2-1-2-3. 苦痛は、損傷に注目させるが、激しくなると苦痛自体に注目させる
不快や苦痛、痛みは、まずは、これをもたらしているもの、就中損傷に目を向ける。腕が痛い、足が痛いとなる。痛みは身体の部位の痛みであり、不快は、身体とか気温とかそれをもたらす外的なものについていう。この私の心身が不快(苦痛)なのだが、その原因に目を向けて、寒い家が不快だとか、犬の声が苦痛だという。損傷に感じる苦痛であり、苦痛をもたらす対象に注目して、損傷除去等への対応を急ぐことになる。
だが、苦痛は、大きくなると苦痛自体に意識を向けさせる。放置しがたいものとして何より注視することになるのは、苦痛そのもので、これをなんとか無くしたいともがき、これから逃れられないことに悩む。それをもたらしている外的な物があるとしても、この苦痛をなんとかしたいと、苦痛そのものに目が向く。膝が少し痛むぐらいのときは、膝に注目する。膝を動かしてみたり膝の使い方を工夫してみる。だが、痛みが激しくなると、苦痛をなんとかと苦痛に注目して、膝の生理的故障はどうでもあれ、とにかく切実な苦痛の軽減をと、薬等を求めることになる。
苦しみは、生の内の生動性の阻害などに抱くから、はじめから内にこれを見るが、それでも、小さい苦しみは、自身から突き放して対象的に捉えるであろう。「胃が苦しい」「生活が苦しい」というとき、些細なものなら、胃自体、生活自体においてこれを感じるが、強くなると、苦しみそのものに囚われてこの苦悩自体の解消をと求めていくのではないか。過食で胃が苦しい程度なら、胃に注目して、時間の経つのを待つ。だが、激しい胃痛に襲われた場合、胃がどうこうというより、その苦痛をなんとかおさめたいと、苦痛自体に気をもっていくであろう。「生活の苦痛」も、軽いものならこれをもたらす者に注目するが、大きな懊悩でその苦痛が耐えがたいものなら、精神安定剤を飲むなどこの苦痛への対処にまずは向かう。
不快や苦痛、痛みは、まずは、これをもたらしているもの、就中損傷に目を向ける。腕が痛い、足が痛いとなる。痛みは身体の部位の痛みであり、不快は、身体とか気温とかそれをもたらす外的なものについていう。この私の心身が不快(苦痛)なのだが、その原因に目を向けて、寒い家が不快だとか、犬の声が苦痛だという。損傷に感じる苦痛であり、苦痛をもたらす対象に注目して、損傷除去等への対応を急ぐことになる。
だが、苦痛は、大きくなると苦痛自体に意識を向けさせる。放置しがたいものとして何より注視することになるのは、苦痛そのもので、これをなんとか無くしたいともがき、これから逃れられないことに悩む。それをもたらしている外的な物があるとしても、この苦痛をなんとかしたいと、苦痛そのものに目が向く。膝が少し痛むぐらいのときは、膝に注目する。膝を動かしてみたり膝の使い方を工夫してみる。だが、痛みが激しくなると、苦痛をなんとかと苦痛に注目して、膝の生理的故障はどうでもあれ、とにかく切実な苦痛の軽減をと、薬等を求めることになる。
苦しみは、生の内の生動性の阻害などに抱くから、はじめから内にこれを見るが、それでも、小さい苦しみは、自身から突き放して対象的に捉えるであろう。「胃が苦しい」「生活が苦しい」というとき、些細なものなら、胃自体、生活自体においてこれを感じるが、強くなると、苦しみそのものに囚われてこの苦悩自体の解消をと求めていくのではないか。過食で胃が苦しい程度なら、胃に注目して、時間の経つのを待つ。だが、激しい胃痛に襲われた場合、胃がどうこうというより、その苦痛をなんとかおさめたいと、苦痛自体に気をもっていくであろう。「生活の苦痛」も、軽いものならこれをもたらす者に注目するが、大きな懊悩でその苦痛が耐えがたいものなら、精神安定剤を飲むなどこの苦痛への対処にまずは向かう。