3-2-1-4. 損傷発生にともなう痛みの場合
痛みは、損傷を知らせる感覚であり、その損傷が大きくなるとともに痛みも大きくなる。蚊が刺すと痛むが、その傷は小さいので、痛みも小さい。縫い針が刺さる場合は、それ以上の痛みとなる。釘でも刺されば、もっと痛む。蜂に刺されると、毒液が大きな痛みを生じさせる。マムシにかまれると、火傷のような痛みになるという。痛みは、損傷の質と量を知らせてくれる価値ある感覚である。その痛みの情報にしたがって、損傷への対処を、ひとは直ちに実行する。それへの回避・排撃衝動をいだいて対処する。痛み自体が回避反応(=反価値)をもった感情となることでもある。
痛みと損傷は、相関関係にあるが、損傷持続時の痛みは、損傷の程度と一致しないことも結構ある。火傷とか擦り傷では、損傷持続に見合った苦痛の持続がある。化膿した場合は、痛みもだんだん大きくなるから、化膿を意識させ、価値ある痛みを思わせる。しかし、痛みと損傷が相関的にならないこともある。痛みは大きいけれども、損傷がないとか小さいということがある。ときに脳や神経の誤作動で痛みが生じる。
逆に、痛まないけれども、大きな損傷の生じていることもある。大きな怪我の場合は、意外と痛みは感じられないか、気にならない。痛まないのに損傷があったり進行しているという代表は、内臓の損傷であろう。自然的には、内臓が損傷しても対処の仕様がなく、痛みは無意味なことになるので、痛覚を持たない方が有利になるといった淘汰が進んだのであろう。大きな怪我で痛みが感じられないことがあるのは、ショックで全心身が異常な放心状態になって、平常の痛み感覚の情報など、放置されるのであろう(小さな擦り傷の痛みなども、ほかに意識が向いた時には、痛みは忘れている)。
痛みは、損傷を知らせる感覚であり、その損傷が大きくなるとともに痛みも大きくなる。蚊が刺すと痛むが、その傷は小さいので、痛みも小さい。縫い針が刺さる場合は、それ以上の痛みとなる。釘でも刺されば、もっと痛む。蜂に刺されると、毒液が大きな痛みを生じさせる。マムシにかまれると、火傷のような痛みになるという。痛みは、損傷の質と量を知らせてくれる価値ある感覚である。その痛みの情報にしたがって、損傷への対処を、ひとは直ちに実行する。それへの回避・排撃衝動をいだいて対処する。痛み自体が回避反応(=反価値)をもった感情となることでもある。
痛みと損傷は、相関関係にあるが、損傷持続時の痛みは、損傷の程度と一致しないことも結構ある。火傷とか擦り傷では、損傷持続に見合った苦痛の持続がある。化膿した場合は、痛みもだんだん大きくなるから、化膿を意識させ、価値ある痛みを思わせる。しかし、痛みと損傷が相関的にならないこともある。痛みは大きいけれども、損傷がないとか小さいということがある。ときに脳や神経の誤作動で痛みが生じる。
逆に、痛まないけれども、大きな損傷の生じていることもある。大きな怪我の場合は、意外と痛みは感じられないか、気にならない。痛まないのに損傷があったり進行しているという代表は、内臓の損傷であろう。自然的には、内臓が損傷しても対処の仕様がなく、痛みは無意味なことになるので、痛覚を持たない方が有利になるといった淘汰が進んだのであろう。大きな怪我で痛みが感じられないことがあるのは、ショックで全心身が異常な放心状態になって、平常の痛み感覚の情報など、放置されるのであろう(小さな擦り傷の痛みなども、ほかに意識が向いた時には、痛みは忘れている)。