眼前のお膳・トレイに全部をまとめる

2015年08月28日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-1-5-1. 眼前のお膳・トレイに全部をまとめる
 節制は、過食になる限度から働くが、食べはじめに、限度となる量を自分のトレイに分けて取る場合もある。食べはじめから、摂取してよい総量を目の前に明確に示すこととなる。そうしておいて、自分のトレイの中のものは全部を食べて快楽を堪能するのである。それを完食することで、限度一杯が実現される。
 たくさんの大皿から好きなだけというのは、存分に食べられて好都合であるが、「もうちょっとだけ」とだらだら食べて過食になりがちである。ここが限界というところが明確でなくストップの意志が働きにくくなる。お膳にしている場合はこれをふせげる。もう一膳は、はじめから過食で二人分ということになり、そう簡単には過食に踏み切れないことであろう。お膳・トレイにその食の総量をまとめて出すのは、外食ではよくあることだが、大食の者を基準にしたものとなる。
 似通った様式で、手間ひまのかかることではあるが、お膳という空間に全体を出すのではなく、時間の流れ・コースにまとめる形式もある(献立表で全体を知る)。いまの日本料理やフランス料理でときにそういう形式をとっている。多彩な料理類が、一皿づつ空になったのを待って出されるなら、一つ一つの料理をその美味はもちろん美的な配慮までもしっかり味わうことになる。美味以外の多彩な価値も享受して食の満足感が得やすく、少なめで満腹感も得られる。ご馳走を堪能するための形式であるが、過食阻止にも相応しいものである。


限度内へ収める食の節制の工夫

2015年08月21日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-1-5. 限度内へ収める食の節制の工夫
 快楽(おいしさ)堪能から、過剰となる限度をもって、節制は、禁欲的に姿勢を反転させる。その限度の設定は、食の場合、一食のうちでの限度をいうだけではない。一日の総量、一日の限度をいう。栄養の管理では、一日分の適量を問うのが一般であろう。長期的な視点からは、特別のご馳走の出たときには、その限度を高めておいて、満腹食べて過食することもあってよい。他の日はそれに合わせて粗食でつじつまを合わせるのである。
 限度となるのは、出た食べ物すべてで一斉にということでもない。個々の食べ物で異なる。甘味料などははじめから禁欲的で味付けをどの食べ物でも薄くするということになる。好物は、おそらく食べだしてから早めに限度となって禁欲すべきことになるであろうが、その適量を意識して一部は最後にとっておくこともある。日本食の場合は、副食とちがいお米のご飯(主食)は、一般的には、はじめから終わりまで摂取して最後まで味わえるように食べ方を調整している。その限度量は、自分用のお茶碗を用意して、それに一杯とか二杯とかになる。
 一日を単位にして三食全体のうちで摂取の限度なり超過を考えればいいことであれば、甘党なら、一食は、甘いものを堪能できるようにすることもある。朝は満腹、夕食は少量にといった塩梅も限度を越えない工夫である。


性や麻薬にみる欲求の抑制・無抑制

2015年08月14日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-1-4-4. 性や麻薬にみる欲求の抑制・無抑制
 食では、快楽でないもの、美味でないものも、それどころか嘔吐しそうな不快なものも必要な栄養ならと摂取する。だが、性の営みは、快楽にならないのであれば、すすんでこれに関わることはない。飲酒も同様で、これを不快とする下戸は、飲酒欲求をもたない。飲酒する者は、これを快楽としている者である。
 食では、摂取の促進・抑制・無抑制は、複雑である。砂糖ひとつとっても、他の食品との組み合わせ次第で、これを無抑制にとどめることもあれば、抑制の筆頭にあげる場合も出てくる。だが、性欲の場合は、きわめて単純である。夫婦の間なら、原則、無抑制・促進になる。かつそれ以外の相手については、全面的に抑制して禁じることを節制は求める(食でも、自分のお膳やトレイに載せたものだけに限定して、よそのお膳からとるのは、ご法度・禁止ということで、性的節制と同様の方式をとることもある)。
 飲酒(酩酊)の快楽は、美酒も安酒もまったく同一で、性の快楽の有り方に似ている。性の快楽享受においては、さらに、どんな場合も同一量の快楽にとどまり量的には調整はできず無抑制になるが(つねに、自分の作り出す同量の快楽、つまり男子なら射精の絶頂感で、放尿の快楽とちがい中断できるほどの持続性はない)、酒の酩酊の快楽は、その摂取量で、ほろ酔いから泥酔までの違いがでる。その点での分量の抑制をし、快楽(酩酊)の回数を抑制するのが節酒である。


節制の最中でも、無抑制、もっぱら促進のみのものもある

2015年08月07日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-1-4-3. 節制の最中でも、無抑制、もっぱら促進のみのものもある
 有害になるから快楽享受を抑制するのである。有害にならないものなら、抑制することはない。食の場合、野菜類は、たらふく無抑制に摂食してもいい。性的快楽でも夫婦間では、原則、無抑制、あるいは、促進のみで夫婦円満であろう。
 食では、美味の快楽とともに、満腹感を充たすという、食の量的充足が問題となる。食の節制・抑制は、美味のものを中心とするが、美味の快楽が問題というよりも、それを満腹するまで食べるという、満腹感の追求が過食を引き起こすのである。満腹感は、美味の高栄養のものでなくても、胃が一杯になることが第一であるから、過食傾向のひとでは、栄養価の低いものを大量にとるのが得策となる。
 性や麻薬の場合は、もっぱらに快楽を追求するが、食では、快楽のみを追求することはできない。したがって、節制も、快でないものも摂取するなかでのこととなる。嘔吐をさそう不味い物も、栄養として摂取すべきこともある。節制しているなかで、そのまずいものは、逆に促進すべきものとなる(節制自体は、快楽(享受)の抑制だから、不快の摂食そのものを促進させるわけではなかろうが)。
 美味しいもの・快楽については抑制に注意がいるが、そうでないものは、過食にさそわれることはないから、おおむね無抑制・促進でよいことになろう。