恐怖への忍耐は、その目的や利害しだいで、大きく変わる。

2012年10月28日 | 勇気について

5-7-5.恐怖への忍耐は、その目的や利害しだいで、大きく変わる。
 忍耐は、辛苦を甘受して忍び、快・欲求を抑制して耐える。それによって、大きな価値獲得が可能となるからである。忍耐は、手段であり、その目的・獲得される価値の大きさに見合うものでなくてはならない。ハンカチが河に落ちても、これを取り戻すために飛びこむことはない。だが、子供が落ちたのなら、凍りつくような水の中にでも勇気を出して飛び込む。
 そこでの忍耐の辛さと、得られる価値を比較して、得られるものが大きければ、それだけ忍耐のし甲斐があることになり、より長くより大きく忍耐できることとなろう。はるかさきの目的になると、先の見通しのきく人と否とで、忍耐の意義は、異なってくる。はるかを見通すひとは、他のひとより根性・忍耐力にまさることがなくても、忍耐できるが、そうでない者は、忍耐する意味が見出せない状態では、そう長くは我慢できないであろう。
 その苦に見合うものが得られるのかどうかの利害を計算して、忍耐する。忍耐の苦と、得られるものの価値の差し引き計算をする。息を止める忍耐でその賞金が千円だったら、1、2分で我慢の限界になるが、賞金一億円だったら、5分を超えてでも失神するまで辛抱できることであろう。
 勇気を出し、恐怖への忍耐の度合いを高める必要があるのなら、そのことでなる目的・意義・利を幾重にも描きだすことである。直近のそれらに限ることはない。勇気は、高い人物評価をもたらす。おのれの尊厳を誇示することにもなる。それらも思えば、忍耐するに力がはいることであろう。

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