放胆-大胆・果敢を解き放つ-

2012年10月30日 | 勇気について

5-8.放胆-大胆・果敢を解き放つ-
 勇気は、危険への恐怖を忍耐し制御する。だが、それだけでは危険なもの自体は放置されたままとなる。勇気は、さらに、この危険なものを排撃する必要がある。危険と対決する大胆さ・果敢さの勇気がそれを進めていく。恐怖忍耐の勇気は、こころのうちに留まったものであるが、大胆・果敢の勇気は、恐怖から解き放たれて、そとに、危険の実在世界に飛び出して、積極的能動的に危険なものと対決する。こころ(=「胆」)は、妨げなく解き「放」たれると、撃破すべき危険なものが目の前にあれば、おのずと攻撃的に「放胆」に、大胆に果敢になっていく。
 かみつきそうな猛犬の前では恐怖し、殴りつけるような大胆さは持ちにくい。恐怖は、ひとのこころを萎縮させ、攻撃的になることを妨害する。だが、その猛犬が鎖でつながれていることが分かって恐怖が消失すると、とたんに勇敢になって大胆となり、場合によってはこれを果敢に殴打することもできる。
 恐怖の重石がとりのぞかれたら、こころは、自由闊達をとりもどす。萎縮し臆して自己規制していたブレーキを解いて、攻撃は果敢になる。ひとを含めて動物には、生保存のための闘争的な本能がある。誰も殴られたくはないが、有害で気障りなものを懲らしめ殴ることは、欲求ともなる。殴り返される恐怖がなければ、排撃すべき危険なものへは、生が活発なら、おのずと放胆に、大胆に果敢に対処していくことが可能となる。