旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

諏訪湖畔の「千人風呂」

2022-01-26 10:48:56 | 国内
諏訪湖畔にたつヨーロッパみたいな建物の屋上からの凍った湖

↑右手にそびえる銭湯みたいな煙突は何?
これは本当に「千人風呂」の煙突!※公式HPにリンクします。内部も洋風!

↑ルネサンス風の階段を上ると冒頭の湖が見渡せるテラスに出る。
諏訪湖の花火の時には有料観覧席になるのだそうだ。

↑階段下から振り返ってみる「休憩室」。
映画「テルマエロマエ」で草津温泉の遊技場シーンに使われ、卓球台やモグラたたきをならべた写真が飾ってあった。
昭和三年(1928)にこの施設を出現させたのは絹糸産業で財をなし「シルク・エンペラー」と称されたた片倉財閥(現片倉工業)二代目当主片倉兼太郎※三代目まで全員同じ名前

片倉工業は当時から富岡製糸場より大きな工場を稼働させており、昭和十四年(1939)には民営化されていた富岡製糸場も傘下に入れる。1989年に操業を停止した富岡製糸場を壊さず歴史的資産として維持していたことが、十八年後に世界遺産指定をうける原動力になった。
※片倉工業が富岡製糸場について書いたHPにリンクします

↑「千人風呂」外観↑
ヨーロッパ視察した成果として「千人風呂」をつくるなんてすごい発想(^^)

浴槽が1.1mととても深い。
実際に入浴してみると、底に玉砂利がひかれているのも意外だった。


↑「千人風呂」にとりつけられたステンドグラスのミニチュアが、
となりの「片倉館」に展示してあった。

諏訪湖畔の軟弱な地面にこれだけの重量建築を建てるにどんな基礎が必要だったか?

↑図面にびっしりと描かれているのは何?

↑建設途上の写真を見ると、それが松の丸太材であることがわかる。
「千人風呂」の下には1711本、
「片倉会館」の下には922本、打ち込まれているそうだ↑
これはヴェネツィアの建物と同じである。

↑こちらが地域の集会場として建てられた「片倉会館」外観↑

↑ポーチの大理石を張った部分も凝ったデザイン↑

入ってすぐに巨大な金庫↑もともとここに置かれていたのではない?

番号でなく「イロハ」で合わせる。
↑同じ形式のもう少し小型の金庫を京都の古民家で見たことがある。

二階はどーんと二百四畳の大広間。

となりの「千人風呂」がみえる



第二十三代総理大臣清浦奎吾のものだそうだ。
※昭和二十四年半年だけの内閣

邸内にたくさん飾られている書の中で興味深かったのが↑中村不折のもの。
「浩然の気を養う」=「ちいさなことに囚われず、どっしりと構える」
不折は信州一味噌のロゴになっている会社名を書いた※HPにリンクします
はっきりと個性がありつつ、読みやすく美しい。
**
片倉工業は今は東京に本社を移したけれど、
この施設を建設したころは地元への想いは熱いものだったと感じたのが、「千人風呂」の前に置かれていたこれ↓

諏訪大社の御柱祭の「木落し」がどんなものなのか、体験してもらうために置かれている。
※実際にはこんなのです
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