仲間は、お互いを勇気づけることができる。

2012年10月12日 | 勇気について

5-5-3.仲間は、お互いを勇気づけることができる。
 同じ危険に遭遇する仲間は、同じ勇気を必要とし、鼓舞しあうことになる。力を合わせて一つの目的に向かって行動する場合はもちろん、競争しあい排斥的関係になるものでも、勇気にはプラスの影響を与え合うことができる。
 共同して狩りをするとか、チームで戦うスポーツ競技の場合、臆しそうになれば、当然、励ましあう。チームワークになるから、臆している者も、他に遅れをとらないようにと、無理矢理にも勇気を出さざるをえなくもなる。できれば、より大きな貢献をと張り切る。みんな同じ行動をとるときはいうまでもなく、役割り分担した場合も、各自の危険は周知しあうから、自分の臆病も勇気も皆に知れることである。仲間に評価され、そこに所属していたいのであれば、臆病にとどまることはできないであろう。
 マラソンのように横に並んで順を争う競争ではもちろん、ボクシングのようにダメージを与え合う格闘・闘争でも、勇気については鼓舞しあうことができる。そこに生じる危険や不安・恐怖は似たものになるから、臆していたとしても、相手が出している勇気を見たら、負けじ魂が顔をだしてくる。「あいつがやれるのなら、自分も!」「こいつだけには負けたくない!」と、勇気を奮い起こすことになろう。同じことを戦い、自分が怖ければ相手もそうだと知れるから、勝つには、「ここで勇気を出すことだ」と分かり、大胆に一歩先へと踏み出す決心が誘われることもあろう。