反復・持続可能性が節制には大切 

2015年09月25日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-1-6. 反復・持続可能性が節制には大切 
 食と性は、日々に繰返される欲求であり、それを制御する節制は、毎日の営みとなる。節制は、日々繰返して続けられることが大切で、持続性なくしては節制は成り立たない。
 一回で目的がかなうのなら持続性は問わない。お見合い、受験は、うまくいけば一回でよい。節制とならぶ徳目の勇気では、危険を繰返さないこと、反復回避の対策は基本に属することであろうから(特殊な仕事を除けば)勇気の反復・持続性は、あまり問題にならない。だが、節制は、日々反復する食や性の営みの制御のこと、持続性がないと成立しない。
 食欲・性欲は、生理的基礎欲求として、日々生起して、ふつう死の間際まで存在する欲求である。性欲の節制では、夫婦において性欲を充足すること、それ以外は厳禁で通し続けるといった、ごく単純なことの反復・持続となる。結婚する・しないにかかわらず大人になれば性欲はみんながもつ。その充足においては、人間的尊厳を損なわず、所属の社会の性規範を外れないよう、節制・節度の心がけを持続させねばならない。
 食の場合、過食傾向の者は、日に二三度これに注意して食欲に抑制をかけることがいる。毎日体重計にのって過食を反省するのが日課のひとも多いことである。それでも節制の気持ちを維持していないと、体重は、一段と増加してくる。節食の意識を日々維持していく必要がある。終りのない持久戦になるのが食の節制である。


限度自体を高めに持って行く

2015年09月18日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-1-5-3. 限度自体を高めに持って行く
 過食をふせぐには、なんといってもまずは摂取栄養量を少なくすることだが、他方でエネルギー消費量を多くするのも手である。運動である。節制は健康を求めるが、健康に適度の運動は効果的である。運動して脂肪を少なくし筋肉をつけ体力をつけることは、一層健康になることである。体力をつけ基礎代謝量を多くし、運動でエネルギー消費量を多くすることで、より多くの栄養摂取が必要となる。必要な栄養摂取量がふえることになり、摂取してよい限度量は大きくなる。
 摂取しての喉越しの快楽をすぎて、運動・消費までの間に、栄養を吸収する営みがある。この吸収率を小さくすることも、食べる量の限度を大きくすることになる。腸内細菌は、植物繊維を発酵させるなどして消化・吸収に諸種の影響を与えているようである。これの作用は、食などの生活習慣の変更をもって調整できる(野菜類は、善玉細菌を増やす)とかいう。心配事があれば、消化は悪くなる。内臓自身、少々の過食・少食であっても、その生体にとって過不足になりにくいようにと、消化・吸収の度合いを調整しているのではないか(短絡的に、食欲減退・吸収阻害の薬物を頼るひともある)。
 さらに、一日の総量としての限度は変えないままで、一回の食の限度を高くする方法がある。回数を減らすことである。日に三食を二食・一食にすれば、その分、一回で食べてよい限度は大きくなる。総量は変わらない、いわゆる「朝三暮四」であるが、これで結構うまくいくようである。


酒は美酒を始めに出し、食は珍味を後に出す

2015年09月11日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-1-5-2-1. 酒は美酒を始めに出し、食は珍味を後に出す
 イエス(キリスト教)の最初の奇蹟は、婚礼の宴で、用意した酒がなくなってしまったと聞いて、水を美酒に変じたことだが、そのとき、事情を知らなかった世話役が、‘美酒は最初に出すのが普通なのに’と驚く(『ヨハネの福音書』第二章)。奇蹟は信者が信じるだけだが、美酒は最初にという話は、酒飲みなら皆納得する。飲酒は、酩酊を目的とする。酩酊はアルコールによるもので、美酒も安酒も同一の快楽となる。美酒の美は、味覚のもので、これは酩酊に無関係であり、味覚に美味とよく分かるのは、酩酊前であるから、美酒は、最初にだす。
 食の場合、美味のものを最初に出すと、それを飽食する。とすると、それが最初で同時に食の最後となる(ラーメンとかカレーは、それ一品のみで終わる)。最初のものが一番の美味であれば、あとの料理はマイナスの評価のために出されるだけとなる。食を最初から最後まで楽しむには、段々とより美味のものを味わっていくのが普通であろう。
 ついでに性の快楽のことをいえば、これは、美酒・美味どころでなく美に引かれるが、快楽自体は美とは無関係で、美醜・自他・男女を問わず常に同一の快楽(何に触発されようとも自分が作り出す快楽、男子でいえば射精の快楽)になる。酒や食は、主とする快を得た後もなお持続して快楽を楽しめるが、性的快楽は、刹那の絶頂感とともに、性欲も快楽も完全に消失する。「もっと」という場合、性欲回復をまって最初からやり直す労をとらねばならない。俳人小林一茶は、江戸期の(五更の)長い夜を昨夜は「四交」一昨夜は「三交」と日記に綴っている。


限度になりにくい食べ物-低栄養のもの、美味しくないもの-

2015年09月04日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-1-5-2. 限度になりにくい食べ物-低栄養のもの、美味しくないもの-
 食欲旺盛で過食になりがちの者は、なるべく摂取の限度になりにくいものを選ぶことになる。ひとつは、低栄養のものを選ぶことであり、もうひとつは、美味を過食するのであるから、魅了される美味のものをなるべく避けることである。
 低カロリー食品は、飽食の現代の流行である。清涼飲料は、いまは糖分なしとか控え目が売りである。甘味料もカロリーの低くて甘みの強いものが選ばれる。単に低栄養というだけでは駄目で、美味であることが前提になってのものである。野菜は、美味といわれるものは少ないが、低カロリーのものが多く、無制限に食べても良いということで選ばれる。
 美味だから度を過ごすのであり、美味でないものを選択するのも過食抑制の手になる。食欲は、空腹感のもとでは、それが強いほど、食べられる物ならなんでもいいと、えり好みはしない。だが、ある程度満腹してくると、美味しくないものには手は出なくなる。最近の果物は糖度が高く美味すぎるため、果物好きは過食しがちである。糖度が低くてあまり美味しくなければ、好きといっても食べ過ぎることはないであろう。渋みや酸味が強いとか糖度の低い果物は、そういう意味では、過食を誘わず、諸種の栄養にとみ、食の満足も得させてくれる健康食品である。野菜は、カロリーが低いし、魅されるほどの美味ではないので過食にもなりにくく肥満対策に優れものである。