3-1-4. 一つの物が、多くの価値・反価値をもつ
ひとのもつ欲求は、多様多彩である。同じ物に関わるとしても、欲求のあり方が多様であるから、その物の価値も多様となる。同じ物がひとによって、欲求対象であったり、なかったりするから、それに応じて、価値あるものとなったり、無価値、反価値ともなる。水が欲しい者には、水は価値あるものとなるが、そうでなければ、無価値か、服が濡れることになるのだったら、その水は、反価値となる。同一人において欲求自体の変化に応じて、同じ物が価値にも反価値にもなっていく。美味の食べ物は大きな価値だが、満腹するようになると、その価値は小さくなり、過食気味になると、それは、見たくもないような無価値・反価値にと変わる。と同時に、ひとの欲求は、かなり似通ったものになるから、似通ったものを価値とすることになり、多様多彩な価値づけを行いつつも、同じような価値づけをして同じような価値観のもとに、同一の価値物の獲得にあくせくもする。みんなが同じものにおいしさの価値を見出すから、高価な食品や料理がなりたつ。それでも、個人により違いがあって好き嫌いがあり、一つの食品が万人に価値あるものと見なされるようなことは少ない。
物自体は、単純ではないから、どこから見られるか、どうとらえられるかで、価値のあり様を変えていく。ひとつの物も、多くの特性・属性をもって存在しているから、そのどこをとらえるかによって、その物の価値は、異なったものとして現れることになる。同じ新聞紙でも、その役立ちは多様である。なんといっても、それは、情報の媒体としての価値をもつものである。だが、そこで求めるものが物を包むことであった場合、新聞紙は、包み紙という価値物に変化する。湿気をとりたいという場合は、吸湿剤にと早変わりする。燃えやすい性質をもっているから、着火のための可燃物としても使用されて価値を発揮する。もちろん、無価値・反価値にもなる。衝立が欲しいと思ったときには、新聞紙は、立てられないだろうから、無価値に見なされる。消火しようと思ったときには、水は有用な価値だが、新聞紙で包んでも一層燃え上がるだけであって、反価値になり変わる。
ひとのもつ欲求は、多様多彩である。同じ物に関わるとしても、欲求のあり方が多様であるから、その物の価値も多様となる。同じ物がひとによって、欲求対象であったり、なかったりするから、それに応じて、価値あるものとなったり、無価値、反価値ともなる。水が欲しい者には、水は価値あるものとなるが、そうでなければ、無価値か、服が濡れることになるのだったら、その水は、反価値となる。同一人において欲求自体の変化に応じて、同じ物が価値にも反価値にもなっていく。美味の食べ物は大きな価値だが、満腹するようになると、その価値は小さくなり、過食気味になると、それは、見たくもないような無価値・反価値にと変わる。と同時に、ひとの欲求は、かなり似通ったものになるから、似通ったものを価値とすることになり、多様多彩な価値づけを行いつつも、同じような価値づけをして同じような価値観のもとに、同一の価値物の獲得にあくせくもする。みんなが同じものにおいしさの価値を見出すから、高価な食品や料理がなりたつ。それでも、個人により違いがあって好き嫌いがあり、一つの食品が万人に価値あるものと見なされるようなことは少ない。
物自体は、単純ではないから、どこから見られるか、どうとらえられるかで、価値のあり様を変えていく。ひとつの物も、多くの特性・属性をもって存在しているから、そのどこをとらえるかによって、その物の価値は、異なったものとして現れることになる。同じ新聞紙でも、その役立ちは多様である。なんといっても、それは、情報の媒体としての価値をもつものである。だが、そこで求めるものが物を包むことであった場合、新聞紙は、包み紙という価値物に変化する。湿気をとりたいという場合は、吸湿剤にと早変わりする。燃えやすい性質をもっているから、着火のための可燃物としても使用されて価値を発揮する。もちろん、無価値・反価値にもなる。衝立が欲しいと思ったときには、新聞紙は、立てられないだろうから、無価値に見なされる。消火しようと思ったときには、水は有用な価値だが、新聞紙で包んでも一層燃え上がるだけであって、反価値になり変わる。