鵜を最近あちこちの河で見かける。今日も、のんびりと川の中の石のうえでひなたぼっこしているのを見かけた。川にいるのだから、「川鵜」なのだろう。いつ見ても、暇をもてあましてボーとしている様子であり、近寄っていって「つまらなさそうだが、一緒に魚でも獲って遊ばないかい!」と「鵜飼い」に誘いたくなる。
日本の鵜飼いでは、鵜にひもをつけて逃げないようにし奴隷化しているが、中国の鵜飼いをみると、ひもなどつけず自由にさせている。それでいて、ちゃんと漁をなりたたせている。しっかりと家畜化されている感じである。ひとと漁をすることが鵜にも好都合なのであろう。洪水のときなどでも、最低限の生活は保障される。
遊び心があるのかもしれない。鵜のまねをする「からす」は、よく遊ぶ。まねされる鵜も魚をとって楽しいのではないか。鵜は、自分だけだとすぐ満腹してしまうので漁の楽しさは、すぐ終わるが、鵜飼いがはきださせてくれるので、いくらでも漁が楽しめるということである。あるいは、長い首の一部をしばって大きな魚はのどにつまるようにしているので、「のどがつまった、ウッ、ウッ、とってくれー」と鵜飼いのところへ戻ってくるのか。
だいたい、漁は、獲るまでが面白いのである。鵜も、魚を追っかけて捕まえるまでが楽しいのであり、獲ったら、もうあとは、吐き出さないと次が楽しめない。ネコでも、ねずみを捕っては、逃がして、ねずみには迷惑だが、猟を楽しむ。
日本のは、長いひもをつけて、鵜飼いが「この手綱さばきが難しいんです」とやっているが、どうしてひもで操ることになったのであろうか。日本の鵜飼いの鵜は、海鵜だという。川鵜でないので、ひもをつけていないと、潜ったままどんどん下流に逃げて、海に帰っていくのかも知れない。
日本の鵜飼いでは、鵜にひもをつけて逃げないようにし奴隷化しているが、中国の鵜飼いをみると、ひもなどつけず自由にさせている。それでいて、ちゃんと漁をなりたたせている。しっかりと家畜化されている感じである。ひとと漁をすることが鵜にも好都合なのであろう。洪水のときなどでも、最低限の生活は保障される。
遊び心があるのかもしれない。鵜のまねをする「からす」は、よく遊ぶ。まねされる鵜も魚をとって楽しいのではないか。鵜は、自分だけだとすぐ満腹してしまうので漁の楽しさは、すぐ終わるが、鵜飼いがはきださせてくれるので、いくらでも漁が楽しめるということである。あるいは、長い首の一部をしばって大きな魚はのどにつまるようにしているので、「のどがつまった、ウッ、ウッ、とってくれー」と鵜飼いのところへ戻ってくるのか。
だいたい、漁は、獲るまでが面白いのである。鵜も、魚を追っかけて捕まえるまでが楽しいのであり、獲ったら、もうあとは、吐き出さないと次が楽しめない。ネコでも、ねずみを捕っては、逃がして、ねずみには迷惑だが、猟を楽しむ。
日本のは、長いひもをつけて、鵜飼いが「この手綱さばきが難しいんです」とやっているが、どうしてひもで操ることになったのであろうか。日本の鵜飼いの鵜は、海鵜だという。川鵜でないので、ひもをつけていないと、潜ったままどんどん下流に逃げて、海に帰っていくのかも知れない。