旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

エルデニゾー寺院に残るカラコルムの記憶

2024-08-21 12:09:35 | モンゴル
「都市カラコルムを破壊したレンガが使われています」
エルデニゾー寺院のガイドさんに解説されたが
最初これが何を描いているか分からなかった(最後に正解の写真を載せます)

モンゴル帝国(=元)の世界首都だったカラコルムは明によって徹底的に破壊された。

現在見られるエルデニゾー寺院はその廃材を用いて16世紀に建設されている。

朝六時、ツーリストゲルの夜明け

敷地に古い木造建築があった

屋根瓦からみて寺院だった建物にみえるが

洗濯物が干してある。
これまで見てきたモンゴルの寺院は山の近くに建てられていることが多かった。
そして、それらはほぼ例外なく20世紀社会主義時代に廃絶されていた。
※2008年にツェツェルレグの廃墟跡を訪れた時のブログにリンクします
残された寺の建物を、このツーリストゲルを運営している家族が使っているのだろう。

朝食を終えて朝08:40出発。

国道に戻ってしばらくするとカラコルムのゲートが見えてきた。
2008年に比べて立派になったが同じ門。
※2008年にエルデニゾー寺院を見学したブログに当時の写真を載せています
当時は周囲になにもなかったが、今はツーリストゲルや商業施設もたくさんできている。

↑その一つの看板は↑ゲレゲのカタチをしていた※ゲレゲについて書いたブログにリンクします

↑ちらっと見えた「銀の木」もそのままあった

108の仏塔で囲まれたエルデニゾー寺院の中に入る

がらんとした草原にお堂がまばらにあるだけ。

スターリン時代にどれだけの仏教弾圧が行われたのか…
破壊される以前の白黒写真が案内板にあった↓

「1872年には62の寺院に500を超える建物があって、1500人以上の僧が暮らしていました」

↑建設当初1586年の建物が残されている。

新婚さんの記念撮影が行われている↑

それぞれのお堂に巨大な仏像や図像が収蔵されている。

※これらの解説はまた次回

エルデニゾー寺院専任のガイドさんが、建物外壁のいちばん下の部分を示した。

↑言われなければ気付かない地味な三本線がレンガに描かれている↓これは何?

しばらく眺めていてぴんっときた↓

13世紀モンゴルの軍団旗にちがいない(^^
貴重なレンガに思えるが、まったく保護されずに放置してある。
ということは…エルデニゾー寺院のそこら中の建材が同様だということだろう。
気付く人だけが気付く。

小松は指摘されてはじめて、
エルデニゾー寺院が都市カラコルムの廃材を使って建設されたのをありありと感じた。

この後博物館を訪れ、
もっと多くの・もっと貴重なモノが
エルデニゾー寺院の壁から発見されたことを知ることになる。
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ゲルの上の星空

2024-08-16 17:53:49 | モンゴル
↑高性能カメラをお持ちのKさん撮影。

肉眼では見えなかったこぼれるほどの星々が写っている。

午後は草原を三時間ドライブした。

舗装はされているが…

けっこう揺れる。

ウランバートル市内も流れているトール川を渡る。

川幅はかなり広く、ここ数日の雨で水量も多いようだ。

川岸のドライブインでストップ。

観光客もたくさん止まるから免税店みたいな品揃えだ。

↑ジョージア(かつては「グルジア」)東部のワインを5US$で売っていた↑あとから調べてみると評価が高い作りてのようだ。次回買ってみようかしらん。グルジアのワインにそれほど良いイメージはないが、発祥の地と言われるエリアではある。

羊毛を満載したトラック↑

↑県境の料金所↓

↓君たちは無料(^-^)



今日宿泊するツーリストゲルは国道から少し離れている

↑ここからオフロード↓

おとといみたいな雨だったらたいへんだったろうなぁ。

川みたいに流れていたにちがいない。

↑あの山のちかくが目的地だ

ツーリストゲルに到着

五十棟ほどのゲルが規則正しくならぶ。

中心にレストランをはじめとするレセプション用の大きなゲルがある。

そのテラスから振り返ると午後8時前の夕陽が山を染めていた。

ゲルに荷物を置いたらすぐに夕飯。
サラダとパクチー入りパスタ。

真っ暗になる前にそれぞれのゲルに入ろう。

昔ながらのゲルのカタチはしているが、

フロアリングの床暖房。

真ん中にストーブもあるが今日は必要なさそう。

デラックス・ゲルにしたのでシャワーとトイレもついている。

夜中にトイレに行く年代になると、やっぱりこの方が快適。

真っ暗になったら、星を見上げにいこう。カギは南京錠。

ゲルのエリア内はけっこう明るいから、柵から出る。
アフリカのロッジなら夜にホテルの敷地の外に出たら猛獣に襲われる危険があるが、モンゴルは基本的に大丈夫。

バスの後ろの暗がりから見上げると↑iPhoneでもしっかり写る北斗七星だ。
目が慣れてくると、見える星の数がどんどん増えてくる。

↑さそり座!iPhoneではそんな風にみえないが、アンタレスの赤い色もよくわかった。
↓こちらは冒頭のKさんのカメラでの撮影↓

↓星座もわからなくなるほどの星と天の川

くっきり写っている線は人工衛星↑肉眼ではいくつもの流れ星も見えた。

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モンゴルの草原に至る

2024-08-15 06:18:34 | モンゴル
ダワーニ駅から一時間ほどのツーリスト・ゲルに到着。「雨が多い今年は緑がとてもきれい」なのだそうだ。ウランバートルのビル街からやっとモンゴルらしい草原に至る。

ここは遊牧民の暮らしを紹介するショーを見せてくれる。↑こんな感じで移動していたんだろうなぁ…
家畜に十分なエサを食べさせるため、季節ごとにゲルをたたんで移動している。

「モンゴル五畜」は、羊、山羊、馬、牛、そして↑ラクダ
モンゴルで(もともと)豚や鶏をたべなかったのは、遊牧に適さない家畜だったから。

↑「五畜」には数えられていないけれど↑毛の長い牛=ヤクもモンゴルらしい。

↑よく見かける旗?にもヤクの毛がつかわれている。

今日はたまたま「ミニ・ナーダム」の日にあたっていたが、いつものことではない。※こちらについては後日まとめます

ランチは羊肉!

小麦の薄皮の下には骨付き羊肉が山盛り

モンゴルの味付けは基本塩のみ

「モンゴル人の食の基本は茹でた羊肉です」↑そのスープにお米など穀物を入れてある。

↑いっしょに盛ってあったのだが「これが尻尾」と取り分けてくれた↑「モンゴル人にとって羊の尻尾はごちそう」と、「まんぷくモンゴル」という本に書いてあった。モンゴルの羊の尻尾はイギリスとはぜんぜんちがうのだそうだ。なるほどー、

↑オレンジではなく「チャツァルガン」という↑モンゴル独特の健康ドリンク
※こちらにもう少し書きました


↑モンゴル航空機内で出た松の実スナックを売っていた

「あなたたちはどちらから?」

↑同じゲルでランチをしていたトルコ人団体の一人がはなしかけてきた。
「モンゴルはトルコ人の故郷だからきたのよ」
8世紀突厥(トゥルク)に書かれたルーン文字はトゥルク語への直接的翻訳が可能な文章なのを思い出した。
※トルコ語のウィキページにリンクします
この碑文が発掘された場所にも行くのだそうだ。
※2023年のブログにリンクします

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シベリア鉄道の支線にちょっと乗る

2024-08-10 07:16:45 | モンゴル
「シベリア鉄道に乗ってみたい」
誰でも思ったことがあるのではないかしらん。
でも…実際にモスクワ→サンクト・ペテルスブルグ間の夜行列車「赤い矢号」に乗ったことがある身としては、一時間体験乗車ぐらいがちょうどよいと思う。ロシア国境方向に向けての長距離列車に最初の一時間だけ乗車した。

↑この地図は2009年にモスクワ近くセルギエフ・ポサードでみかけた。
三日月形をしたバイカル湖は長さ約630km、東京⇔岡山の距離に近い。
↑バイカル湖の南東に位置するУлан-Удэ(ウラン・ウデ ※ブリヤート自治共和国の首都)から国境を越えてУлаанбаатар(ウランバートル)までの距離はおよそ570kmになる。
※2009年ロシアでこの地図を見つけた日のブログにリンクします


朝、ウランバートルの中心、スフバートル広場近くのホテルを出て駅に向かった。

建設中の緑色のドームはモスクにちがいない。
ここでもイスラム教徒は増えてきている。

ウランバートル駅が見えてきた↑「75周年」の幕がかかっている。
シベリア鉄道本線は1905年に完成したが、支線になるウランバートル経由北京への路線は第二次大戦後1947年に建設スタート。この駅は1949年に開業。

★モンゴルの鉄道は1938年にはじまる。ウランバートルから43kmのナライフ(ナライハ)炭鉱から石炭を運ぶための狭軌だった。
旅客鉄道は1947年に建設開始、1949年にウランバートル駅が開設され運行開始。

1955年には中国の線路ともつながった。

現在の駅舎も当時のまま。

↑こちらは税関のビル

特別室も昔の雰囲気。

正面玄関を開けたロビー↑

↑充電器?電話レンタル?

駅舎の線路側↑

↑09:30に中国方面からの列車が到着していた↑

↑「ザミウード⇔ウランバートル」
内モンゴル自治区から国境を越えてすぐの都市ザミウードを18:30に出発し、約15時間でウランバートルに到着した国内列車である。
↑車両についている馬のマークは1990年以前・社会主義モンゴルの時代のもの↑

観光客?里帰り?
内モンゴル自治区からの人も多いのかしらん?

ザミンウードからの機関車が移動してゆく↓

別の機関車が入線してきた※動画をUPしました
↓こちらは2008年に撮影したもの

動画に出てくるものをふくめて、ディーゼル機関車にもいろんな種類があるのだなぁと、小松もちょっと興味を持った。

↑こちら同じ2008年のウランバートル駅↑ベンチや屋根が設置されるなど少しずつ変化している↑

さぁ、今日乗車する車両のあるホームまで移動しよう↓

各車両の入り口で「社会主義的」制服の係員が予約の名前をチェックしている。
よいしょっ!日本のような列車の高さに合わせたホームはない。

客車によじ登る

ソ連製の車両は半世紀ぐらいタイムスリップさせてくれる

車掌室↓

コンパートメントは二段ベッド

けっこう高い位置にあるがハシゴはない↓

どうやって登ったのかというと…↓

↑入ってすぐ横にこんな可動式の足掛けがあるのです。

一つの部屋で四人利用。

10:30をすこしまわって、ゴットンっと動き出した。

まずはウランバートル市内を西へ移動↑並走している太いパイプは暖房用の熱い湯が流されているのだそうだ。

飛行機とちがって間近に人々の暮らしが見える。
夢中で外を見ていたら↓日よけがぽろんと外れた!戻したけどまたすぐはずれそう…

大事に使い続けている車両なんですね

ビルは減り、ゲルが増えてくる。

列車の左右が広くなる。

線路がカーブして北にむかう。

我々の降車するダワーニ駅はもうすぐ

一時間乗っても↑まだまだウランバートル市内

ウランバートル市内でも↑こんな草原の中のぽつんと駅

一時間、お世話になりました(^^)

ダワーニの駅舎なんてのはないのね

トイレだけぽつんと。
閉まっていたけれど男性用だけ建物の外についている。

この柵は家畜が入らないようにするためなのだろう


回送しておいたバスに乗車

到着して三日目だがまだどんよりした天気。

草原で行われていたダワーニのナーダム

「自家用馬」でやってきた人々

広大な車用の駐車場も用意されているから、かなりの人がやってくるのだろう。

一時間ほどで昼食のツーリストゲルに到着。

ようやく青空がかいま見えてきた。
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ザナバザル美術館からロシア料理の「ミュラヤ」へ

2024-08-07 21:35:11 | モンゴル
ビーツの赤とサワークリームの白がぴったりのボルシチは「モンゴルの料理」ではないが、「モンゴルで食べられる美味しい本格的料理」にちがいない(^-^)

ウランバートル街歩きの午後、「モンゴルのミケランジェロ」と称されるザナバザルの作品を所蔵する美術館を訪れた。


↑17世紀の鋳造仏↑どの角度から見ても秀逸な造形。ザナバザルの名前も知らなくて魅了された。

彼は美術家というのではなく、現代に続くモンゴルの創始者と言ってよい人物。
※ザナバザルという人について、こちらに書きました


※ザナバザル美術館に収蔵されている他の「美術品」だけではないモノについて、こちらに載せました
たとえばこの青銅器時代の剣?

このデザイン性としっかりした造り↑

「モンゴルの一日という絵」はモンゴルでいちばん有名な絵、だとか。

※こちらにもう少し書きました



↑ボグド・ハーンの宮廷でツァム舞がひろうされている絵

ガンダン寺で出会ったのと同じ※短い動画をUPしています



↑ブータンに行った時いたるところでみかけた、「ブレーメンの音楽隊」みたいな四匹の絵もあった。
モンゴル同じチベット仏教の国。
※何を意味しているのか、小松なりのリサーチをこちらに載せています

***
ロシアの手軽な料理をたべさせてくれる「ミュラヤ」はザナバザル美術館のすぐ近く

カジュアルなロシアのビストロ風

お昼は周辺の勤め人で混む店だが
夜は我々のために席をとっておいてくれた。

ビールはとなりの店で売っているのを各自買ってきて持ち込ませてくれました!


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