旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

「ザビエルの肖像画」が発見された北摂

2017-08-16 10:40:06 | 国内

フランシスコ・ザビエルの、日本で最も知られた肖像画は、今から百年ほど前に大阪・茨木市の山の中の民家で発見された。


東家の屋根裏の梁にくくりつけてあった「開かずの櫃」の中から出てきたのである。後のリンクに書く理由で肖像画そのものは神戸の博物館に所蔵されてしまったが、土地の一角に記念館がつくられたのは昭和六十二年のこと。


今でもくねくね坂道の周辺には「クルス山」だとか、キリシタン関連の地名が残されている。江戸以前の切支丹信仰が明治以降まで密かに生き延びた場所は、九州以外ではこの北摂地域だけなのだそうだ。
切支丹史跡をめぐるハイキングルートも近年整備されてきている↓



小さな辻に、キリシタン禁止の高札が立てられていたという場所があった↓



そのすぐ近くに、高山右近の像↓



上の写真の坂を右に上ってすぐ左が記念館になっている↓



入場無料、一部屋だけの小さな資料館だが、興味深いお話がきけた↓



 


小松が大学卒業まで住んだ高槻は茨木のとなり。高山右近が治めた地として知られている。学生の頃には郷土の歴史などぜんぜん興味がなかったが、今日は友人にたのんで連れてきてもらった。


小松は今年、日本の切支丹史に縁があるようだ。3月屋久島のシドッチ、9月五島列島、平戸へ下見。そして、帰郷しても、こうしてキリシタン関連の場所へ行くように導かれている。それぞれの場所でお話をうかがっていくと、16世紀後半に起こっていた大きな時代の波が感じらた。まずは、9月の五島列島の旅でご一緒する皆様に、うまく伝えられるように準備していきます。


★「ザビエルの肖像画発見」について、今回知ったたいへん興味深い、地元へ行かなければ知らなかっただろうエピソードを、※こちらに載せましたのでお読みください

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鄭成功の故郷~川内(平戸島)

2017-08-01 13:47:53 | 国内

中国人の父と日本人の母をもつ鄭成功は、1624年に平戸島の川内で生まれた。今では百二十戸しかない村になっている川内だが、昨年、入江に面してびっくりするほど立派な中華門が建てられた。

この港にはオランダ船も出入りしていた。18世紀にこの港から引き揚げられた巨大な碇が、平戸に復元されたオランダ商館に展示してあった※こちらに載せました

平戸にたくさんある小さな村々をめぐっていると、この門はけっこう目立つ↓

門に掲げられた寄付名簿を見ると、鄭成功がどこで活躍していた人物なのかも見えてくる↓

「安平開台」とは、台南にオランダが建設したゼーランディア要塞があった場所。1662年に鄭成功がオランダを追い出して本拠地とした。※これがなければ台湾は現在もオランダ領になってしまっていたかもしれない

「基隆」はキールン。台北の港。

「厦門」はアモイ。大陸中国で鄭成功の基地だった島。

門をくぐって正面の階段を登ると、記念館に至る↓

江戸時代はじめ、日本が鎖国に向かう時代。大陸中国では漢民族の明帝国が異民族の清に滅ぼされそうになっていた。商人・海賊の出身である鄭成功だが明の皇帝を助け、「朱」姓(※明の開祖は朱元璋)を名前に入れることを認められたので、「国姓爺(こくせんや)」と呼ばれるようになった。

この川内村には七歳までしか住んでいないけれど、旧家は長く大事にされ、今も寺社がある。子供のころに鄭成功自身が植えたとされる「ナギの木」が、社殿の前で大きく育っていた↓

上の写真で右に見える白い石像は、子供時代の鄭成功とその母・田川マツ↑ 息子が父に呼ばれて中国大陸へ行ったのち、十五年して母も移住。しかし、そこで戦にまきこまれて清の軍に殺された。

故郷との交流はその後も続いていたので(※弟は日本人として育てられ、母方の田川家の跡取りとなった※弟は通訳として長崎に移ったとされる。記念館の方によると田川家は川内にはすでになく、長崎にその末裔があるそうな。)、鄭成功ゆかりの品々は、いくつも残されている。

記念館の展示物でいちばん大きなものは↓父の鄭芝龍がもたらしたとされる媽祖とその随神↓

↑もともとは今も残る神社に祀られていた神像である。航海の安全を守る「媽祖」は台湾や厦門など東シナ海全域で崇拝されている。(※マカオの名前は「媽閣」または「媽祖の港」からきているとされる)

平戸の「松浦家資料館」にも、ここ川内から移動させられてしまった品々があった。このゾウの形をした印象はいかにも大陸的↓

青銅製の香炉は、もっと古い時代(古代の)青銅器を思い起こさせる↓

★鄭成功は勃興する清に抗戦して、台湾のオランダ勢を駆逐して本拠とした。大陸に対抗して実質独立国として三代にわたって存続し続けた。よって、今では台湾の国民的な英雄とされている。

この村で行われる7月14日の誕生祭には、台湾からも、そして大陸からも、たくさんの参加がある。近年では台湾からの観光客も訪れる場所になってきている。

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