闘魂、チャレンジ精神-気迫と根性で勇気を貫く-

2012年10月02日 | 勇気について

5-4.闘魂、チャレンジ精神-気迫と根性で勇気を貫く-
 勇気を出すには、理性のリードが必要だが、思慮するだけの理性では、絵に書いた餅にとどまる。思うだけで実行がともなわないのでは、負け犬の遠吠えにとどまる。理性的に描かれたもの、あるべきものは、それの実現のためには、自身のなすべきこととしなくてはならない。普遍・観念にとどまるのでなく、個別・実在の実践的レベルに下りて、理性は、この身を動かすことが必要である。ネコに鈴をつけるべきだと大胆なことを思うだけではなく、勇気あるネズミは、恐怖に震えながらも、鈴を手にもってネコのそばへと己の足を運ぶ。そういう実行への能力を勇気は必要とする。
 勇気は、危険なものと戦う。勇気をもった理性は、危険なものの排撃にとおのれを集中し、変革意志として働き、さらには、おのれの身体的個体に降りていって、戦いにふさわしい姿をとり、闘魂・チャレンジ精神となる。あるいは、それは、身体的個別個人的な感性・感情・欲求が、戦う理性にと一体化したものであろうか。
 戦う勇気は、危険なものの危害を防ぎ、それを排撃する行動をとるが、それには、その危害を防ぎ耐える力が必要となり、艱難・辛苦への忍耐力が求められる。排撃するには、その攻撃力が養われねばならない。ひとは、適応能力にとむから、勇気をふるうたびに、そういう戦いのための理性と感性の総動員体制をとり、気迫と根性をもった果敢で我慢強い、より逞しい闘魂・チャレンジ精神を自らに育てていく。