
比叡山へ入る

比叡山観光というと、たいていの観光バスは根本中堂のある東塔にしか行かないが、元三太師良源が隆盛させた「横川」こそ訪れる場所に思える。

↑元三太師は比叡山を日本仏教界の学校にした人↑修行はカタチを変えて現代でも続けられている↑瀬戸内寂聴さんもここで学んだそうだ。僧侶でなくても体験できる修行から、僧侶になるための修行まで、各種用意されている。

元三太師といえば↑この厄除け札。祈祷をする姿が鬼のように見えたのを、弟子が写しとっていたのがもとだと伝わる。

↑このお堂があるところに住んだと伝わる

「元三大師」は正月三日に亡くなったので非公式に呼んでいたいわばニックネーム↑絵地図でいちばん上の方に彼の廟が描かれている。

↑本人が細かくデザイン・指示したとおりにつくられたとされる墓
※2022年春に訪れた時のブログに詳しく書きました

↑弟子の聖救(しょうく)のものと伝わる墓も近くにある↑
*

「西塔」エリアにはユネスコ世界遺産指定の委員に好評だったという「弁慶の担い堂」がある↓

左が常行堂~九十日間眠らずに念仏を唱えながら本尊阿弥陀仏の周りをまわり続ける。右が法華堂。
眠らなくても食べるのとトイレは必要↓担い堂から本堂への石段を二十メートルほど降りたところにあるこのお堂へ↓ひとり抜け出して行く↓

この石段から見上げた担い堂↓よいですねぇ

↓西塔エリアの本堂・釈迦堂(転法輪堂)↓

信長の焼き討ちのあと秀吉が大津の三井寺から移築させた、室町時代のお堂↑比叡山に現存する最古の建物。
内部には珠玉の木彫群(^^)
**
西塔のはずれにある浄土院を最後に訪れた↓

最澄はここで今も祈り続けている。
高野山の奥の院にあたる場所と思ってよい。

毎日最澄さんに食事を届けお仕えするのは、「十二年籠山行」を行う「侍真(じしん)」と呼ばれる修行僧。
戦後にたった七年しか満行していないのだそうだ。
※「和楽」の頁にインタビュー記事がありましたのでリンクします
こここそが訪れる場所ではないかと思えた。

***
京都駅へ向かう車に乗った時、雨が降りだした。

びわ湖を知ると日本の歴史が見えてくる

40分ほどで京都市内・岡崎神社ちかくを走っている時、車の屋根を叩く音が大きくなった。

雹(ひょう)の粒はどんどん大きくなっていき

飛べなくなったサギが車の前に落ちるように降りてきた。























