旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ザンクト・ゴッタルト峠の「悪魔の橋」

2022-01-20 09:38:11 | スイス
2010年6月、イタリアとスイスを結ぶ難所にある「悪魔の橋」を訪れた。

●昔話
ロイス川の激流に苦労していた村人。
ある日悪魔がやってきて「橋をかけてやってもいいが、代わりに最初に渡る者の命をくれ」と言った。
承諾した村人だったが、完成すると最初にヤギを渡らせた。
「約束が違う!」と怒った悪魔(冒頭写真の絵)
恐ろしさに震えたおばあさんが悪魔にむかって十字をきるとへなへなと力を失い、持ち上げていた大石を取り落して消えてしまった。

その大石は道路工事のために下流へ移動させられて現存するが、移動の祟りで事故が多かったと伝わる。

↑現存する橋は悪魔がかけたのではなく、1830年に馬車も通れる広さでかけかえられたもの(手前)
※うしろに見えるのは鉄道用↑

ネットでみつけた↑1587年ごろにかけられた現存しない石の橋(手前)↑こちらも悪魔がかけた?(笑)わけはないが、1799年にロシア軍とナポレオン時代のフランス軍の激闘があった場所。

↑1803年にターナーが画いた「悪魔の橋」は、現実離れしている↑

↑現地にあるロシア人のレストランにあった絵が、戦いの様子を感じさせてくれる↑

↑戦闘二百年記念碑が1999年9月25日に序幕された↑
スイスを訪れるロシア人団体の多くが、この「生涯負けなし」のスヴォーロフ将軍の戦跡を訪れる↑
ロシア人には超有名な歴史上の人物らしい。
**
この日、アンデルマットからの峠道はクラシックカーがいっぱいだった。

ヨーロッパの車道楽がスイスの山々を背景にドライブを楽しんでいた。

↑冒頭の絵の描かれた、新しい「悪魔の橋」たもとにある駐車場にバスを停めて歩くことにする。

↑1830年にかけられた橋は最新の橋の斜め下に位置している↑
道はぐるりとまわり最新の橋の下をくぐる。

ちょっとわかりにくい構造。

地元の?学習グループが座りこんで話をきいている↑

お昼をずいぶんまわったので軽く食べたいけれど↓さっきバスを降りたところでみかけたこの看板の一軒だけしかない↓

レストラン「悪魔の橋」↑朝八時からあけてます
「アルプスチーズ、ヤギチーズ、売ってます↑」
ルツェルンのビール会社のロゴが入っている。

幸い席が空いていた。

壁には↑メヴェージェフ(当時のロシア大統領)の写真↑とサーベル

↑先込式のマスケット銃

↑スヴォーロフ将軍の肖像と

↑ワインも「キュヴェ・スヴォーロフ」

↑お店の方もロシア人だった

メニューはいたってシンプル(^^)

しかし、この石づくりのがんじょうそうな一軒家↓いったいいつごろからのモノだろう。

外壁にうっすらフレスコ画の跡

古い写真を調べていくと1934年に撮られた航空写真に↑
↑左下でヘヤピン形に折れ曲がった道のところに写っている↑
いつごろロシア人御用達の店になったのかはわからないが、
この峠の古戦場を訪れるロシア人たちを迎えるロシア人のお店があるのは良いことだ。
同じロシア語でいろんな話をしてくれているのだろう。

↑近くにはまだまだ多くのロシア語の記念碑がある。
コメント
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