広義と狭義の忍耐への区別

2020年04月28日 | 忍耐論2(苦痛甘受の忍耐)
2-5-4. 広義と狭義の忍耐への区別   
 忍耐は、苦痛にすることはまちがいないが、苦痛の原因については、関与しない場合もあれば、忍耐する対象に含める場合もある。苦痛の原因への忍耐は、一律には決められない。単純化していえば、狭義の忍耐は、主観のうちの苦痛のみを対象にし、広義には、苦痛だけではなく、その客観的な原因も対象にするということになろうか。
 忍耐は苦痛にする。苦痛は、主観のうちのみにあるものだから、忍耐は、主観内の苦痛にかかわるのみで、その限りでは、そとの事物(原因物)には直接にはかかわらない。狭義の忍耐はこれである。だが、内の苦痛と外の物が密着している場合、うちの苦痛ではあるが、苦痛(たとえば、熱さの苦痛)を取り扱うことは、同時にそとの原因物(熱湯)に対処することともなる。さらに、離れている原因でも、苦痛発生の原因になるのであれば、苦痛への忍耐をするに際して、無視できないことも生じる。客商売などでは、苦痛が生じそうなら、つまり、そとの原因があれば、「我慢願います」という。広義の忍耐を問題とすべきこととなる。
 忍耐する意志が現にそこで働いておれば、忍耐である。だが、苦痛が断続的であったり、時々しか生じないとすると、その間は忍耐の構え・準備をしているだけになる。苦痛がなくても、その間、苦痛向けの姿勢はとって忍耐の構えをとるのであれば、これは、忍耐のうちのこととなるであろう。苦痛はなくても、その原因があれば、その原因を注視して苦痛発生を招かないように、あるいは、発生したら苦痛回避の衝動を抑止するためにと、その構えをとっているのである。だが、実際にそれが働いて苦痛回避衝動を抑止する忍耐は、苦痛顕在化の時点のみでのこととなる。狭義には、発生した苦痛と対決するのが忍耐である。
 忍耐としての辛抱では、実際に苦痛に対決する場面は一時のことであろう。それでも、姿勢としては、その全期間にわたって、その苦痛から逃げないという姿勢をもって構えているのである。禁煙の忍耐(辛抱)は、実際に喫煙衝動とその苦痛がなくても、持続して、衝動が生じないようにアメをなめたり、たばこをそばにおかないなどの苦労をする。それらもふくめて辛抱・忍耐であろう。苦痛の原因に関与しているだけの段階も忍耐のうちとなろう。「我慢」は、現に苦痛があり苦痛を対象にする狭義の忍耐が中心になり、「辛抱」は、苦痛になりそうなことを含めての対応となり、広義の忍耐になることが多くなろうか。
 欲求への忍耐では、その快欲求を抑制することが苦痛でなければ、忍耐ではなかろう。その抑制が苦痛になってからは、間違いなく忍耐である。しかし、どの時点から苦痛になるかは、周囲はもちろん本人にも決めにくいところがあるなら、欲求の抑制自体を忍耐とすることがあろう。とくに、商売などで、客の欲求を抑制することがあるときは、苦痛が生じるかどうかは分からないがその可能性があれば、「我慢願います」と忍耐をもってするのが普通であろう。外部から見る場合、苦痛は見えにくいから忍耐も見えにくい。広く忍耐をとるべきことになっていく。苦痛の可能性がありそうなら、実際には、だれも苦痛ではなく、忍耐も無用だったとしても、「我慢してください」ということになる。客の方も、我慢・忍耐への構えはとることになろう。あとで、その広義の忍耐について、「我慢が必要でしたか」と聞いて、必要だったかどうかを判断するのは、そこで苦痛が生じたかどうかにかかるであろうから、その場合は、狭義の、苦痛の忍耐を忍耐として意識することになる。


浦島は、空の小箱しか携行できなかった

2020年04月23日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
【1-6.浦島は、空の小箱しか携行できなかった】浦島は、竜宮の乙姫(亀姫)と結ばれた。が、釣りつられての刹那的快楽を求めての結びつきだったから、長続きはしなかったのであろう、離婚してしまった。山幸彦の場合は、快楽を求めて竜宮に行ったのではない。釣り針を探す苦難の冒険の旅に出たのである。その中で、竜宮の豊玉姫を妻とし、海幸彦との戦いに使える、潮の干満を操れる魔法の玉「しおみち(潮満」」玉と「しおひ(潮涸)」玉を手に入れて帰郷した。「桃太郎」のような、略奪をもっての帰還ではなかったから、鬼ヶ島からの報復を心配することなど無用だったどころか、のちに山幸彦の一族は竜宮との結びつきを深めてもいる。冒険の旅の成功譚の代表である。しかし、浦島は、離婚し、かつ、山幸彦の向こうを張って、何につけても隣りと同じようにしたがる日本人の習性にしたがって、一応玉手箱(玉匣[たまくしげ])を手にしてはいたものの、むなしい帰郷であった。玉といわず、玉匣と、匣(手箱)をいうのは、玉などもらえる状態ではなく、せめて見栄のための小さな手箱だけでも、ということだったのであろう。その小箱には中身はなかった。というか、ないことを隠すのが、その箱であった。あったとしても、それは、自分の身を抜け殻にしてしまった玉=魂の痕跡か、抜け殻の自分を映す鏡ぐらいだったであろう。    
 日本での冒険の旅は、故郷に帰ることで終わる。古代の浦島も山幸彦も、江戸時代の冒険譚の代表の桃太郎も、冒険の旅の末には故郷に帰る。グリムらのメルヘンの若者の冒険の旅は、巣立ちした動物のように、古巣には帰らないで、新天地に落ち着き先を見出して終わる。西洋の桃太郎なら、鬼ヶ島にいって、鬼の王女と結婚して鬼ヶ島の新王となる。略奪は、持って帰れる宝物ではなく、それを含めた国土そのものを略奪する。だが、日本の桃太郎は宝物を持って、帰ってくる。故郷へ錦を飾るということは、最近までよく言われていた。自立精神が希薄である(もっとも、古くはヨーロッパ人の冒険の旅でも故郷に帰るのが一般であった)。冒険に成功したのなら、帰っても、威張りたい、褒められたいということで分かるが、失敗した者ですらも、慰めてもらいたいということであろう、帰っていく。穏かな故郷の自然にいだかれて、亡き父母、爺婆が、草葉の陰で「よお帰ってきてくれたのお」と、情けない自分なのに宝物のように思ってくれ、慰めてくれるのであろう。
 浦島は、宝物を持って帰れなかったので、見栄の空箱をもって舞い戻ってきた。どこにでも居そうな日本人の一人である。英雄や石部金吉ではしんどいが、浦島は、情けない者としての自覚をもつ庶民の琴線に触れるところがあるのであろうか、おそらく山幸彦よりも人気がある。語られるだけでなく、古くから書籍にも繰り返して取り上げられてきた。苦しむためだけに生まれてきたかのような庶民の若者には、快楽・享楽の生活は、夢のまた夢であった。せめて、淫本『源氏物語』(「我国淫本の権輿」とは斯界の通人永井荷風の言)の万分の一でも、淫らな願望を満たすことができればと夢見たことであろう。浦島のような生き様が破綻することは承知していての悲しい願望であった。それが浦島太郎において語られているのであり、自分たちの悲しく情けない夢だと共感されたのであろう。 
 浦島説話では、「望郷の念にかられ、ほんの一時の帰郷を願い出た」ということになっている話もあるが、見栄のための空の小箱の携行しか許されなかったのであるから、かれは、あいそをつかされたのである。鯛や鮃の尻を追いかけ飲み食いするのみの無能者ということになって竜宮を追われた浦島は、故郷に安らぎをもとめて帰ったのではないか。その故郷がかれに安らぎの場として存在するためには、失敗を知っているもの、これを、快楽主義者の成れの果てかと、あざ笑うものがいたのでは、よくない。帰郷時に長大な時間経過をもたらした異時間体験は、幸いであった。みんな草葉の陰に憩い、早く来いよと誘ってくれる優しい家族や友人ばかりを想うことができ、安らかな終わりとなりえた。 
 浦島の場合は、快楽に感けてのことで自業自得となりそうだが、勇敢で真摯な冒険精神に富む海洋民族の若者たちは、幸を求めて海にと出かけていき、しばしば帰らぬ人となった。嵐の大海原で遭難し海の藻屑となり果てた者が多かったろうが、ときには運よく異国に流れ着いてのち、長年月を経て帰郷したといった話もあったことであろう。その間に、老いた両親はもちろん、夫の帰りを待ち続けた妻も飢えと過労で病死し、子供は、孤児となり行方不明になっていたといった悲惨な浦島も生み出したはずである。さきの太平洋戦争では膨大な数の戦士が海で異国の地で凄惨な死をとげたが、絶海の孤島やジャングルの奥地でなお生き残っていても戦場の無数のしかばねの中で行方不明となれば死んだことにされた。お骨のない骨箱が、玉(魂)のない浦島的な玉手箱が故郷に送られていて、戦後しばらくして日本に帰ってみたら、自分の墓があって、妻は家をでて再婚していたといった悲劇の戦士浦島もあった。自分の知る者がすべていなくなっていて、そういう悲劇の追い打ちにあわずに済んだ浦島は、悲しくも幸いだったともいえる。太宰治は、浦島が突如老人になり、不幸な最期を迎えたとする普通の見方を拒み、実は逆で、浦島の「三百年の年月」は、すべてを忘却のかなたに置き去ることであり、それは、むしろ、「人間の救ひである」、浦島の最期は「幸福」だったと説いている(太宰治『お伽草紙』浦島さん)。この解釈だけには太宰に私も共感できる。  

原因がなくても、苦痛なら忍耐がいる

2020年04月18日 | 忍耐論2(苦痛甘受の忍耐)
2-5-3-1. 原因がなくても、苦痛なら忍耐がいる 
 苦痛の原因は、かならずしもはっきりしないことがある。苦痛の有無は明確であっても、その原因は不明確ということは、腰痛などでは、ごく普通のことである。背骨に異常が見られるからといって手術しても腰痛は直らないこともある。腰のあたりが痛むのが辛いのであり、原因は不明でいいから、痛みをなくしたいということになる。その客観的な原因は顧慮外で、とにかく(主観の)苦痛に耐えねばならないことになる。頭痛の場合も、なにがどうなって痛むのか原因は不明なことが多い。そして、この原因不明で原因に対処しようのない苦痛についても、苦痛があれば、当然、これに耐え忍ばねばならないこととなる。この忍耐は、当然、原因には無関与という忍耐になる。
 原因が分かっているものでも、それにかかわっていくより、自分の苦痛だけを治める方がましということもある。不安とか怒りへの忍耐は、それらの生じる理由は、社会や特定の人物の気障りなことが原因でと明確でも、その原因に関わってこれをなくするのは難しいことが多い。懲罰のためにと攻撃をすると逆に何倍もの反撃をされると分かっておれば、原因への対処はあきらめることになる。相手(原因)にかかわらないようにして、自分のうちの不安とか怒りとかの苦痛を甘受して、苦痛に対処するだけにしておくことに落ち着く。
 自分の苦痛が幻覚、まったくの妄想という場合もある。耳鳴りは、外にセミがいて鳴くのがうるさいというのではない。真冬でも、鳴き続ける。そとに原因はない。単に耳が幻覚を生じているにすぎない。だが、そとに原因物はなくても、主観において不快な音がすれば、この苦痛には対処が必要となる。幻覚・幻想は、そとに原因物があるかのように生じるが、その外的な物は存在しない。そとの原因物に関わることはできない。苦痛の幻覚のみに、不快・苦痛に対決できるのみである。そとに原因があろうとなかろうと、主観的に苦痛ならば、これには忍耐が必要となる。

快楽に感けた浦島の不幸、未来に生きる山幸彦の幸い

2020年04月13日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
【1-5.快楽に感けた浦島の不幸、未来に生きる山幸彦の幸い】浦島と山幸彦は、同じように竜宮に行った青年であるが、その人生の展開は大いに異なる。その違いは、なんといっても、冒険の成功と失敗のちがいである。山幸彦は、成功し、得難い宝物をもって帰郷して、それをもとに現実的に、未来に向かって活躍しつづけ、大成した人物となる。他方、浦島は、失敗し呆然自失で帰郷し、絶望に打ちひしがれて孤独な最期を迎えた。その違いが、また、浦島が異時間の感覚をいだき、山幸彦でそれが問題とならなかったことに関わりをもつ。
 異境・異世界への旅は、冒険の旅であり、試練の時であって、その人生に大きな実りが可能となる時である。故郷を出ていくのは、豊かな幸・富みを獲得しようがためである。海山の幸彦達は、漁に、狩りに出かけて、海山に寝泊まりしながら幸・獲物を得て、我が家に帰ってくる。商人なども旅にでて、町の幸彦たちは何ヶ月、何年と帰れないこともあった。成功話であるとしたら、帰郷したときには、待ちかねていた故郷・我が家のものたちと再会して、富み・幸を共に享受できるのでなくてはならない。獲物をもって、富みをもって帰郷してみたら、我が家は廃虚となっていて、だれもいなくなっていたというのでは、成功話は、惨めな不幸話にと反転してしまう。動物が命がけで獲物を探し捕らえて巣に持って帰るのは、それを待つ愛しい子供たちがいるからである。鬼ヶ島の宝物をもっての「桃太郎」の帰還は、宝物に喜ぶであろう「おじいさん、おばあさん」あればこそである。ということは、成功話としては、帰郷時に、待ち望んでいた人々とか、主人公が再会したいと思っているひとと会えるのでなくてはならない。つまりは、旅のあいだも、自分と故郷が時間的展開を同一に保って同時的な進行をしていることが求められるのである。
 山幸彦の場合、兄弟葛藤の決着をつけるべき未来が待っていたのであり、未来へと意識は向かっていたはずである。現在を過去と並べるなら、出立時以降の記憶の中断をもって、突然海幸彦が年取って現れるであろう。だが、未来にむかっている意識は、海幸彦に鉄槌を加えることに集中し、過去の記憶像と現在のそれに飛躍を感じていても、それは、主観の錯覚で些事と打ち捨てられるであろう。不遜な海幸彦に懲罰を加え海山の統率者となる未来の夢をえがき、その未来を目指して一途に進み、海幸彦懲罰を現実のものとしていく。その現在とその未来の間には、異時間感覚は存在しないであろう。過去は、すでに存在した記憶に属する確定した時間であるが、未来は、その時間は、山幸彦にも海幸彦にも、なお存在せず未確定にとどまっている。その時間自体が存立していないのだから、未来を行き来できるようなタイムマシンでもない限り、異時間もその感覚も成立のしようがないことである。 
 ひとは、動物とちがい、些事に渡るまで目的論的に生きる。もちろん、未来には大きな目的を描き、それを実現していくために己をかけていく。価値あるもの・幸を求めて自らに犠牲を背負い、その苦難に挑戦していく。希望・目的を実現するための辛い手段を選んで、これを生きがいとし耐え忍んでいく。山幸彦は、兄の海幸彦から、失った釣り針を探してこいと難題を課されて、これを果たすために探索・冒険の旅に出た。それを果たし、兄を懲らしめ勝者となるために艱難辛苦を乗り越えて、未来の幸いのためにと生きた。山幸彦は、神武天皇の祖父となり、日本の支配者として長く君臨する一族の始祖となった。
 この山幸彦に比べて、浦島は、情けない。竜宮に行ったのは、快楽にひかれ乙姫(亀姫)に誘惑されてのことであった(亀は、亀頭をもつ。もちろん、露骨に、首をひっこめて亀頭の入る穴も見せる)。若者らしい未来への冒険的精神は、欠落していた。竜宮に行っても、鯛や鮃の舞い踊りに浮かれた日々を過ごしただけで、「ただめずらしく、おもしろく、月日のたつのも夢のうち」(文部省唱歌浦島太郎)という体であった。その結末は、竜宮追放であり、みじめな老化、死あるのみであった。未来にと生きる者は、当然、不幸を求めることはなく、幸いを求めて生きる。だが、浦島は、今の享楽に生きたのであり、未来の幸いを希求して現在の辛苦に耐えるといった姿勢はなかった。現在の幸を食いつくそうというだけであった。その果ては、幸の消えうせた不幸を嘆くのみとなる。浦島の場合、運が悪くて不幸・禍がもたらされたのではない。自らが招いた不幸である(というのは、少し酷であろうか。恵みの少ない若者が大海原にひとり漁に出ていたのである。妻をめとることもままならない生活のなかで、亀を見て幻想をいだくほどに渇していた。都の若い貴族たちが現実にほしいままのことをしていた、その千分の一にも及ばないことを、しかも幻想の中に満たそうとしたにすぎない。実際には、快楽主義的でも刹那的でもありえなかったのであろうから、恵まれた山幸彦と並べるのは、酷かも知れない。が、物語としては、幻想とも夢とも説くわけではなく、乙姫との夢のような生活をしたという設定であり、ここでは、それにしたがった浦島を論じざるをえない)。  
 未来に幸を求めて生きる者は、幸に会えるようにと自身を犠牲にする。今の禍い(わざ=業、会い)に挑戦しこれを乗り越えて幸い(幸、会い)を可能にしようと、自己否定をもって変わっていこうとする。その自己を踏まえれば、ほかの者も同じように変わっているはずとみる。長らく会わなかったとしたら、自分が変貌していっているように、相手も変貌していると思う。「男子三日会わざれば刮目して見るべし」という姿勢で生きる。だが、自分が変わらないから相手も変わらないと思って十年一日のようにして関わるなら、相手の意想外の変貌・進歩に仰天することになる。今浦島体験となる。
 浦島のような失敗した旅・冒険の場合、故郷に対して一面では、なつかしい海山を前に安らぎたい、皆に会いたいということがあるが、他方では合わす顔がないのでもあって、帰ってみたら、だれもいなくなっていたという異時間体験も意味を持つ。故郷の海山は、昨日の今日という自分の感覚を受け入れてくれて、浦島たちに安らぎを与えてくれるが、知り合いは一人残らず亡くなっていて、長大な時間の経っていることを思わせた。それは、一面では、寂寥の事態であるが、他方では、自身の失敗の旅をだれにも知られないで済むということでもある。失敗を話さなくてもいいように、皆、消えてくれたということでもある。「桃太郎」は、かりに、鬼ヶ島で敗北して命からがらに逃げ帰ったのだとしたら、みんなにあわす顔はなかったことであろう。浦島は、未来へと挑戦する気迫などゼロの、「月日のたつのも夢のうち」の快楽主義者の成れの果てだから、それどころではない。知る者がいたら、道楽者の『父帰る』ほどではないが、「ぬけぬけと、よくもまあ帰ってきたことよ」と侮蔑の眼を覚悟しなくてはならなかったであろう。 

強制された忍耐の場合、専ら苦痛が忍耐の対象になろう

2020年04月08日 | 忍耐論2(苦痛甘受の忍耐)
2-5-3. 強制された忍耐の場合、専ら苦痛が忍耐の対象になろう 
 拷問では、耐えがたい苦痛を与えることをもって自白へと持っていく。その苦痛は、何でもいい。苦痛の原因となるものは、その拷問される者に苦痛を与えられるなら、何でもいいのである。それが饅頭であっても、苦痛なら忍耐が必要になる。普通には耐えがたいはずの拷問器具(苦痛の原因)であっても、苦痛と感じないなら、役にはたたない。拷問される者は、ひたすら苦痛に忍耐する。
 正座は、現代人には、苦痛であるから、それを強いられるのは、忍耐のいることである。だが、なかには、それに慣れていて、座るには、正座が一番楽というひともある。ふつうのひとには、正座は、苦痛の原因であるが、慣れたひとには、苦痛の原因にならず、苦痛がないから忍耐無用ということになる。耐えがたいことをさせるというのが忍耐の強制であろうが、耐えがたいことになっているかどうかは、そこに苦痛がしっかりと存在しているかどうかということであろう。客観的にはどうであれ、原因がどうであれ、主観において苦痛があっての忍耐である。
 悪臭と感じられる発酵食品を忍耐して食べるとき、その悪臭の苦痛に忍耐する。その苦痛の原因の食品自体は、苦痛とともに受け入れるが美味かも知れないし栄養からいうとすばらしいもので、この原因物については忍耐することはなかろう。ひとに無理強いされてであれ、自身で鼻に我慢しろと強制してであれ、忍耐するのは、あくまでも、その悪臭の苦痛である。その苦痛に耐えがたさを感じつつおいしく食べるのである。忍耐するのは、その悪臭の苦痛のみである。その原因物の食品自体には、忍耐しない、というか、忍耐の必要がない。
 ひとは、動物と同じく快不快を選択する場面での忍耐もする。そこでは、やむをえない、より小さい不快・苦痛を選んで、この苦痛を甘受する。忍耐すべきものとしてその対象にするのは、不快・苦痛である。そこに苦痛がなければ、忍耐無用である。忍耐する、させられるという意識がなるのは、苦痛をうけいれさせられたということにおいてである。忍耐は、苦痛の原因はどうであれ、どこまでも、主観のうちに生じている苦痛を対象にし、これを甘受するということである。