旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ケリビア要塞

2019-03-13 11:56:23 | チュニジア
チュニジアには塩水湖が多い

塩水湖にはフラミンゴが好むエビがいる

ピンク色が集まった浅瀬
**
ボン岬を北上していくと丘の上に威圧的な砦が見えてきた↓

現在見えているのはビザンチン時代からのものをイメージして復元しているそうな

↓現在も軍の管轄下にある

それでも観光客に公開している

車を止めて城内へ

1960年代末に発掘と修復が行われて、ローマ以前のカルタゴの遺構も見つかった

二重になった城壁の中へ

くぐって入ると↓

突然ぽかんと開けた草原に出た

丘の上の城塞の内側はこんなだった

中心にはしかし、柱の跡が復元されている↓

異なる時代の遺跡が重なっている場合、どの時代をイメージして復元作業をするのかがいつも問われる。
チュニジアの場合はやはりカルタゴの時代のものを「見えるかたちで復元したい」という思いがあると感じる↓この柱もローマ以前のカルタゴの神バール・ハモンとタニトの神殿だったと考えられている↓

チュニス近郊のカルタゴ遺跡でも見たように、カルタゴ時代の神殿にはボン岬先端の石切り場からもってきた砂岩が使われている。
ここでも砂岩の大きな塊で構築された構造が見つかっている↓この階段も

↓この下に見えている石積みも、カルタゴ時代のもの↓

↓ビザンチン時代6世紀に建造されたという城壁も、基部の石はあるいはカルタゴ時代のものかもしれない↓

↓現役の灯台が乗っている

十分ほどでぐるりと回れてしまう城壁
↓よくみると、かつてはかなり大規模な建物があったのが分かる

↓第二次大戦中の1943年の4月に、
ドイツが占領していたこの要塞を、三機の英軍機が激しく爆撃したのだと資料に書かれていた。
爆撃される前まではビザンチン時代の名残もだいぶんあったのかしらん

まぁ、爆撃で破壊されなければ地下深くの古代カルタゴ遺跡に陽が当たることもなかったのかもしれないが。

↓白い建物は軍の通信施設だそうな

最初はなにもない草原のように見えた場所も、いろいろな時代の事物が細部にたくさん詰まっていた

↓いつごろ切られた巨木?

↓工事の人がなにかを一生懸命つくっている

ガイドさんに訊ねると、「勤務している兵隊さんのためのモスクをつくっている」のだそうだ。
アラブ時代のモスク跡をもう一度現役復帰させているのか。歴史はまだまだ継がれている。

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