苦痛の原因に対決することで、苦痛を生じる場合も多い

2020年05月28日 | 忍耐論2(苦痛甘受の忍耐)
2-5-5-2. 苦痛の原因に対決することで、苦痛を生じる場合も多い 
 欲求を抑制する場合、そのはじめは、欲求が小さければ苦痛ではなかろう。だが、抑制をつづけていると、欲求不充足の不快が生じてきて苦痛になってくる。こういう段階からは欲求抑制の持続は、困難度をまし、それを維持していくには、生じ始めた苦痛を回避せず受け入れていく意志が発動しなくてはならない。苦痛甘受の忍耐の登場となる。その忍耐を続けるということは、苦痛を受け入れ続けることであり、それは、しばしばより大きな苦痛になってもくる。呼吸では、はじめはその欲求の抑制を不快と感じないか、あってもごく小さいが、これを抑制しているとだんだんと苦痛になってきて、苦痛になる段階から忍耐が必要となってくる。忍耐を続けていると、苦痛はどんどん大きくなっていく。苦痛を回避しない忍耐の意志が苦痛をもたらしていると言いたくなる。
 外的な傷害でも同様な場合があろう。まず、小さな傷害があっても痛まないのなら、これから逃げようというような気にもならず、忍耐はいらないであろう。忍耐がいるのは、その傷害が大きくなって苦痛が深刻になりはじめてからである。忍耐しないのなら、その苦痛・傷害からは逃げて、苦痛を被ることはない。忍耐するから、苦痛が顕在化し大きくもなる。忍耐が苦痛を招いているとも言える。
 いやなことをいやがらず、ほしいものをほしがらず、という振舞い・態度を持続させていると、この態度を続けて行ける限度になってくることが多い。それを知らせるのが苦痛である。この苦痛という限度をさらに超えていくことがひとにはできる。自然を超越して苦痛を甘受しつづける、忍耐である。欲求・反欲求という原因があって、それを抑制する営為の中で苦痛が生じることになると、その持続には忍耐が必要となる。忍耐は、主観に生じたこの苦痛に耐える。苦痛を回避しても問題ないのに、そうせず忍耐するのだとしたら、苦痛生起の責任は、忍耐する者の意志にあるのであり、忍耐が苦痛をもたらしていることになる。

陶潜は、古い時代のままの生活に目を注ぐ

2020年05月23日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
【2-2.陶潜は、古い時代のままの生活に目を注ぐ】異世界・異境を語るに際して、陶潜の『捜神後記』が、浦島説話のような異時間を語らないのは、陶潜というひとの好み・価値観がかかわる。空間とちがって、主観的な時間は頼りにならない。同じ時間でも状況しだいで長くも短くも感じる。そんなあいまいな時間など論じるに足りないと陶潜は考えていたのではないか。時間よりも空間重視の立場である。未知の渓谷をさかのぼり、行く手を遮る深山の奥に秘された洞窟があり、これを通り抜けていくと、その向こうに別世界があったと、空間的に異世界を定位するだけで十分と考えていたのであろう。
 時間的なものは、主観的で捉えようのないところがあり、ひとによっては、時間は、先後が逆転さえする。自分の時間感覚が狂っていて、「橋が落ちた」のは昨日なのに、明日のことと時間定位した場合、「明日、橋が落ちる」ことが明々白々だと思え、「自分には予言が出来る」と確信することが可能である。時間感覚は、今浦島での錯覚の体験に限らず、主観の在り方に応じて変容し、信頼するにたりないものがある。また、地理的な空間とちがって、捉えどころがなく、「雄略天皇の御世戊午22年の秋7月、丹後の国で」奇怪な浦島失踪事件があったと言っても、年も月も同じ数字のことで記憶に長くはとどまらず、年号など聞いたとしても、その支配下にない者には無意味な符丁でしかなく、右の耳から左の耳へと抜けて意識にはとどまらなかったことである。これが伝承されていくときには、一律に過去一般になって、「むかし、丹後の国で」となっていく。時間は、自明と感じられるが、いざこれを捉えよう、明確にしようとすると、曖昧模糊としてきて捉えようがなく霧散してしまうものでもある。空間的なかたちで、深山の洞窟の向こうにとはっきり別世界が確定できるのであれば、仮に伝承されているものには異時間的なものがいわれていても、あいまいで信ずるに足りないものとして、省かれることになったのであろう。 
 もうひとつは、陶潜の『捜神後記』の場合、別のかたちで異時間的なものが空間的な世界のなかにすでに存在していることもかかわってこよう。つまり、「桃源郷」では、晋という現代のなかに、秦の昔がそっくり残っていた。そこにと世を避け隔絶した生活をしていたひとびとは、秦のむかしのままにとどまり、そのあとの漢とか魏、晋の時代を知らなかったのである。ひとつの孤立した現実の空間のもとに、ふるい時代がいわば化石化し空間化して厳然として存在していたのである。
 これは、現代ではすくなくなったが、まだときには可能な異世界体験である。なつかしい古い時代の生活をしている国々があるのを見て感激したりすることがある。かつては、日本でも、都を遠のくと、遠のくほどに、より古い時代(の生活)が見いだされ、「桃源郷」ならずとも、地方にいけば、新時代には無縁の過去の時代(の生活)が満ち満ちていたはずである。簡単に古い時間の残存が体験された。空間化した形でふるい時代が、歴史博物館のような光景がひろがっていたことである。そういう古い時代の光景は、「浦島」のような主観的な錯覚の体験とちがって、客観的に存在する事実であり、もし時間的なものが問題にされるとしたら、まずは、こちらの方こそを取り上げるべきだということになってよい。陶潜は、「桃花源記」では、そうしている。体験としての異時間性(錯覚)にはふれないが、生きる時代を異にする奇異な人々の存在、秦の時代しか知らない生きた化石のような人々が存在していること(真実)は、しっかりと語る。 
 浦島説話が異時間体験を語るのは、異境からもとの世界に帰ってからのことだから、まず、陶潜の「桃花源記」のように語り、古い懐かしい時代の残存を示して、さらに帰郷してから浦島的な奇怪な異時間体験を語ることもありうる。ただし、主観的な錯覚として浦島体験はあるのだから、客観的な真実を語ろうという姿勢においては、陶潜のようにして、浦島体験は語らずということになるであろう。しかも、異時間体験の話となると、どうしても、誇張・虚偽が入ってしまう。1年故郷を離れていて、帰郷時に、突然の(1年分の)変貌を見出して奇怪に感じたとしても、それは、1年の飛躍に留まるはずである。奇異な時間感覚もすぐに錯覚と分かる。だが、それでは、ひとの関心などひくことはできない。1年の飛躍でしかなくても、大きく誇張して100年とか200年の時間経過・飛躍をかたってしまう。真実を語ろうという者には、その誇張・虚偽は、許しがたいことである。自身の語りのなかにそれを混入させることは、虚偽の毒を入れることにほかならず、浦島的な異時間の誇大妄想の部分は、排除する必要があると、真実を語ろうとする者は考えることになる。

苦痛やその原因を小さくして、長く忍耐できるようにもする

2020年05月18日 | 忍耐論2(苦痛甘受の忍耐)
2-5-5-1. 苦痛やその原因を小さくして、長く忍耐できるようにもする
 忍耐は、苦痛を甘受するのだから、苦痛をなくしたり小さく抑制するものではない。原則的には苦痛はそのままに甘受する。苦痛を抑制し受け入れないということは、忍耐しないということである。だが、その肝心の忍耐を維持するために、よけいな苦痛があれば、これにエネルギーをとられて忍耐が続きにくくなるので、この不要な苦痛は可能であれば排除しておくことになる。苦痛とその原因について、これを最小限の苦痛と原因にとどめて、忍耐を最大にもっていけるようにする場合が生じる。 
 手段・犠牲としての忍耐は、目的実現にとってのものとして、その犠牲や苦痛がこの目的実現をさまたげないのであれば、忍耐は、これを拒否・排撃してかまわない。忍耐を貫徹するために、不要な無駄な苦痛の甘受はやめるということである。冷水のなかに立っていなくてはならない忍耐があるとすると、両足をいれて立っている必要はないから、より長く忍耐するという目的のためには、片足を入れて他方の足は出して楽にしておくという方法をとれば良い。
 この忍耐における不要なものの捨象・拒否については、苦痛自身とその原因との両方に可能で、忍耐に際して種々工夫されることである。生じた苦痛(蚊に刺された痒み)は我慢するとしても、その原因は排除する(蚊は叩き潰す)ということは多い。逆に、苦痛の原因となるものをしっかりと受け入れるために、苦痛の方を忍耐できる程度に減少させることもある。手術の麻酔がそうである。苦痛の原因となる肝心の手術は確実に行う必要がある。それには、激痛で忍耐できない状態にはしないようにすることが求められ、苦痛を小さくするために、ほどほどには麻酔をする。 

異時間を語る者と、語らない者

2020年05月13日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
2.『幽明録』と『捜神後記』
【2-1.異時間を語る者と、語らない者】浦島太郎のような異時間体験は、主観的な体験としては、「今浦島」と言われるものを代表にして、しばしばあるが、それは、客観的には錯覚にとどまる。そして、その錯覚は、通常、当人がすぐに気づくことでもある。だとすると、昔話・説話の伝承者の資質のちがいによって、異時間を語る浦島とこれを語らない山幸彦のちがいのように、これが誇張され際立たせてとりあげられるばあいと、客観性を尊んで、異時間体験は錯覚で些事として捨象されるばあいとがでてくることになる。
 異境・異世界に行っての異時間体験を際立たせる方の話として、例えば、中国の話で、『幽明録』に採録されているものに「天台の神女」というのがある。二人の男が深山にはいりこんで道に迷い何日もさまよっていたところ、ある谷間で二人の女性に出会い、彼女たちの住む桃源郷のようなところに行った。そこで半年ほど楽しく暮らすことになった。やがて、故郷にかえりたくなって、山を下って帰ってみたら、親戚も知人もいなくなっていて、自分たちの七代後の子孫に出合うことになった。その後二人は、家をでて行方不明になったというような話である。
 これに類似した話を陶潜の『捜神後記』は、いくつかあげている。しかし、いずれも、『幽明録』のような、帰郷してみたら膨大な時間が過ぎていて七代後の時代になっていたというような浦島的な時間的異常性については、これを述べることがない。そのなかで一番『捜神後記』で有名なのが、「桃花源記」である。桃の花のさきほこる渓谷をさかのぼって、山中の洞窟にはいり、そのさきに別世界を、のどかな桃源郷を見いだした。そこの住人は、秦の時代に世を避けてこの桃源郷に住みつき隔絶して、漢、魏、晋の時代を知ることなく平和に暮らしているのだった。しばらくそこにいて帰った。再び行こうとしたが、行き方がわからなくなっていたという話である。もちろん、行き来に際しての時間的な異常さは、言われることがない。
 『幽明録』の「天台の神女」と同様の異世界へ迷い込んだ話になるはずであるが、陶潜の『捜神後記』は、いずれの話も『幽明録』の「七代後」などというような時間的異常さは、いうことがない。浦島のように、異境・異世界にとしばらく離れて、そののちに帰郷したのであれば、各話の体験者自体においては、おそらくは、時間的異常さが体験されたはずであろうが、それは、陶潜からいうと、主観的なもの、錯覚にすぎず、そういう些事など述べる価値がないということだったのであろう。しかも、その錯覚の異時間は、その旅の間の時間の長さ(さきに「天台の神女」でいえば、半年)であるはずを、針小棒大に、100年200年にと誇張する。そうしないと、今浦島的体験はだれでも大なり小なり持っていて、聞くものを引き付けられないからである。話を面白くするためとはいえ、そういう誇大妄想の虚偽を語ることは、事実・真実の異境体験をおとしめ汚すことになると思えば、むしろ、語るべきでないということになってよい。
 陶潜にとって、異世界にかかわって語るべき大切なことは、広い中国の大地のどこかに実在しているはずの、深い山中の別天地へとたまたま迷いこんでしまったこと、そこで奇異な世界を垣間見ることになったという珍奇な体験だったのであろう。中国大陸の西や南の少数民族のもとには、都市部とはまるで異質の異境・秘境が、桃源郷の名にふさわしいようなところが、今も数多く存在している(中国が国家資本主義社会になってからは、あらゆるところが急激に資本制化していて、社会生活上の異境は、老人が守るだけの遺風になっており、そういう秘境・異境も、均一の経済観念のもと、観光地化するか、放棄され廃墟になるかして、まもなく消滅していくことになりそうである)。主観的な奇怪な時間的錯覚などをもって異境・異世界にさそわなくても、すでに、十分、実在している奇々怪々な秘境・異境があるのだから、その真実の姿を語るだけでよかったのであろう。 


忍耐では、苦痛の原因への関与は一定せず、放置することもある

2020年05月08日 | 忍耐論2(苦痛甘受の忍耐)
2-5-5. 忍耐では、苦痛の原因への関与は一定せず、放置することもある
 忍耐は、当人の主観のうちに生じた苦痛を甘受する。しかし、苦痛の原因となる客観的なものについては、忍耐するかどうかは、ことに応じて種々となる。苦痛とその原因が一体的な場合、苦痛を甘受することで同時的に原因も受け入れることになる。熱湯に我慢する場合、その熱さ(苦痛)に耐えることは、熱湯(原因)を甘受・我慢することと一つであろう。しかし、苦痛の原因は、苦痛と離れていることも多く、その場合には、苦痛甘受の忍耐は、原因については、種々の異なった対応をとることができる。空腹の苦痛を忍耐する場合、その苦痛の原因には、関わらず放置するのが普通であろう。原因の食欲自体に対しては忍耐する意識は関与することなく、したがって忍耐することなしで、空腹の苦痛だけに忍耐するものであろう。しかし、尿意の場合は、その苦痛を甘受して忍耐すると同時にその原因の尿意という衝動自体について、これにも忍耐する。その尿意自体を我慢せず放置するとしたら即放尿となって、その苦痛を解消し忍耐を無意味化してしまう。
 苦痛の原因自体の快不快等の特性からして、それへの忍耐の有無が決まるものもある。その原因が苦痛となるものでなく、逆に快であったとすると(悪臭のする美味の発酵食品など)、忍耐するのは苦痛のみで(悪臭に忍耐)、その快(原因)は、忍耐無用で、欲する状態なら、これを享受することになる。そうでなく、苦痛と同じくその原因もいやな受け入れたくないものなら(苦痛の原因だから嫌なものになることが多い)、苦痛を甘受するだけで、その原因は受け入れなくてもよいのなら、忍耐せず、排除することであろう。
 目的の手段となっているものの場合は、苦痛甘受のみでなく、原因は快不快を問わず、これを甘受していくことが必要である。場合によっては、苦痛は回避しても、その原因だけは受け入れ続けるべきかも知れない。とくに激しい苦痛がある場合は、これは耐えがたいと苦痛軽減策をとってその原因の手段の方(たとえば、手術)は、目的のために必須だからこれの受け入れを優先するというようなことも生じるであろう。
 忍耐する主観の余裕の有無とか、意欲の大小に応じて、苦痛の原因への対応はその都度異なることもあろう。蚊に刺されての痒み(痛み)は、これのみを甘受することもあれば、その原因となる蚊自体にも忍耐して殺生はしないで従容とすることもあろう。