2-4-6. 苦痛の忍耐は、自律自由の能力を強化する
忍耐は、自然的には回避される辛苦をあえて受け入れて価値物(目的)を獲得する。この忍耐は、同時にそのことで、自分の自律的能力を創造・強化することともなる。苦痛は、これの回避へとひとを強いる。この自然的強制に通常はしたがうが、ひとは、手段として必要なら、この苦痛の強制(回避衝動)を拒否して、強制から自由になって、苦痛を甘受することができる。あるいは、忍耐は、欲求を抑制して不充足にとどめ不快・苦痛を忍ぶ。自然的な欲求・衝動を抑えてこれから自由になる。自然の強制を抑止する忍耐をとることで、ひとは、自身の理性をもって自律的に展開する自由の世界を確固としたものにしていく。
忍耐を重ねるたびに、その忍耐力は高まる。より大きな苦痛に耐えうる対抗的な力を身につけていく。それは、苦痛甘受という超自然・自由のより大きな能力を創造するということである。忍耐も、一定の限度以上の苦痛にはねじ伏せられる。自由をその時点で放棄して自然の強制にしたがう。忍耐を重ねることは、苦痛に耐えうる限度を高めて、苦痛への敗北という自由放棄の限度を、より高くにおけることになり、自由の領域を拡大していくこととなる。
苦労は、買ってでもせよという。忍耐は、辛苦を甘受するという反自然の対応をとることで、価値物を獲得できると同時に、その忍耐のたびに、自身の自由の能力を向上させる。鈍感力とでもいう苦痛への対抗的な力を忍耐のたびに大きくし、苦痛に過度の反応をせずに済むような感受能力を身につける。心身を衝撃に対抗できるだけの強力なものにと改造もする。さらに、目的を中心とした価値ある世界を多彩に描いて、その手段・苦痛の価値を一層大きくできるようにもなり、達成可能な目的の世界をひろげていく。苦痛の忍耐は、ひとの自律自由の世界を支え、かつそのためのより優れた能力を開発していく。
忍耐は、自然的には回避される辛苦をあえて受け入れて価値物(目的)を獲得する。この忍耐は、同時にそのことで、自分の自律的能力を創造・強化することともなる。苦痛は、これの回避へとひとを強いる。この自然的強制に通常はしたがうが、ひとは、手段として必要なら、この苦痛の強制(回避衝動)を拒否して、強制から自由になって、苦痛を甘受することができる。あるいは、忍耐は、欲求を抑制して不充足にとどめ不快・苦痛を忍ぶ。自然的な欲求・衝動を抑えてこれから自由になる。自然の強制を抑止する忍耐をとることで、ひとは、自身の理性をもって自律的に展開する自由の世界を確固としたものにしていく。
忍耐を重ねるたびに、その忍耐力は高まる。より大きな苦痛に耐えうる対抗的な力を身につけていく。それは、苦痛甘受という超自然・自由のより大きな能力を創造するということである。忍耐も、一定の限度以上の苦痛にはねじ伏せられる。自由をその時点で放棄して自然の強制にしたがう。忍耐を重ねることは、苦痛に耐えうる限度を高めて、苦痛への敗北という自由放棄の限度を、より高くにおけることになり、自由の領域を拡大していくこととなる。
苦労は、買ってでもせよという。忍耐は、辛苦を甘受するという反自然の対応をとることで、価値物を獲得できると同時に、その忍耐のたびに、自身の自由の能力を向上させる。鈍感力とでもいう苦痛への対抗的な力を忍耐のたびに大きくし、苦痛に過度の反応をせずに済むような感受能力を身につける。心身を衝撃に対抗できるだけの強力なものにと改造もする。さらに、目的を中心とした価値ある世界を多彩に描いて、その手段・苦痛の価値を一層大きくできるようにもなり、達成可能な目的の世界をひろげていく。苦痛の忍耐は、ひとの自律自由の世界を支え、かつそのためのより優れた能力を開発していく。