嫉妬にかられたファントムは自分の城、地下へとクリスティーヌを連れ出し、偏執狂的ともいえる自己中心的な愛を彼女に求める。なんとも熱い告り方なのである。けれども彼女の心はラウルのもの。それはファントムの容貌のせいではないのだが。二人は”たったひとつの愛””たったひとつの人生”を誓い合う。この現場を目撃してしまったファントムの怒りと彼女への狂おしいくらいの激しい愛は、やがて追い詰められていく・・・。

ジャ~~~~ン!♪ジャジャジャジャジャ~~ンッ♪

この映画の正しい鑑賞方法としては「セカチュー」なる軽チャー本を超える究極の純愛なのか、それとも醜い容貌の狂った天才がまきおこした変態的行為としてみるべきか。哀しいことにファントムはどんなに情熱をかけて愛しても、愛というものを知らない。何故ならば生れ落ちたときから醜い顔のため母親からもうとんじられ、その怪異な容貌をさらして見世物小屋で育ったのだから。本当に愛された経験のあるものにしか、人を愛するというのはどういうことなのかわからない。そんな彼がクライマックスでクリスティーヌから口づけをされた時、生まれてはじめて本当の愛に目覚めるのである。

難しいと思われるキャスティングの成功ともいえる映画だ。それほど美しいとはいえないが清楚な佇まいのエミー・ロッサムが、吹き替えなしで歌っている。賞味期限きれと言われるプリマドンナの方が歌ははるかにうまいと思えるのだが、彼女が17歳と知り、その年齢にしては見事な歌唱力ともいえる。ファントム役は、ただ醜いメイクをほどこせばよいわけではない。存在感あり、仮面をかぶれば納得のいく色気もあるのだが、声が悪い。怪人とはいえ、酔っ払った中年男のような声はいただけない。けっして声フェチではないが、あの声にはとうとう最後までなじめなかった。ハンサムでお金持、おまけに誠実で勇敢なラウル役のパトリック・ウシルソンは適役だ。

日劇では、ただ今映画で使用したドレスが2点飾ってある。サイズとしては細い胴回りもイケルと我ながら思うのだが、あの胸が大きく開いたデザインにはあうと~~っ。肉食動物の欧米人のカラダにはかないませんって。。。

「週刊文春」風な批評としては一食ぬいても是非劇場で。
苦味もあるベルギーチョコを口いっぱいに味わっているような、そんな映画である。