5-8-1.大胆・果敢の勇気のひとにも、強(こわ)い危険なものは怖い。
大胆・果敢の勇気は、危険なものに対決し攻撃的にふるまう。おびえ臆することの反対だから、その勇気には、恐怖はないかのようである。だが、危険なものに関わるのだから、それへの恐怖を伴っている。自転車に大胆な勇気を出すのは、まだ乗るのが危なくて、これが怖い人に限定される。
自然的には、危険に恐怖すると、恐怖するままに逃走等の態勢をとる。だが、ひとは、自然を超越でき自律的で自由をもった存在として、必要であれば、勇気を出し、逃げず恐怖に距離をおき、これに忍耐できる。さらに、この恐怖させる危険なものを積極的に排撃する振る舞いに出る。怖い危険なものは、当然、強(こわ)い存在なのだが、怖さを抑え恐怖の束縛を脱して、ひとはこの強いものに対決する勇気を出す。その勇気ある対決には、危険なものを乗越える強い力を発揮することが必要である。その勇気ある対決の強力な闘志が大胆さであり、果敢さである。
大胆・果敢の攻撃的勇気も、危険なものを対象とする以上、恐怖をふまえる。しかし、大胆・果敢に攻撃的に気を集中させるほどに、受身の恐怖は気に留まらなくなり、恐怖は薄れていく。攻撃していて反撃にあい危険となれば、新規の恐怖をいだく。それは、そこが危険で防御すべきところで、大胆・果敢にこちらから反撃すべき目標ともなることを知らせるものである。この恐怖も、反撃に踏み切れば消失していく。